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武田信玄の魅力はどういう所にありますか。
大河ドラマをこれから観ようと思っています。戦国時代を代表する武将の一人だと思いますが信長との違いなどよろしければ教えて下さい。どなたか歴史好きな方よろしくお願いします。
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このドラマの最大の見せ場は、言うまでもなく信玄・謙信という軍事の天才が激突した川中島の戦いであり、またそこに至るまでの流れでしょう。戦国最強と呼ばれる上杉・武田ですが、当時この二人がいかに周囲から畏怖されていたかを理解した上でご覧になれば、また面白さも倍増すると思います。 「強い、などというものではない。人間離れしていた」故・司馬遼太郎氏の言葉ですが、世界史的にみてもこの二人ほどの戦術の天才は珍しいと述べておられます。それほどの天才が同時代の隣国に存在してしまったという運命そのものがドラマチックではないでしょうか。 信長との比較ですが、軍事面に関していえば謙信・信玄ともに信長など跳ねっかえりのチンピラ程度にしか思っていなかったでしょう。もし戦えば苦もなく織田軍を蹂躙したであろうし、そのことは信長自身もよくわかっていました。それゆえ信長がこの二人をどれほど恐れていたかは有名で、龍虎の逆鱗に触れぬよう平身低頭、卑屈なまでの媚態外交を行いました。 よく言われるように信玄の不運は天賦の才に恵まれながら互角の隣人と信越国境で延々と死闘を続けねばならなかったということでしょうね。 ちなみに家康は上洛を目指す武田軍に戦いを挑み、精強で名高い三河兵も木っ端微塵に粉砕されます。家康はこの時、武田軍の鬼神のごとき強さを目の当たりにして恐怖のあまり脱糞したという有名なエピソードを残しました。まあ、小学生がプロレスラーに喧嘩を売るようなもので当然の結果ですが、信玄相手に逃げずに戦ったという履歴は家康の最大の財産となり、後の天下取りに大きく貢献したといわれます。 個人的には二人の対照的なキャラの違いが一番面白いですね。私欲なく義を信じて戦うカリスマ武将・謙信の理想主義と、覇道のために何事も辞さず清濁あわせ飲む信玄の現実主義。このあまりにも違う二人の天才の対立が後世の人々に強烈な印象を与え、多くの伝説・物語を生んだのではないでしょうか。
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昨日まで、信州を旅していました。 信州の駒場で、「瀬田の唐橋が見える。進軍せよ」と言いつつ、黄泉の国に旅立った信玄を思って、ほろっとしていたところです。 カリスマ性のある、魅力のある人物だと思います。 信長がいつまでも少年の心を保ち続けたのに対して、信玄は、大人になることを強いられたようなことがあると思います。 もう少し、地の利のあるところに生まれついていれば・・・。 戦いのアーティスト謙信と張り合わなくても済んだのなら・・・。 ついつい、イフを思ってしまいます。
- 500416
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信玄は経営者として天才的。武田軍団の強さは軍事力だけではありません。「人は石垣、人は城」という有名な言葉に象徴されるように、信玄は人材こそが国を支える根本と考え、軍団全体の実力を高め、組織強化をはかっています。 信玄は、合理的な組織環境を整えると同時に、さまざまな方策を用いて人材の有効活用に努めました。たとえば、大失敗した部下にも新たなチャンスを与えます。家臣の能力を見極め、リーダーとしての責任を果たしたうえでの人使いの妙は、軍団の結束をさらに強固なものとしていきました。そして集まった人材が100%力を発揮できる環境をつくりました。 信玄の方針は現代の経営者の見本となります。武田軍の強さの秘密をまとめてみました。 ●優秀な家臣達が信玄の人間的魅力に魅了され結束した。 ●いろんな方向からモノを見る為に「思ったことは何でも申せ」と言っていた。信玄の意見と反する事を言っても怒らず、部下が意見を言いやすい状況を作った。 ●独裁に走らぬように皆の意見を聞き、大事な事は家臣達と話合い会議で決めた。話がまとまらない時だけ信玄の一存で決めた。 ●成果を上げた家臣にはその日のうちに即ボーナス。 ●有能な人物は身分関係なく即雇用(その後、いろんな武将が見習ってマネをした)。 ●戦の際は、「戦う前に勝つ」をモットーにさまざまな状況を想定して数十種類のパターンを先の先の先まで計画していた。状況に応じて臨機応変に戦略を変える武将が多い中、それすらも見越して事前に対策している信玄は尋常の頭ではない。 家臣にしてみれば ●自分の意見も言いやすくのびのび動ける(働きやすい環境) ●頑張った分だけ即評価してくれる(やりがい) ●部下を大事にしてくれる人間ができた主(忠誠心) ●強力な同僚達が揃ってるので切磋琢磨(競争意識) ●主が頭の中が凄い(優秀な社長) ●武田軍の潜在能力(将来性) これだけの条件が揃っていればが部下がむしゃらに頑張るのもうなずけるので武田軍が強かったのは当然。 信長も実力ある部下は即評価して使いますが、恐怖政治だったので信長に意見もしにくく、けっして働きやすい環境ではなかった。信長のように厳格と恐怖で縛っても人材は育ち、組織はまとまりますが厳しさと独裁ゆえに反感をかう事も多いでしょう。交渉・話術の達人「人たらし」で有名な秀吉も出世してからは力で人を縛る要素が強くなりました。その点、信玄が最も人を上手く使ってました。 信玄は戦闘力・政治力・人徳・カリスマ性を兼ね備えた最強の武将といえるでしょう。
- ihvii
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面白いところは、親子三世代追放したり しようとしたりした事です。また、かなり優秀な武将もたくさんいてかなり強かったみたいです。ドラマでは、ガクトもでます。
- tanuki4u
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フィクションとしての武田信玄 信長が、近代的センスの一号とすると、信玄は中世的センスの最期の(成功した)人物であります。 曰く、僧侶になったとか・・・ ===身も蓋もない話 信玄の民政とか、軍事とかいろいろ言われますが、結果としてそれなりの成功を収めている大名は、似たり寄ったり。結果論から言えば、やはり織田=豊臣の民政・軍事が最強であるので、天下を統一できました。 信玄が、称揚されるのは、信玄の部下や、その子孫が、徳川家に再就職して「信玄メソッド最強」と自己宣伝をくりかえしたためです。
お礼
本を読むより素人の方の見方を聞くほうが興味深くおもしろいですね。信玄を語るうえでやっぱり謙信の存在は欠かせないですね。信玄が死ぬ前に息子勝頼に今後は「謙信を頼れ」と伝えたというエピソードがあるように二人の天才はお互いの軍事的才能を認め合っていたんだと思います。これからドラマで始まるライバル対決が楽しみになってきました。他五人の方回答ありがとうございます。