- ベストアンサー
七福神巡りは京都発祥だそうですが今もあり現存してい
七福神巡りは京都発祥だそうですが今もあり現存していますか? 日本最古の京都の七福神巡りはどこなのか教えてください。 当時の室町時代はなぜ七福神巡りという文化が生まれたのですか? 歴史に詳しい人教えてください。 寺の位置も法則性がない気がします。縦に南北に並べても結界にもならないし意味がない建ち方をしているように見えます。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
七福神起源。 インドのヒンドゥー教の神である大黒を台所の神として祀ることは最澄が 比叡山で始めたことでに民間に広まったたとゆう。 民間において日本の土着信仰の神の恵比寿と大黒で信仰されたが歴史的経緯は 分っていない。 平安時代以降、鞍馬寺の毘沙門信仰から毘沙門天と恵比寿・大黒三神として 信仰が始まった。 三神が一般的であったが平安末期~鎌倉初期の頃、近江の竹生島の 弁天信仰が盛んになると毘沙門天ではなく「恵比寿・大黒・弁才天」 とすることも増えていった。 室町時代、仏教の布袋、道教の福禄寿・寿老人などが中国から入ってき 知られるようになり、まとめられて七柱の神仏ができた。 室町時代末期頃近畿地方から始まり、銀閣寺代表される東山文化に時代 中国の文化に影響されて、大陸的な水墨画が多く描かれて、もてはやされて 画材は「竹林七賢図」(竹林七賢)この絵を見立てて人々は信仰されていた 七神を集めて七福神とした。 恵比寿=イザナミ・イザナギの子供「蛭子」もしくは大国主の息子「事代の主」 「大漁追福」漁魚の神様で時代と共に福の神として「商売繁盛」「五穀豊穣」 をもたらす神となりに日本由来の神。 大黒天=インドヒンドゥ教のシヴあァ神の化身マハ-カーら神、日本古来の 大国主の習合、大黒柱と現されるように食物・財福を司る神。 毘沙門天=インドヒンドゥ教のクベーラ神戦いの神であったが、仏教に 取り入れられて徳増進のかみとして民衆に信仰される。 日本では毘沙門天は「ヴァィシュラヴァナ」と呼ぶ。 弁才天=七福神の中の紅一点インドのヒンドゥ教の女神である サラスヴァテイー神、仏教に取り入られ音楽・弁才・財福・知恵のある 徳のある天女。 福禄寿=道教の宋の道士天南星または道神の神で南極星の化身南極老人 寿老人と同一されて長寿・福禄をもたらす。 寿老人=道教の神南極星の化身南極老人、日本では白髭明神とされる。 布袋=唐の末期の明州に実在したといわれる仏教の禅僧で太っておおらかな 風貌が好まれて、手にした袋から財を出し与えてくれる弥勤菩薩の化身とも 。言われる
お礼
ありがとうございます