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朝鮮併合、満州建国の実益は?
- 朝鮮併合と満州建国にはロシア(ソ連)と欧米列強の侵略を排除する防衛目的以外に、何か実益を期待していたのか知りたいです。
- 素人考えでは、満州建国は農地と移民先の確保に役立てようとの目論見があったのかもしれないと思うものの、朝鮮併合には如何なる実益が期待できたのか見当がつきません。
- 経済的側面から言えば朝鮮併合は日本の損失を覚悟の上の政策のように思えてしまいます。
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はじめまして 朝鮮に関しては支配が長期化したためここだけでは書ききれないため満州国に限定します 日本の満州国建国の目的は恐慌により大打撃受けた日本経済回復のためと 品質では到底欧米製品に対抗できないため武力により排他的な日本の独占的輸出市場の構築にあります 1934年、日本政府『日満経済統制方策要綱』を閣議決定 ・日本企業と競合する満州の軽工業を抑圧する ・満州国政府に民族資本抑制政策を施行させ、日本企業の満州進出を容易にさせる →この満州国建国“ブーム”により日本は恐慌から脱出できた 日本の場合、資源輸入と重工業製品を生産するための工作機械を欧米、特に米に頼っていたため深刻な外貨不足だった そこで当時の満州国の日本以外の第三国輸出により得た外貨に着目、横取りを画策 →1938年、満州国と外貨利用協定締結 ・満州国が貿易により得た外貨の4割を日本に無条件に供出しなければならない ところが満州国の第三国貿易が赤字に転ずると逆に協定を改定し自らに負担がかからぬよう内容を反古にした 満州国建国5年目には満州国の全輸入額の8割を日本が独占 その間、満州国内の中国人資本を露骨に収奪し市場を奪った結果です 同年、満州国に対する物資動員計画を策定 ・満州国は日本に銑鉄・石炭・農産物を供出する 1940年、『日満支経済建設連携要綱』決定 ・満州国の対日従属の徹底、収奪強化 やはり満州国だけでも書ききれないですね 中途半端で申し訳ありません
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- megira
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通商白書のデータを見る限り、戦前の日本にとって、朝鮮が最大の食糧供給国になっていたのは確かですね。 http://www.meti.go.jp/hakusho/tsusyo/soron/S24/Z03.htm 戦前も、日本は主食糧の約2割を輸入に依存していましたので、食糧の安定供給源として重要であったろうと思われますね。 http://www.meti.go.jp/hakusho/tsusyo/soron/S24/00-07-0.html
お礼
ご紹介の資料が何を語っているのか、知りたいところです。 相互扶助に役立っていて双方にとって好ましかったのか、富の収奪で朝鮮、台湾が被害を被っていたのか。はたまた、 http://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/h18_h/trend/1/t1_1_1_02.html ここの「図1-11」から、日本が米国に無理やり農産物を買わされていると読む人はいても(農家?)、米国の富を収奪していると読む人はいないのと同様に、朝鮮、台湾に益していた証左と読むべきなのか。 真実は他の資料と組み合わせて読むしかないとして、昭和9年の朝鮮、台湾が食糧の供給源としてどれ程、重要だったかが分かりました。 貴重な資料のご紹介を、有り難うございました。
- bismarks05
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興味深い質問なので私見を述べつつ回答します A1について 私は、朝鮮に関する実益は、回答対象として除外されている安全保障上の理由以外にはありえないと思います。 他としては、植民地を持つことで列強と肩を並べたような体裁が作れるような思い込みがあったように思いますが・・・・・・ A2について 満州に関しては、満州域内の資源確保が主因だと言われていますし、その通りだと思います。 ただし、これまた除外された指摘がメインであって、資源確保の必要性以前に、拡大路線を止めれば、満州は必要不可欠とは言えなかったでしょう 回答の多くある指摘は、巷説の部類で、本当に資源があったとは断定できない話だったりします。 実際に近年では、メタンハイドレートはコスト的に見合わないこと分かってきたように、資源確保に関しては、希望的観測を前提にした評論が罷り通るので注意が必要です。 尖閣諸島の天然ガス・原油に関しては、存在するが、コスト的に見合わない可能性が高く、地下ガス田の安全性については懸念材料が膨らむ一方だったりします。
