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【日本語・堂々巡り】日本語の堂々巡りの語源が京都東
【日本語・堂々巡り】日本語の堂々巡りの語源が京都東山の清水寺の本堂を民衆が江戸の飢餓が無くなるように夜通し仏に願いを掛けるために本堂の外をグルグル回ったのが語源となったと言われていますが、願掛けの意味がなぜ堂々巡りという同じことを繰り返すという悪い意味になってしまったのでしょうか? 堂々巡り=神様への願掛けなら分かりますが、 堂々巡り=同じことを繰り返すこと、 という悪いニュアンスで解釈されている理由が分かりません。 なぜこういうネガティヴの解釈になったのか堂々巡りの語源の歴史を教えてください。
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祈願や儀式のための堂々巡りが、いつしか子供らが手をつなぎながらぐるぐる回る遊びゴッコとなったもので、その変化も進展もなく、飽きもせずいつまでも続く同じことの繰り返しのありさまをも言い表わすようになったものです。 参考:輪遊び「開いた開いた」(「わらべうた 日本の伝承童謡」岩波文庫) 「江戸を中心に古くから行われた唄で、…[方法]子供達が手をつないで円く輪を作り、唄に合わせて開いたり、つぼんだり動作して遊ぶ。」
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- msMike
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失礼ながら、愚問だと思います。 bran111さんが仰るように、他の事象からの「転用」とされる言葉は枚挙に遑がありません。 例えば、「結果がどうなるか検討もつかないが、運を天に任せて思いっきりやってみる」で発せられる言葉「一(いち)か八(ばち)か」は骰子博打とか骨牌賭博用語からの転用の如し、です。(出典:語源由来辞典)
- bran111
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いくつもの説明がなされていますが、最も妥当なものは以下の通りです。 http://gogen-allguide.com/to/doudoumeguri.html 堂々巡りとは、信徒や僧侶が願い事を叶えるために、神社やお寺のお堂の周りを何度も回る儀式のことからきた。 願いがなうように何回も回った、ということが「堂々巡り」に転用されているのであって、そのような転用はよくあることです。しいて意味を突き詰めれば、願い事が叶うように何回も回ったって叶う場合は滅多にない(これを奇跡という)、堂々巡りの不毛さと一脈通じるということでしょう。
お礼
みなさん回答ありがとうございます 辞書より正しい認識ですね。辻褄が合います。