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赤穂浪人大石良雄の通行手形。

元禄15年10月、大石良雄は、垣見五郎兵衛と名乗って江戸へ下向しました。 Wiki「大石良雄」によれば通行手形(寺請証文)は、寺で発行したようです。 質問です。 垣見五郎兵衛は、武士(何藩の家中)としていたのですか。それとも、武士以外の身分ですか。 武士の場合、通行手形は藩が発行すると思うのですが、寺請証文を通行手形としたのであれば、武士以外の身分ですか。 よろしくお願いします。 大石良雄 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E8%89%AF%E9%9B%84

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回答No.4

bungetsuです。 お読みいただきありがとうございました。 >>すると、大石は、偽名ではなく本名で、そして浪人であっても武士身分で江戸へ下向したのですね。 ★はっきり言って「確たる史料」がありませんので、明言は避けたいと思いますが、おそらく、あなたの考えで良いと思います。 ただ「元赤穂藩士」などと記載すると、監視の目が厳しかったでしょうから、 「この者、大石良雄と申す浪人なり、剣術の(学問の)修行にて江戸へ下向する由・・・通行にご配慮をたまわれたし・・・」 のような内容だったのでは・・・と推測してみました。 >>当時の大石は、ご法度に触れる罪人ではないですから、偽名を使う必要もないということですね。 ★そうですね。罪人ではありませんからね。 また、「大石良雄」と言う名前だけでは、たとえ関所の代官にしても、それが「元赤穂藩士」だと知っていたかどうか・・・。 現代のようにTV,ラジオ、新聞があったわけではありませんので、全国的に知れ渡っていたとは思えませんからね。

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 確かに、大石の通行手形に関する「確たる史料」は無いようです。 図書館で手当たり次第に調べましたが、分かりませんでした。 #2の方のご回答で、日本橋で垣見五郎兵衛の名で投宿したと教えてもらったので、調べてみました。 赤穂大石神社の第3代宮司 飯尾 精著「実録忠臣蔵」では、垣見五郎兵衛の名で投宿したのだから、下向の道中も垣見五郎兵衛と名乗ったのかも知れない、と推測されています。 因みに、長男の主税は「江州郷士 垣見左内」と名乗って投宿しています。 勿論、本名で下向したのだろう、と推測する説もありました。

その他の回答 (4)

回答No.5

追記: あなたのご質問とは大分かけ離れてはしまいますが、お許しをいただけるならば。 ★「関所破り」「関所破り」と良く騒がれますが、「関所破り」が多いのは、もっぱら「風来坊」と何らかの事情で関所手形を取得できなかった「女性」たちでした。 ★参考になるかどうかは分かりませんが、次のサイトもご参考までに・・・。 https://okwave.jp/qa/q9206429/a25659213.html https://okwave.jp/qa/q9206429/a25660824.html

