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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:《アルケーの神》は 《信じる》のではないのか?)

《アルケーの神》は 《信じる》のではないのか?

このQ&Aのポイント
  • アルケーの神とは宇宙の法則であると言われ、その表現は仮りのものであるか疑問視されている。
  • アルケーの神が宇宙の法則であるならば、自然現象や災害もその意志の現れとされるが、それは真実なのか疑問視されている。
  • 宇宙の法則という説明は仮りであり、アルケーの神の本体は分からないとする考え方が哲学的である。

質問者が選んだベストアンサー

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  • a_hona
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回答No.20

相対と絶対は言葉ではセットになっているが、相対でも絶対でもないものというのはあり得る。 それが何かと問われれば答えるのは難しいが、おそらく無数にあり得る。例えばカオスの内容物が計り知れず得体もしれないように、謎の何物かというのは、善悪はおろか、一切が謎であるのであるから、その性質を想定する主観を持った人間に、どのようなものであるかという想定は、一意に預けられる。 ここに、その主観の好き放題に謎の何者かを設定できる隙がある。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ ここに、その主観の好き放題に謎の何者かを設定できる隙がある。  ☆ そうかも知れません。しかもその設定では けっきょくのところ 《経験事象》かそれとも《非経験の場》かに二分されるはずです。それ以外にはないでしょう。    ということは 後者をえらべば 自動的に《絶対》をえらんだことになります。  経験事象が けっきょく相対の世界のことです。ということは 考えてみれば やはり二分されるのみだということになります。たぶん。

その他の回答 (19)

  • a_hona
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回答No.19

相対世界を離れているからといって、それそのものが即、絶対であるとは言えない。その交通整理が誤っているのではないだろうか。ここに、bragelonneの、自身の信仰する神が絶対であってほしいという願望があるのではないかと思う。自身の願望に従って、謎の何者かを定義してしまっているのではないだろうか。 水は汲めども尽きないほど無尽蔵にある必要はなく、十分にあるならそれでいいと俺なら考える。 無尽蔵になければならぬ理由がある場合を除いては、それでいいと考える。 どうだろうか。

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてです。  ★ 相対世界を離れているからといって、それそのものが即、絶対であるとは言えない。  ☆ 意味が取れません。《即 絶対である》と言える。というか それしか こたえがない。のでは?    ★ 水は汲めども尽きないほど無尽蔵にある必要はなく、十分にあるならそれでいいと俺なら考える。  ☆ 同じである。《無尽蔵》の場合も 使うのは《必要なだけ》である。    第一の事項 どうなりますか。

  • a_hona
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回答No.18

少し前にもどるが、信じる神を絶対として捉えるとはどういうことか。また、そのように捉えなければならない理由があるのか。

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてです。  考えるでもなく感じるでもないことがらは 経験事象を超えています。  言ってみれば 経験世界における因果関係から自由だということになります。(特異点であるかのようだということのようですが)。  だったら 非経験の場(そのチカラ・ハタラキ)は 相対世界をも超えているからには 絶対だという概念づけがおこなわれます。これは 推理の問題です。交通整理としてです。  これを 《絶対者》とも呼んだりするのは 擬人化して表現しているということです。ちなみにさらには 《全知全能》だとか《創造主》であるとかの物語も 想像の世界として おこなわれます。  絶対とは 無限とも言いかえられます。  ここで言う無限とは それを二で割っても三で割っても その商が やはり無限であるといった捉え方によるそれです。これなら 世の因果律に従いません。  つまり いくらか概念として扱うかぎりで その理論のような整理が行なわれ得ますが あくまでそれが何であるかついぞ分からないナゾの何ものかこそが 《信じる》の対象だと捉えられます。  《考える》を超えているその何ものかについて 《絶対・無限・永遠・・不可変性・遍在》といった特性が《概念として扱うときには 考えられて来る》ことがあります。  いちおう妥当な推論だと考えられます。

  • a_hona
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回答No.17

神の内容は誰にも知ることができない、と言っていたのだから、神が偏在しているとか、超えているとかいうことも憶測の域を出ず、それらを憶測することは主の言う、はからいに通じるものと思うがどうだろうか。 また、心に灯火の生じるのを自然着火としたならば、それは受動でも能動でもなく、ただ、ついた、ということになるのであり、その他の表現はある種余計であるのではないだろうか。

