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昔の人の喋り方
戦国時代の武士や武将達の言葉は、もちろん今とは違うけども 映画や大河ドラマなどでしかわからないけれども 本当にあんな荒々しくてがさつな感じだったのかなぁと疑問です。 もしかして、映像で見るより本当はもっとみんな冷静に丁寧に会話していたのかも とか。
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- ?橋 昌也(@fudousin)
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もっとがさつです。 映像でみるものは、現代人が理解できなければならないですし、最近は放送コードなどもありますので10分の1くらいのがさつさに薄められていると思って間違い有りません。 秀吉が大阪城で西ノ政所(ねね)と夫婦げんかをすると、両者とも尾張言葉丸出しで下卑でまわりのものは秀吉が高位ななってからのものたちなので、何を言ってるかわからなかったといわれています。このように、ごく一部のもの(旧室町幕府関係者や公家侍などの少数)はがさつなどという生やさしさでは無かったでしょう。 武士が教養を必要とするようになったのは、大平の世となり戦場働きより治世の能臣が必要となった江戸期以降です。
- wwweaz78
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たぶん戦国時代の傭兵としての にわか侍は食うのに大変だったので いくら娯楽が無い時代とは言え 儒学とかの本を読むような余裕は なかったので、かなりがさつだったのではないかと 推測します。 しかし牢人の立場でもいつかは仕官先を 見つけようとする人は日頃から 教養を身につけることは必須条件であったと 言えます。 仕官している武士はお屋形様に 気に入らるためにかなりの教養が 必要だったと思うのです。 儒学・朱子学や兵法書は当然読んでいた? また寺子屋に通っていたような比較的裕福な 武士の子弟であれば和算などもたしなみも あったのではあるまいか。 仮にいくさの真っ最中であっても 仕官する身の武士であれば大将に 対する所作は言葉使いは礼節をわきまえたもので あったことは安易に想像できます。 そうでなくては軍としての統制がとれなく なってしまう。 大将に使える軍師などはいつも冷静に 戦況を分析し孫子の兵法書はもとより 相当の教養がなくては務まらなかっと 思うわけです。
- g27anato
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申し訳ないけど、 「あんな」って、 「どんな」だか分かりません。