But it is also possible( and useful) to think of this process in terms of a structure produced and sustained through the articulation of linked but distinctive moments - production, circulation, distribution/consumption, reproduction. This would be to think of the process as a 'complex structure in dominance', sustained through the articulation of connected practices, each of which, however, retains its distinctiveness and has its own specific modaliry, its own forms and conditions of existence.
This second approach, homologous to that which forms the skeleton of commodity production offered in Marx's Grundrisse and in Capital, has the added advantage of bringing out more sharply how a continuous circuit-production-distribution-production - can be sustained through a 'passage of forms'.
和訳をお願いします。
「しかしこの過程を生産、流通、販売/消費、再生産という、お互いに関連しあってはいるがそれぞれが明らかに独自の形態を持つ構造として考えることも可能で (かつ有益で) ある。これを、関連のある活動であるとみなされるけれども、しかしそれぞれが独自性を保持し、それ自身の固有の機能を有し、それ自身の形態と存在態様を有する 「優越的複雑構造」 の過程として考えることが出来るかもしれない。
この第2のアプローチ (マルクスの 『経済学批判要綱』 および 『資本論』 において示されたところの、商品生産の流れを形成するものに対応する) は、流通-生産-販売-生産 というサイクルの連続が、どのように 「形態の流れ」 を通して維持されるかということを、さらにより鋭く明らかにする点で優れている」
* う~ん、簡単なことをめっちゃ分かりにくい表現で表している文章という感じですね。私に経済学は分かりませんし、専門用語なども分かりません。ただ、生産、流通、販売/消費、再生産というサイクルがあるということは理解できます。それぞれは独立した活動ですが、しかし互いに関連しあっている、ということですね。それだけのことを、こんなに分かりにくく書く必要があるんでしょうかねぇ?
* in Marx's Grundrisse and in Capital という部分は、普通の英文なら by Marx in Grundrisse and in Capital とでも書くのではないでしょうかねぇ。なお Grundrisse は Grundrisse der Kritik der politischen Ökonomie im weiteren Sinne という長い書名を持つ本のことでドイツ語、Capital は英語の書名 (ドイツ語なら Das Kapital) であると解しました。
お礼
毎度ありがとうございます。 本当にわかりにくい文章ですよね・・・もっと簡単に説明してくれたらいいんですけど・・