回答No.3

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 ★まずは「回答」から先に述べますと、 「寺」でも発行は可能でした。身分は「武士」(浪人)です。 ★私たちが、現代一般的に「通行手形」と呼んでいるものは、正確には大きく分けて「関所手形」と「往来切符」を混称(混同)したものです。 ★例えば、江戸から上方へ行く場合は、東海道ですと「箱根関所」を通らなければなりませんね。 ★そこで、旅人はこの箱根関所を通過するために、箱根関所のみに通用する「関所手形」を持参します。 ★この「関所手形」を発行できるのは、 ※武士の場合・・・主家の大名や旗本orその家老や側用人等の重臣が署名、捺印したもの。 「この者は、山田新之助と申す者にて、〇〇家××役△△の用向きにて・・へ赴く者なり、特別の御配慮を以て通されたし。 AA家家老何の誰兵衛(又は、大名の名で、大森藩越前守黒川大全) 印」 およそ、このような内容。 ※寺院関係者(僧侶や神官)の場合・・・住職や禰宜の署名、捺印のあるもの。 「この者は僧円心と申す修行僧にて諸国勧進の旅人なり・・・」 ※町人の場合・・・各町内ごとにある「辻番所役人」の署名、捺印のあるもの。 「この者は、江戸〇〇町の甚平と申す者にて伊勢神宮へ参拝に参る者なり・・・」 ★では、浪人などでは? 長屋に住んでいれば・・・町人などと同じ。 あるいは、大石内蔵助のように庵や屋敷などに住んでいた浪人などは・・・懇意にしている、あるいは知り合いの寺の住職、医師、俳諧師、儒学者etcの証明。 ★男の場合は上記のように、いたって簡単な書面でOK。 ★女の場合は、さあ「大変」。 ★ご存じのように「入り鉄砲に出女」。 例えば長屋住まいの場合には、「家主」(大家ではなく長屋の持ち主)の「許可証」(往来切符)の他に「番所」の「関所手形」も必要で、その内容は、「年齢」、「未婚か既婚か」、「背丈」、「体形」(細身だとか小太りだとか)、「髪型」、「顔の形」(丸顔だとか面長だとか)、「肌の色」、「ほくろの有無」(顔ばかりでなく、例えば、胸元にある、臀部にある、とか)、などの身体的特徴が記載されてありました。まあ、事細かに記載されていました。 ★この「関所手形」は箱根関所宛に出された証明書でしたので、男女共に関所で取り上げられました。 ★では、帰りは? 帰りにまた箱根の関所を通る旨を話すと、箱根関所で箱根関所の通過手形(関所手形)を発行してくれました。 ★次の関所がある場合には、申出をすると、箱根関所で次の関所宛の「関所手形」を発行してくれました。 ★芸人などの場合。 芸を披露すれば「関所手形」が無くてもOK。 ★関所の近隣の住民。 顔を覚えてもらえば「顔パス」。 ★考えてもみてください。 僧侶などは諸国行脚に、また、俳人の松尾芭蕉なども自由に諸国を巡っていますよね。 また、「お伊勢参り」などの信仰が盛んになると、老若男女、猫も杓子も江戸を「脱出」?していますよね。 ★「関所」「関所」と言いますが「出女」以外は、それほど厳しいものではありませんでした。 ★但し、個人的な「鉄砲」、「ギヤマン」(ガラス細工)などの「ご禁制品」の「密移入」、「密移出」などの監視は厳しかったのです。 <まとめ> あなたの質問への回答としては、 ★大石内蔵助は浪人でしたので親戚を頼りに来迎院の住職から、武士の身分のままに「関所手形」を発行してもらったのです。 ★なお、日野家用人垣見五郎兵衛はフィクションで実在しません。 ★また、大石内蔵助が垣見五郎兵衛を名乗った、という説は、明治時代の漢学者、信夫恕軒(しのぶじょけん)が書いた「快挙録」に出てきますが、後世の好事家が捏造したものだ、と言われています。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 すると、大石は、偽名ではなく本名で、そして浪人であっても武士身分で江戸へ下向したのですね。 当時の大石は、ご法度に触れる罪人ではないですから、偽名を使う必要もないということですね。 武士であれば、関所手形には、「○○家中の何某」と明記されていると思うのですが、大石の場合は、手形が残っていなければ、想像するしかどうにもならないですね。

回答No.2

一点だけ。 「日野家用人」というのはフィクションの話です。「日野家用人・立花左近」という映画のフィクションと、日本橋に投宿した大石の偽名垣見五郎兵衛という史実から講談や映画で作り出したフィクションです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「日本橋に投宿した大石の偽名垣見五郎兵衛という史実」があるのですね。 苗字を使ったということは、町人・商人ではない可能性が高いですね。 「宿改め」されるおそれもあるので、寺請証文には「垣見五郎兵衛」となっていたと思いますね。 大名・小名の家中の者なら藩邸に泊まるはずだと思われるから、「用人」なら都合よさそうですが、フィクションですか!

  • jkpawapuro
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回答No.1

垣見五郎兵衛は日野大納言家の用人です。 武家の用人なら士分なのですが・・・公家の用人はどうなんだろ?身分的には公家なのでは?と思いますがすいません浅学につき身分がよくわかりません。 ただどちらにしろ赤穂藩の人間ではない人に化けるわけですから、寺で発行したもなにも赤穂藩の寺にそんなもの発行する権利は無いわけで、寺で偽造したということになるかと思います。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ウソかマコトか知りませんが、wikiには「大石家の外戚にあたる卓巖という人物が、泉涌寺塔頭の来迎院の住職をしており、この人物を頼って良雄は来迎院の檀家となって寺請証文を受け…」とあります。 本名ではなく偽名で寺請証文を発行してもらったということは事実でしょう。 江戸への道中、身分を士分にした方が都合よいのか、士分でない方が都合よいのか、 どのような旅姿だったのか、つまらぬことを考えていました。 「用人」ですか、なるほど!

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