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてです。  ★ 神が偏在しているとか、超えているとかいうことも憶測の域を出ず、それらを憶測することは主の言う、はからいに通じるものと思うがどうだろうか。  ☆ ですから その段階のこととしては すでにわざわざ人間が神を概念として捉えて そこからいろいろ思考して神学をかたちづくろうとしているそのことであるとことわっています。  ☆☆(No.19お礼欄) ただし 信じる神は 絶対として捉えますから これは――概念として捉え《考える》かぎりで―― 相対的な経験世界を超えており 超えているということは 言わばおおいつつんでいるとも考えられます。  ☆ この中の《――概念として捉え《考える》かぎりで――》という但し書きです。明らかに概念を概念として用いて 神学を《考え》ています。つまり 明らかに《ハカラヒ》です。  もっともそれは ハカラヒのない白紙状態としての信仰が わが非思考の庭なる動態として軌道に乗ったあとにおいてです。  ★ また、心に灯火の生じるのを自然着火としたならば、それは受動でも能動でもなく、ただ、ついた、ということになるのであり、その他の表現はある種余計であるのではないだろうか。  ☆ そういう選択をおこなう人もいます。自由です。  一般には 汲めども尽きない泉の水のようにみづみづしい息吹きにめぐまれるのなら それを受け取り受け容れるものと思います。燈心がともされるなら そのようになります。

  • a_hona
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回答No.16

自身の経験と感覚によれば、ということであるが、心に灯火をもたらすものが、自然着火であったと見ることもできるわけだろう? ということは、bragelonneは、神=自然と言ったような認識を持っているのだろうか。

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてです。  ★ 自然  ☆ は 経験世界に属するものごとです。つまり 考えるや感じるの対象です。つまり:  ○ 《信じる》と《考える・感じる》との違い ~~~~~~~    非思考の庭(クレド=しんじる。心の明け。直感・ヒラメキ)    _______________________    思考の緑野(コギト=かんがえる。⇒田園および都市)    感性の原野(センスス・コムニス。直感かつ直観)    _______________________   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ただし 信じる神は 絶対として捉えますから これは――概念として捉え《考える》かぎりで―― 相対的な経験世界を超えており 超えているということは 言わばおおいつつんでいるとも考えられます。  神は この経験世界に《遍在》するとも捉えられます。つまりは 《自然》の世界としてもあまねく存在し もっと言えば《ハタラキをおよぼしている》と考えることにまで到るかも知れません。  これらのことは 概念として捉えたその前提において いろんな憶測を持つというその結果としてのことがらです。  ★ 自然着火  ☆ 心の燈心に火がともされること自体については 自然着火であるかも知れませんが 問題は――《信じる》がかかわっているからには―― このともされた燈心を自分が受け容れたということです。人間の――受動的な――意志行為も伴なわれているそのことです。

  • a_hona
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回答No.15

そもそも宿っていた神の霊のはたらきとはなんだろう。汲めども尽きないという立ち直りの力のことか? そもそもそれを神という存在に置き換える意味があるのか。もともと自分自身に備わっている、誰にでもある自信というものではないのだろうか。

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  ★ もともと自分自身に備わっている、誰にでもある自信というものではないのだろうか。   ☆ そうですよ。ただし わたしの感覚と経験では それは そのチカラをわたし自身の努力によって発揮させたというふうには思えない。わたしを超えたところからはたらくチカラだったと思っている。というだけの違いです。  たとえばつまり 心が沈んでいるひとに対して 思いやりをかけて或る程度元気を回復するように仕向けることは 人間の能力と努力とで出来ます。  それは 医療というチカラにまで発展しています。  あるいはまた そのような心および身についていろんな角度から研究をして その状態や因果関係などを人間は自分たち自身のチカラで知ることが出来ます。  そのように理性や心のあたたかさとしての光を当て闇を照らすことが 人間には出来ます。  ただしこの人間は 自分の心の燈心をともすことはできるか。或る程度一時的になら 出来るだろうか。  つまり このことが 《誰にでもある自信》としてもともと自分自身にそなわっているか。という問いです。  神の霊などといちいち言わないとしても わたしの見るところ・そして経験して来ているところから見れば 自分自身の――身と心に初めからそなわっていたとしても――努力によって点火したとは思えない。こういう事情です。或る日或る時 どこかからやって来て心の窓をノックした。・・・という事情です。  あなたの心に燈心はあるが 自分でともすことができるか。という問いです。   できるようでしたら いちいち《信じる》という領域は必要ないと思います。

