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秋の夜の虫の声、隣人の物音、そして池に蛙が飛び込むポチャンという水音に静かさを感じる
- 日本人は秋の夜の虫の声、隣人の物音、そして池に蛙が飛び込むポチャンという水音に静かさを感じます。芭蕉も多くの句をのこしていますね。
- 先ごろ、保育園などの子どもたちの声がうるさいとか。除夜の鐘がうるさいとかの争いがあったそうです。
- これらは必ずしも、秋の夜の虫の声、隣人の物音、そして池に蛙が飛び込むポチャンという水音の情趣とは違いますが。日本人の感性が変化してきているのでしょうか?
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情緒の発生する日本語です。情緒の発生する言語は、世界中で日本語だけです。理由は、母音を強調するからです。その影響で、日本人の思考行動パターンが情緒思考になりました。外国は、アメリカでも、中国でも、論理思考で自己表現、自己主張です。理由は、発音が、リズム、アクセント、子音で、脳を刺激するからです。そのために情緒がありません。だから日本の伝統文化、和風文化は、情緒文化です。情緒文化は、世界中で日本だけしか無い、貴重で素晴らしい文化です。情緒思考文化は、外国の論理思考の自己表現文化よりも、精神性が高く、自然と調和した、神に近い文化です。しかし現代の日本人は、論理思考文化です。情緒文化を理解出来なくなっています。伝統文化を、学校教育で、必修科目にしないとダメでしょう。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。新しい時代は、情緒の心の時代です。脳の論理思考の時代は、終わりました。
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- SPS700
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1970年代に、虫の「声」と聞くから日本人の脳は違うという角田忠信の『日本人の脳』という本だ出て、そうじゃないという人 http://d.hatena.ne.jp/machida77/20170112/p2日本人の脳 そうだという人 https://ameblo.jp/kanaeloyale/entry-11137117160.html 色々論議する人 http://www.seas.or.jp/news/library/tsunoda.html などが出ました。僕はじゃご両親が日本人で、英語しか話せない子供さんは、と考えて、耳や脳のでき違いではなく、伝統の違いではないかと思いました。 同じ虫の音が、脳の構造の差で、日本語を話すと「声」に聞こえ、英語を話すと「雑音」に変わるのは変です。 感性は同じだが、それを受け取り処理する伝統が変わったのではないかと思います。
お礼
ありがとうございました。 私もお説の通りだと存じます。 除夜の鐘を騒音と感じるのはどうなんでしょうね。
- nekosuke16
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確実に自己チューになってきていますね。 自分などは、蛙飛びこむ水の音に、静寂を感じ、近所の小さな子供のはしゃぐ声に「おお、元気だな」と喜びを感じ、除夜の鐘には「今年も暮れるのか」などと感慨に咽びますが、どうしてそれを煩いと感じるのでしょうかね? 時代が変わったとは言え、かつての日本の教育、道徳の指針の中には、「仁義礼智信」という儒教的と言えば語弊がありますが、常に他者に対する配慮が優先されていた筈。 何事にも、自分の満足だけを追い求めるだけの矮小な精神。 まったく嘆かわしい時代になったのだと思いますよ。
お礼
ありがとうございました。 こうやって、日本人の心性も変化してきているのでしょうかね。 寂しいですね。
お礼
確かに。 ありがとうございました。 皆さんありがとうございました。