『葉隠』の「死」について
『葉隠』に興味があるものの、まだ『葉隠』を読んでいない人間です。
『葉隠』の「死」に関する質問です。
『葉隠』の中の有名な一文として、「武士道とは死ぬことと見つけたり」というのがあるそうですね。
ところが一方、私の読んだ戸川猪佐武『小説 吉田学校』の中では、山本常朝と同郷の政治家・保利茂が
「『葉隠』の中にこんな一文がある 『行こうか行くまいか 迷ったときは行くな』
『死のうか死ぬまいか 迷ったときは死ぬな』
これが『葉隠』の精神だそうだ」
と説く場面があります。
「死ぬことと見つけたり」と「死のうか死ぬまいか 迷ったときは死ぬな」ではかなり隔たりがあるように感じます。
伺いたいことは、
(1)そもそも、「死ぬことと見つけたり」と「死のうか死ぬまいか 迷ったときは死ぬな」という一文は『葉隠』に出てくるのでしょうか? 出てくるとすれば、それはどこで、どのような文脈でしょうか?
(2)もし両方出てくるとすれば、どちらが『葉隠』の真意に近いでしょうか?
『葉隠』において「死」とはどのように捉えられているのでしょうか?