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《哲学する者は神の国の外交官である》は成り立つか
1. わが心なる《非思考の庭》は 言わば《神の国》である。 2. ひとは 自然本性として身と心がそなわっており 身は 感性の原野を成し 心は 思考の緑野としてはたらく。これらは 経験世界の内にあり 経験事象と対応している。 ○ 自然本性:身(身体)と心(精神):経験存在 心:【考える】:思考の緑野 身:【感じる】:感性の原野 3. しかも人は これらの身体および精神だけではなくそれらを超えたナゾのチカラをも自然本性プラス・アルファとしてのごとく そなえている。――これは ふるくは ブッダター(仏性)やアートマン(霊我)あるいはプネウマといった神の霊なるチカラとして捉えられたものである。 4. このナゾのチカラを 《非思考の庭》と呼びたい。具体的には《心の明け》としてのごとく 知恵としてヒラメキを得させ 良心として身体の神経組織で恥ぢを知らしめるヤマシサ反応を起こさせる。 ○ 非思考の庭とは 心が閉じられていないことである 【信じる】:非思考の庭:聖霊(知恵・ 良心)・・・・【神の国】 ↓ ↓ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【考える】:思考の緑野: ヒラメキ ↓ ・・・・・【地上の国】 【感じる】:感性の原野: ヤマシサ反応・・【地上の国】 5. 信じる非思考の庭は 経験的な存在である人間すなわち《われ》の内にやどっている。これを 《神の国》と呼ぶことは 哲学はゆるすか? 神とは 普遍神である。 6. 哲学する者は 神の国の外交官(アポストロス)として生きると言えるか? 7. 地上の国のみで生きる人に対して 外交官は その人たちそれぞれと同じように成って 外交活動を繰り広げるであろうか。 8. ムンジェインやキムジョンウンあるいはシーチンピンと同じ思考や感性をおのが内にあたかも開発して 対話を推し進め得るか。 9. アマテラシテ天皇やアマテラス公民なる人びとそれぞれと心において同じように成って 社会と人間のあり方について 話し合いをすすめ得るだろうか。 10. こういう話はあり得るか?
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- piyopiyojyapan
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髪の国(つまり頭)の外交換だろ? つまりヅラじゃねーか(笑)
補足
駐日・《髪の国》大使館に勤務する哲学の徒・・・ってわけですか? このあと ★ ヅラ ☆ かるんだろう? 読んでくれてありがとう。