お礼
副次的な要因として経済圏の拡大を希望していたというのは少し分かります。というよりは、防衛力の強化と一体なのだと思います。 基本的なところで足並みが揃った国同士でないと経済面で協調できないのだと思います。平和裏には近代化してくれないので強力に介入しようという訳でしたか。戦後のGHQと日本の関係に共通していたと考えれば当たっているのか、いないのか。大きなお世話だと言われれば、誤るのが紳士的かも知れません。自己流の考えで当否は分かりません。 巷説は、しばしば結論だけで論証が抜けてしまいます。真偽を判定する嗅覚を磨かなければなりません。注意します。 調べてはいませんが、いろいろな質問でお世話になっているようです。有り難うございました。
- Pinhole-09
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昭和12年3月の朝鮮総督府の資料があります。(亡父入手) その1部を抜粋します。 朝鮮の鉱業はその地下資源の質の良好なると、量の豊富なると、 又一面内地に産出しない各種金属類が存在することとによって ・・・・・総督府においては積局的にこれが助長に努め、特に 産金にの奨励に拍車をかけた結果、 昭和5年の産金高 769万円であったものが 昭和10年には 5196万円と躍進している。 米は・・・・殊に南鮮地方に多く産し、年産1890万石で 内地へも移出している。 林野 …・併合以後植林の奨励、現存林野の保護に格段の意 を用いたので一時荒廃を極めた山林も為に林相を一変する に到り年産1億2千万円に達している。・・・・ パソコンは苦手でこの位で簡便してください。
お礼
ご多忙のところ、調べて下さって恐縮します。 総督府の策によって生産高が向上したのは分かりました。これを日朝がどう配分し、どう活用したかを追求しないと軽々には何も結論づけられません。 貴重なキーワード「昭和12年3月の朝鮮総督府の資料」が得られましたので、興味が続けばこれが突破口になってくれると思います。 有り難うございました。
- Pinhole-09
- ベストアンサー率46% (597/1294)
朝鮮、満州の豊富な資源獲得も狙いでした。 朝鮮(今の韓国、北朝鮮) 鉱物資源では、朝鮮全土に豊富な石炭、北朝鮮にとくに多い 鉄鉱石、金、亜鉛などです。 農産物では南朝鮮に広がる農地でとれる米を徴収して 日本に運びました。 満州(今の中国東北地区) 鉱物資源では撫順近辺の、鉄鉱石、石炭など。 満州と朝鮮の国境地帯は各種鉱物資源の宝庫でした。 農産物では大豆の大生産地で、日本は安く大量に買い付け、 本国に送ったり、輸出したりして利益を得ました。 続く不作で疲弊した日本の東北地方の、農民を救うため、 当地の若者を募集して満州に送り、耕地を開発し大豆の増産を 狙いましたが、土地を現地人より徴収して恨みを買い、また 耕作に不向きな荒れ地だったりして、成功しませんでした。
お礼
鉱物資源と農産物の名が沢山、挙がりました。 この通りなのかも知れませんが、無知であるが故に質問する立場としては結論だけを聞かされても、こう主張している方が居られるというだけで、なるほどという気分にまではなれません。 こう主張されるについては何かしら根拠となるデータを過去の何処かで把握されていることと拝察します。可能であれば覗き見たいです。 何か一つでも二つでもよいのですが代表例を選び、併合前、併合後または建国前、建国後の指標でも紹介して下さると有り難いです。資料は確かに存在しても、今直ぐ見つけることは容易でないことは誰にもあります。お一人だけに依頼するのは気の毒です。何方様なりと協力して下さると有り難いです。 有り難うございました。
- drgreen
