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西京街道の名称に疑問

今日届いたチラシに西京街道探訪というテーマがありました。文化庁や教育委員会後援の事業です。 しかし、違和感があります。歴史的に、西京街道という名称はあったのでしょうか。 言うまでもなく、日本の歴史的街道には固有の名称があり、殆どの場合、行き先の地名が用いられてきました。日光街道、青梅街道、甲州街道などがその例です。これは下りの場合で、中心地に向かう場合は江戸街道とか京街道と呼んだようです。 京街道とは大坂から京都に向かう街道を指すのが普通ですが、丹波街道、奈良街道、小浜街道なども京街道と呼ばれたことが古い道標などで確認できるようです。 もともと方位を示す東西南北が街道の名称に使われることは稀有で、500あまりの街道名を網羅する全国街道総覧を見ても東高野街道と西高野街道などごく少数です。これも相対位置を示しているだけで、方位を示しているわけではない。 WIKIで確かめると、南京街道と北京街道はあるようですが、これは隣国の話。首都圏に東京街道があるのを見つけましたが、これは以前の江戸街道の名称変更だそうです。 もし歴史的に考えられない名称なら、文化庁や教育委員会がなぜ認めたのでしょう。初出は6年前なので関係者はもういないのでしょうは、子どもたちに間違った知識を教えることにならないか心配です。私は引退した地理の教師で歴史には疎いのですが、識者のご教示をお願いします。

みんなの回答

  • tak7171
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回答No.1

そのチラシにある文化庁の後援とは「観光拠点形成重点支援事業」のことではないでしょうか?その事業は「観光拠点地域の優良モデルを創出するため他省庁の観光関連事業と併せて行う『国指定等文化財の修理・整備等』に要する経費を国が補助する」というもので、ここでの文化庁後援というのは、おそらく街道自体のことではなく、丹波街道(篠山街道)に点在する文化財の修理・整備等の補助を文化庁に申請・承認されたということでしょう。つまりこの場合、文化庁から補助金申請書類上正確さを求められるのは補修・整備すべき文化財の名称のことであって、観光拠点形成事業のためのシンボル・名称として事業主宰者が採用したであろう西京街道という名の歴史的正当性の是非までは文化庁としてはあずかりしらぬことかと思います。西京街道という名称は、確かにwiki等には記載されておらず、一部のサイトに「丹波街道や篠山街道の別名」と書かれていますが、確認したサイトにはその根拠までは記されていません。しかし、観光の目玉として作られた新しい街道名は全国にはいくつも存在しています。今までなかったから認めないというのも一つの考え方ですが、今まであった名称でも時代によって変わることもありますし、かつて話題になった某セントレア空港ほどぶっ飛んだ名前でもないのですから、とりあえず見守るのもいいのではないでしょうか。