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『明治維新の国際的環境』の要旨
今では古典となった石井孝『明治維新の国際的環境』の要旨は、次のようなものでよかったでしょうか。 政治史中心だった当時の史学会に経済史の実証的視点から衝撃を与えた名著です。 「幕末明治期は、欧米列強による『領土的分割』の危機では、なかった。 なぜなら、欧米列強はインド・中国を蹂躙した結果、植民地の経済・購買力を破壊し、工業製品等の消費地を自ら潰してしまった、と学習したから。 さらに、広大な中国との貿易高よりも、小国日本とのそれが高いことに気づき、踏み潰さずに、産業革命で作られた工業製品の販売先として、今後は商売しやすい統一国家に生まれ変わってくれる方を英国などが主導して望んだ。」 これらを、諸データを駆使し、あるいは翻訳して、実証して見せた。 当時、人からの聞き伝えで、門外漢の私はこう理解しました。訂正や補足をぜひご教示ください。よろしくお願いします。
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- ichikawa2017
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No.1です わざわざお礼を記入頂きありがとうごじます。 こちらの舌足らずもありやや誤解されてられるようですので追加説明をさせて下さい >三国干渉は明治維新の後の話です。ご自身の区分からも矛盾してますよ 三国干渉が明治維新よりも後のことだとご認識されているのであれば 「欧米列強はインド・中国を蹂躙した結果、植民地の経済・購買力を破壊し、工業製品等の消費地を自ら潰してしまった、と学習したから」 とされておられるのは何故でしょうか。 列強が中国を蹂躙したのは三国干渉をキッカケとした以降のことです。 上記の文章からすれば明治維新期に既に列強が中国を蹂躙していたとお考えになっているとしか受け取れません。 この為に三国干渉とそれ以降のことについて書かせていただきました。 >戊辰戦争で英仏の支援を旧幕も新政府も受けなかったのは両派のリーダーの硬い意志(民族意識)で断ったからからです 別段意志とか民族意識で断ったのではなく諸外国とは中立の立場になることで個々の渉を複雑化させないように断っていました。 現にイギリスは当初は幕府に加担していましたが途中から薩長側に加担するようになりました。 >イギリスが薩長の明治維新を応援していたのは有名な話で、パークス公使とその下で動いたアーネスト・サトウらの青写真通りに結局は明治維新は動きました。これに関する多くの逸話が残っているのに、なぜご存知ないのか不思議です? フランスが幕府に荷担しイギリスが薩長側に荷担していたことはよく知られた史実ですが、一時期公使になったとはいえ一介の通訳が日本贔屓であったということとイギリスが国家として薩長に荷担する形になったのとは無関係です。 むしろ強い影響を及ぼしたのはトーマス・ブレーク・グラバーです。 参考 幕末期における英仏の対日外交とトマス・グラバー http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180130132550.pdf?id=ART0009... イギリス史料による幕末期「攘夷」の考察 http;//ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180410053506.pdf?id=ART0009.. アーネストサトウが1866年に無題・無署名でジャパン・タイムスに寄稿した文章を纏めた英国策論が影響したという説も多々あるようですが影響を及ぼしたということを示す史実がありません。 書かれている事項が結果として維新後の政治体制に似通っているというだけのことです。 >「輸出市場として国土も人口も圧倒的に少ない日本」がなぜ、というところから「厳マニュ論争」も起こったのではありませんか。 日本の資本主義の発祥について服部之総が幕末の生産段階について「厳密な-本来的な-意味におけるマニュファクチュア時代」と主張したことに起因する論争ですが「輸出市場として国土も人口も圧倒的に少ない日本」がなぜ、というところからはじまった訳ではありません。 列強が中国ではなく日本を選んだなどということは議論にもなっていません。 >「門外漢」と書いたのは、明治維新の経済史に対して、という意味です。私が政治史や外交史で門外漢なのではありません。念のため。 当初の御質問では「当時、人からの聞き伝えで、門外漢の私はこう理解しました」とされておられませんでしょうか 尚、当サイトは議論の場ではなく質疑応答のサイトですので質問者が何に詳しいかなどというのは無関係です。 あくまでも質問された事項への回答となります。
- ichikawa2017
