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お江戸日本橋七ツ立ち。

「お江戸日本橋七ツ立ち」という歌があります。 江戸時代のいつ頃のことか、また季節も不明ですが、日本橋にあった大木戸は“七ツ時”には開いていたということになります。 経済活動が活発となり、人の往来が激しくなった頃からは、大木戸は季節によっては“七ツ時”には開いていたという人もいます。 四ツ谷や板橋の大木戸も含め、大木戸の開く時刻を幕府はどのように管理していたのですか。 よろしくお願いします。

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  • jgk99
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回答No.1

正確なところは別の人にお任せするとして…。 いつ頃の歌かというと、三代将軍の頃に参勤交代が制度化されてからの風景を唄ったものと考えます。 歌のできた時期については私は知りません。 参勤交代の多くは春・秋に行われていたと思います。 他のことと同様、法律による制度化ではなく、ほぼ慣例化という状態で多くの例外があります。 日本橋には大木戸はなかったと思います。 品川の大木戸は明け六つに開きます。 すべての大名行列が日本橋を渡るわけではありません。大名屋敷との位置関係で日本橋を通らない大名もいたはずです。 歌の中に「こちゃ高輪(品川)夜明けて提灯消す」とあるはずです。 つまり、行程に無駄が出ないように、品川大木戸を明け六つ早々に通過するためには、日本橋を七つに出発するという典型的な情景を唄ったものかと思います。 私も、他の方の回答を楽しみにしています。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 大変参考になりました。 歌の解釈はいろいろあるようです。 「行列そろえて」とありますから、大名行列の出発かもしれません。 しかし、2番の文句は、「恋の品川女郎衆に 袖ひかれ のりかけお馬の鈴が森  こちや 大森細工の松茸を」ですから、うまく繋がりません。 1番、2番それぞれ別の情景を歌ったものかもしれません。

その他の回答 (4)

回答No.5

また訂正です。 お蔭参りは https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E8%94%AD%E5%8F%82%E3%82%8A でした。

回答No.4

誤植をお詫びします: jgk99 三は⇒jgk99 さんです。 お江戸ではhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ お蔭参り が行われていました。 町内でも、割り当てで今年は貴方がとか誰それとかの指名でお伊勢参りしておりました。

回答No.3

jgk99 三のご回答を申しております。

回答No.2

ご回答は端唄の描くことからは遠く、矛盾するかのごとくですね。 以下のサイトの一番上の一番左の端唄をご訪問ください。 https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E3%81%8A%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B&tid=ef14ed153affa5b1158ed2978e6a14fa&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1

kouki-koureisya
質問者

お礼

動画の紹介、ありがとうございます。 私の歳には、ピッタリの調べです。