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七福神の歴史を教えてください。
七福神の歴史を教えてください。 ウィキペディアにも室町時代に流行ったと書いてるだけで情報が普及している割に浅いです。 誰が七福神を決めたのですか? 多分、昔のお偉方が信仰していた神を寄せ集めてそれらを七福神と纏めたようですが、誰が纏めたとか記載がないので良く分からないことが多いです。 纏めた人は室町時代の偉い人?有名人でどうやって庶民に普及していったのか知りたいです。 どうやって七福神を選んで選出したのか等の記録とか残っているのでしょうか? 七福神って日本独自の文化なのでしょうか?中国人は七福神を知らないのですか?
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>誰が七福神を決めたのですか? 現在の七福神は江戸時代の初めに上野の寛永寺を開いた天海大僧正だといわれています。 庶民にまで広まったのは中期以降のことです。 お経には七難即滅七福即生(しちなんそくめつしちふくそくしょう)という教えというか言葉があって人間社会の秩序を乱す七つの災難が挙げられいます。 (日月失度難(日食・月食)星宿失度難(彗星)災火難 雨水難。悪風難 亢陽難(旱魃)悪賊難) この七つの災難(国難)が生じたさいに薬師如来や観音菩薩を供養することで免れるという考え方です。 この七難を滅して福を招くことを人格神としてシンボル化したのが七福神です。 神と書きながら現在も神社ではなくお寺に祀られているのは元々仏教の教えからきたことに由来します。 >誰が纏めたとか記載がないので良く分からないことが多いです。 室町時代のものは現在とは違っていて数も三人だったり五人だったりしています。 元々民間に災難を防ぐ神様という考え方がありました。 古来の神道では亡くなられた人の魂は村落を見渡す山上にいて村落を守ってくれているという考え方があります。 現在でも田の神として春になると里へお迎えするという行事が残っている地方があります。 このように古くからの民間信仰が基になっていますので「誰が」という記録は残っていません。 >七福神を選んで選出したのか等の記録とか残っているのでしょうか? 天海僧正が家康に七福神を祀ることを勧めたさいに説明したとされています。 概略は次のように理由付けしています 寿老人の寿命、福禄寿の人望、恵比寿の正直、布袋(ほてい)の大量、毘沙門天の威光、大黒天の財富、唯一の女神である辨財天(べんざいてん)の愛敬(あいきょう)としています。 現在も七福神一人一人の功徳とされています。 >七福神って日本独自の文化なのでしょうか? 個々の神様については中国と共通部分がありますが七人をワンセットとしたのは日本独自です。 ただし恵比寿様は日本独自のものです。 >中国人は七福神を知らないのですか? 個々の神様のことは知っていますが七人をワンセッットとする考え方は持っていません。
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- SPS700
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1。誰が七福神を決めたのですか? 複数の人でしょう。 2。纏めた人は室町時代の偉い人? 下記だと成立は江戸時代だそうです。 http://www.kyosei-tairyu.jp/shichifukujinn/ 3。どうやって七福神を選んで選出したのか等の記録とか残っているのでしょうか? おそらく長い期間に、三とか、五を経て七になったので、書いたものはないでしょう。 4。七福神って日本独自の文化なのでしょうか? 七つ並べたのは日本です、国産は大黒様一人、あとはインドや中国からの輸入です。 5。中国人は七福神を知らないのですか? はい、知りません。
回答したところで、貴方は回答なんて読まないで「ありがとうございます」って返すだけでしょ。
お礼
ありがとうございます 回答は? ちゃんと読んでますよ
お礼
ありがとうございます