  • a_hona
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回答No.14

それは、謎の何者かを受け入れるために、本来自分自身の居場所であった心(のスペース)を明け渡してしまっているのでは、と見たから。 そうではないならないでいい。

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてです。  ★ 本来自分自身の居場所であった心(のスペース)を明け渡してしまっているのでは  ☆ と言うよりも すでに生まれつきそなわった自然本性に 神の霊はやどると見るわけです。  或る日或る時 わが心の窓をノックする音がする。さあこの  ★ 謎の何者かを受け入れる  ☆ ことをおこなう。――という経過をたどりますが もとはと言えば そもそもやどっていた神の霊のはたらきである。ということかも分かりません。

  • a_hona
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回答No.13

どこを掘り下げて欲しい? 答えれるなら答えよう。 なにか、既に一度死んだ身であるかのような口ぶりだが。

bragelonne
質問者

お礼

 まづは ご回答をありがとうございます。  ★ なにか、既に一度死んだ身であるかのような口ぶりだが。  ☆ たとえば  ▲(パウロ:ガラテヤ書 5章 24節 ) キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。  ☆ であるゆえ。  ★ どこを掘り下げて欲しい?  ☆ そうだなア。  ★★(回答No.12) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  一連のやりとりで、俺は、君は実はかなり危ない崖っぷちにいるんとちゃうかと思った。  謎の何者かという想起できないものを受け入れるというが、それは単に、自分を投げ出したことになるんじゃないかと。精神の自殺行為のように思えてならない。それは信仰じゃないよ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《想起できないものを受け容れた》とき どうして《自分を投げ出したことになる》のか?  わたしがここにいて 受け容れた。どこへどのように自分を投げ出すのか?  《分からないところへ出かけて そのナゾを受け容れる》のではなく ここにいて受け容れるのに どうして《投げ出す》必要があるのか?

  • a_hona
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回答No.12

一連のやりとりで、俺は、君は実はかなり危ない崖っぷちにいるんとちゃうかと思った。 謎の何者かという想起できないものを受け入れるというが、それは単に、自分を投げ出したことになるんじゃないかと。精神の自殺行為のように思えてならない。それは信仰じゃないよ。

bragelonne
質問者

お礼

 そうかなア。  まづは ご回答をありがとうございます。  もう少しその推論のくわしいところを掘り下げてみないと 筋がとらえにくいのではないだろうか。  つまり それに対して反論するにしても しづらいところがあります。  そうですね。反論をしておかないと 話にならないと思われるからには。・・・  ★ かなり危ない崖っぷちにいるんとちゃうか  ☆ ではなくて そうではなく すでにはりつけに遭っています。  わたしはこの世に対して この世はわたしに対して はりつけにされています。  すでに書いたのではなかったっけ。崖っぷちからすでに落ちてしまっていますよ。  ▲ (詩編42:7) ~~~~  わたしは  わたしのたましいに向かって  くづ折れた。  わたしは   あなたに向かって  起きあがった。   ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ というその後の経過にもなっていますが。

  • a_hona
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回答No.11

相応しい言葉って、主の独断で決めれるの?あほちゃうか。一人でやっとき。

bragelonne
質問者

お礼

 問題を提起する。    質問者の考えを示す。  そしてその当否を問う。または 別の切り口からの見解をも問う。  ご回答をありがとうございます。

  • a_hona
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回答No.10

それが根気よく回答を続けた回答者に対する質問者の態度か?何が哲学や。聞いて呆れる。 謝罪を要求する。

bragelonne
質問者

お礼

 おたがいさま。  ご回答をありがとうございます。

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