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朝鮮併合は安全保障が重要だったことはもちろんですが その当時 欧米列強の時代は力が正義の時代で 力の無い国は支配されたり 不利益な関係を結ばれたりしたものでした。日本も当時 開国から続く列強との不平等条約があったり 何かと不利益を蒙る(こうむる)状態でした。併合による領土の拡大は列強への存在のアピールにもなったと思います。また、経済の面から日本の経済圏の拡大にも繋がったのでしょう、食うか食われるかの時代ですので食われたくなければ食う側になるしかなかった時代です。 満州国ですが これも防衛的側面が大きいですが こちらも経済圏の拡大の面と それに南満州の開発権を得た後に多くの日本人が開発に行きましたが 度重なる匪賊 現地人などによる略奪や暴行殺人事件に遭遇していました、内戦状態であった中国では鎮静化もできないこともあり、見通しもつかない状態でしたので 国家として独立を図り安定した基盤を満州に作りたかったのも狙いとしてあったと思います。
お礼
優先順位はともかくとして、経済圏の拡大が視野にあったという説は分かりました。 何らかの具体例を挙げて、朝鮮併合前はこれこれであった指標が併合後はこれこれに変化して日本側には正の効果があった一方、朝鮮では負の効果が表れている、という具合に数字で示すことはできないものでしょうか。 満州建国は実効が挙がらないうちに頓挫してしまったのでしょうが、35年間続いた朝鮮併合では何らかの記録が残っていてもよいように思います。もしも、こういう指標があれば納得し易いです。 何方様なりと、ご紹介下さると有り難いです。 有り難うございました。
- i035no025
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Q2について 満洲国建設は、世界恐慌のさなかの出来事ですから、日本のこの行動は対外市場拡大を目指すものだった、というのが一般的な理解ではないかと思います。
お礼
経済の知識がないせいか、植民地と対外市場拡大との因果関係が分かりません。 ここでいう対外市場とは消費地という意味で、無理にも日本製品を買わせるということですか。 対外市場拡大との見解に賛同する方は何方様なりと、少し説明して下さると有り難いです。 有り難うございました。
お礼
拝読しました。お礼が遅れて済みません。 当否に自信はありませんが、感想めいたものを記してお礼に代えます。NO.1からNO.7までの全てが正しいように思えて来ました。皆様のお陰です。知識が増えれば考えは変わるので将来のことは私にも判りません。 1.『日満経済統制方策要綱』は『国家総動員法』の満州国版と読みました。官僚作文は衣の下の鎧を隠す筈なのに、条文に「帝国の実権下に置き」や「統制」を包み隠さず連発するようでは推して知るべしです。 http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00096.htm 2. 『日満支経済建設連携要綱』は、 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48494/1/79_1.pdf ここの3箇所で登場します。当該箇所だけを、ざっと読んでおきました。『日満支経済建設要綱』として検索しました。この要綱の焦点は金融にあるらしいと読みました。 3.キーワード『物資動員計画』とは何ものであるか、正体を探っているうちに、みすず書房の叢書『現代史資料』に出合い、これが大いに参考になりました。 特に7巻の『四 満州国の育成』と43巻に収録されている『四 開戦前の物的国力と対米英戦争決意』が役立ちました。後者は終戦後に陸軍少将、岡田菊三郎が陸軍省に於いて講演した際の記録のようです。 人口が多い上に資源をもたない日本には戦争するだけの国力はないし、支那(ここでは当時の呼び名にしておきます)からの撤退もできないし、政府の終始一貫、苦渋に喘いでいる様子がよく語られています。 素人目には支那から撤退しさえすれば米英との妥協は成立したようにも思えますが、東条は何故近衛案を蹴ったのでしょうか。支那からの撤退の次には満州国解放を迫られるとの読みでもあったのでしょうか。それとも、米英の譲歩の限界点を読み間違えたのでしょうか。それはともかくとして、米英の要求を呑めなかったについては経済上の理由があったのだと思います。経済圏の拡大と呼ぶのが相応しいのか、植民地の経営と呼ぶのが相応しいのか分かりませんが、満州国から実益を得ていたのは確かだと思えるようになりました。 今回の質問からは逸脱しますが、岡田菊三郎資料からは多くの副産物が得られました。陸軍を含め誰も日本の戦争遂行能力を信じていなかったこと、近衛内閣時の撤退案がルビコン河だったこと、その他、巷間語られている定説の多くは、この岡田資料が母体になっているのではないかと思いました。 有り難うございました。