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「へし」という表記
「べし」を、古い表記では、 濁らずに「へし」とするばあいがあります。 これは、いつごろまでのことでしょうか。 また、現代で文語表現するときは、「へし」は古すぎてダメでしょうか?
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濁点に限りませんが、日本語の表記は文部省の国定教科書のような特別なものを除けば、おおむね「ある時を境にすべてAからBに変わる」ものではなく、「最初はAだけだったものところにBが出現し、ある程度の期間はAとBが併存する中で次第にAが少なくなってBが増えていき、最終的にはBだけとなる」ように漸進的に変わる傾向があります。 濁点にもその傾向があります。たとえば江戸時代の一般庶民向けの読み物にはすでに濁点が使われていて、式亭三馬などは鼻濁音と濁音を区別するために通常の濁点(゛)だけでなく、「白き濁り」という特製の別の濁点の記号(゛の内部が白抜き)まで使用しています。(19世紀初めに出版された「浮世風呂」) しかし、法令や詔勅などの公的文書では明治以後も濁点が使われず、例えば有名な「五箇條御誓文」(公布されたもの)の冒頭は「廣ク會議ヲ起コシ萬機公論ニ決スヘシ」ですし、明治22年に公布された「大日本帝國憲法」の第三条は「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」です。 昭和20年8月14日に作成され、翌15日に放送された「大東亜戦争終結ノ詔書」でも「…國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ 爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」となっています。「期スベシ」「朕ガ意」とは書かれていません。 ところが、その終戦から1年余り経った昭和21年11月3日に日本国憲法が公布された際の文書の冒頭にはこう書かれています。 「朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三条による帝國議會の議決を経た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」カタカナからひらがなに表記が変わるとともに口語体となり、「よろこび」には濁点が付いています。日本国憲法はこうした公的な文書の表記の面でも新しい時代を象徴するものであったことがわかります。 この意味では、江戸時代から昭和20年の終戦までは過渡期で、特に明治から昭和の終戦までは、新聞の一般記事や小説、学校の教科書など通常の文章では濁点が使われる一方、最も公的な文章である法令や詔勅(詔書)には濁点が登場しない時代だったと言えるでしょう。なお法令には濁点だけでなく、句読点などもありませんでした。 念のために申しますと、参議院法制局のサイトに次のように書かれていました。昭和になると法令でも濁点が用いられるようになり始めたようです。(以下引用) もっとも法令の平易化という問題意識が全くみられなかった訳ではなく、大正15年6月1日内閣訓令号外「法令形式ノ改善ニ関スル件」は、「法令ノ用字、用語及ビ文体ハナルベク之ヲ平易ニシ、一読ノ下容易ニ其ノ内容ヲ了解セシメンコトヲ期スベシ。」と述べているほか、濁点、句読点、括弧等の使用といった留意事項を具体的に挙げています。しかし、この訓令は、実際にはなかなか守られなかったようです。(引用終わり) http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column048.htm 現代では「するへし」と書かれたものを「するべし」のことだと気づいてくれる人は、あまりいないと思われますので使わない方が無難でしょう。(歴史的な史料を原文のまま引用する場合などはもちろん別ですが)
その他の回答 (1)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%81%E7%82%B9 濁点の使用が昭和からのことですから昔の字はヘシと書いてあっても何と読んだか分かりませんよ。大ふへんものと書いたのは武辺者じゃないよ不便者だよという洒落が歴史小説にも出てきます。 https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%B9%E3%81%97 昔書かれた仮名文字はヘシですが現在書かれる昔の文の解釈にはヘシと書く例がありません。
お礼
昭和からなのですね。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 大変、総合的学術的な指摘で深く納得いたしました。 ベストアンサーにさせていただきます。