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江戸時代後期の通行手形
我が家に寺の発行した通行手形があります。 どんなときに使ったのか、どの辺まで有効だったのかが判りません。 寺が村の家々を管理していて、人別帳も寺に有ったと聞いていますが、我が家にあった通行手形がどの辺まで有効なのか、知っている方がおりましたら、よろしくお願いします。 自分の藩や領を出るときの一番簡易な通行手形なのか、神社仏閣発行の物はお伊勢参りなどの時に有効なのか、 あるいは商売で隣接する藩に行く為なのか、はたまた黄門様のように商売上なら、諸国漫遊できたのか? よろしくお願いします。
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関所や地方の番所を通る時に見せる往来手形 (道中手形)ですね。 旦那寺や名主などが発行するのですが、時代により 藩により発行法が異なります。 寺や名主などは発行したことを藩に届け出しますが 新発田藩のように先ず願いを出して承認を求める ところもありました。 出国の承認書類に当たるわけですが、商売のため、 信心のため伊勢参りのためなど、理由を書き 旅行期間を書くこともありました。 江戸後期になるとルーズになり手続簡略化され、役所に 届出もなくなったといいます。(天下泰平になり) 寺の往来手形の一形式 氏名 この者拙寺旦那に相違なく御座候。 用向き 年 月 日 寺名 御関所 御役人中 なお必ず書かれているのは 「この者が病死しても、こちらへのお知らせは無用、 お慈悲でそちらで葬って下さい」の文面です。 虫のよいお願いのようですが、行き倒れは当地の 人が面倒を見るのはしきたりでした。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>寺の発行した通行手形 これは寺社奉行が発行した手形と同じ役目をし、主に、お伊勢参りとか、四国霊場巡りなどに利用されました。 全国の関所を通過することができました。 また、寺の手形があると、行く先々で寺(宗派に関係なく)に無料で泊めてもらうことができました。 商売のためなどに使用することは、一応、禁じられていました。
補足
ありがとうございます。 全国のお参りが出来る手形ですか、なんかすごいです。 四国巡礼、出雲大社参拝、お伊勢様参拝、熊野詣で、京都の本山参り、関東の本山参り、出羽の月山参り、陸奥の恐山参りなどでしょうか、書いてある字が読めないので、 何時から何時までの期間にどこそこの神社にお参りする手形など行き先限定なんでしょうね。 手形をもらった人の名前が、○○村○○屋○○蔵みたいに、屋号が入っていたので、商売用かと思っていました。 お伊勢さんまで行くなら、○○の國○○郡○○村 ○○蔵のようにまるで知らない國でも出場が判るようになっているのかと思いましたが、そこまでなくてもよかったのかな。 あるいは、我が家で先祖が寺社手形を流用して商売に使っていたのでしょうかね?
補足
ありがとうございます。 藩によって発行手順が違うんですね。 手形一つでどこまででも大丈夫なんですね。 大阪から恐山往復なら、日本海側を通っても、太平洋側を通っても良いんですね。 上手く行けば日本一周が可能なんですね。昔は海運で日本海側が表だったようですので。 我が家の通行手形で読めるところだけの文言で、寺が発行した物に、我が家の屋号が書かれて名前が書かれていたのが、どうも胡散臭くて、偽物かなと思ったりもしましたが、そんな偽物作ったって何の得にもならないしなぁと。 その文書一つで、我が家には明治になるまでは名字が無かったんだとの証明として使っているだけですが。