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>要旨は、次のようなものでよかったでしょうか。 明治維新の期間に関しては諸説ありますが最も早い開始年を天保の改革が失敗した1843年とし終わったのを最も遅い1889年としますとこの時期の中国は清王朝による統一国家でした。 一方日本は1871年の廃藩置県までは三百諸侯と呼ばれる大名によって分割統治されていました。 江戸幕府は中央政府ではありませんでした。 中央政府はあくまでも京都朝廷で江戸幕府はこの朝廷から委任されて大名を統括していただけでした。 各地の大名はそれぞれ治外法権を持っていて独自の法を施行していました。 この朝廷からの委託された権力を返上したのが大政奉還と呼ばれる儀式でした。 確かに当時のヨーロッパ諸国は産業革命で大量生産された物資を東南アジアや中国へ売り込んではいましたが三国干渉は市場開発ということが目的だった訳ではありません。 日本が日清戦争の結果遼東半島を獲得したことを止めさせることが目的でした。 列強は植民地を取得することよりも鉄道の敷設権や鉱山の開発権の獲得を積極的に行いました。 これ等の事業に必要な土地を租借という形で手に入れたり上海などの港湾都市に租界地を設けたりしていました。 インドに対するような傀儡政権を作って植民地化するといことはやりませんでした。 中国大陸が市場化したのはあくまでも結果論です。 戊辰戦争では幕府側も薩長側もフランスなどから軍事顧問は雇い入れましたが軍隊の支援は受けませんでした。 自前で作った軍隊に西洋式戦法を伝授させただけでした。 むしろ薩英戦争や下関戦争を行い更に生麦事件などを引き起こしていました。 イギリスが薩長が企てた明治維新を支援していたということは寡聞にして知りません。 輸出市場として国土も人口も圧倒的に少ない日本を選択したという論拠はどのような事でしょうか。 あるいは何を根拠に言われていますでしょうか。 >当時、人からの聞き伝えで、門外漢の私はこう理解しました。 再度近現代史を確認されることをお勧めします。
お礼
何か相当に見当違いなことを述べたような言われ方に驚いています。 ・三国干渉は明治維新の後の話です。ご自身の区分からも矛盾してますよ。 ・戊辰戦争で英仏の支援を旧幕も新政府も受けなかったのは両派のリーダーの硬い意志(民族意識)で断ったからからです。 ・イギリスが薩長の明治維新を応援していたのは有名な話で、パークス公使とその下で動いたアーネスト・サトウらの青写真通りに結局は明治維新は動きました。これに関する多くの逸話が残っているのに、なぜご存知ないのか不思議です? ・「輸出市場として国土も人口も圧倒的に少ない日本」がなぜ、というところから「厳マニュ論争」も起こったのではありませんか。歴史学の研究史を知らないのですか? ・「門外漢」と書いたのは、明治維新の経済史に対して、という意味です。私が政治史や外交史で門外漢なのではありません。念のため。
お礼
> 列強が中国を蹂躙したのは三国干渉をキッカケとした以降のことです。 不思議な見解です・・・。 英国が中国人をアヘン漬けにして多数の廃人を作った挙句に、アヘン戦争で戦争で中国を蹂躙し、南京条約で「香港島割譲、賠償金2,100万$、広州、福州、廈門、寧波、上海の5港開港、公行の廃止による貿易完全自由化」したのは、幕末・天保の改革のころです。 心ある人の日記・所感などにも何度も「中国の二の舞いになる」という危機感が記されていて、海防が進められました。 勝海舟が、慶喜が進めていたフランスとの連携を速攻で切ったのは、パークスにそれを伝えて薩摩との連携も切らせるための手だてです。日本人の争いに外国に手を出させないようにした行いは、「民族意識」そのものです。 英国公使パークスが本国の方針と無関係に動くはずがありません。公的人物の動きが無関係とは理解に苦しみます。 グラバーこそ、営利目的の商人・私人です。 > 結果として維新後の政治体制に似通っている 緊迫した幕末の情勢の中で、当時キーマンだった勝海舟の家に夜中に来て密談をしたりという記述が海舟日記に頻繁に出てきます。西郷らの討幕側とも接触しています。それで影響が無かったという方が無理でしょう。 > 「輸出市場として国土も人口も圧倒的に少ない日本」がなぜ、というところからはじまった訳ではありません。 いや、そこから始まっています。 > 列強が中国ではなく日本を選んだなどということは議論にもなっていません。 それは、『明治維新の国政的環境』の中で述べられていると聞いたので、今回ここでお尋ねしたのです。ここは服部之総とは結びつきません。 > 当初の御質問では「当時、人からの聞き伝えで、門外漢の私はこう理解しました」とされておられませんでし ょうか その通りです。ですから、その門外漢というのは、「幕末明治の『経済史』に関しては門外漢」という意味だと、補足説明したつもりなのですが、どうも伝わらないようです…。 質疑応答のサイトで質問者と回答者のレベルは、意思疎通に大いに関係があります。あまりに不可解な回答なので、参考までに申し添えたまでです。
補足
このサイトでは回答が得られないようなので、直接、図書館で確かめるべくリクエストを出しました。もうすぐ来ることでしょう。直接自分で読んで確かめます。これで締め切ります。