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お江戸日本橋七ツ立ち。
「お江戸日本橋七ツ立ち」という歌があります。 江戸時代のいつ頃のことか、また季節も不明ですが、日本橋にあった大木戸は“七ツ時”には開いていたということになります。 経済活動が活発となり、人の往来が激しくなった頃からは、大木戸は季節によっては“七ツ時”には開いていたという人もいます。 四ツ谷や板橋の大木戸も含め、大木戸の開く時刻を幕府はどのように管理していたのですか。 よろしくお願いします。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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お礼
ご回答ありがとうございます。 大変参考になりました。 歌の解釈はいろいろあるようです。 「行列そろえて」とありますから、大名行列の出発かもしれません。 しかし、2番の文句は、「恋の品川女郎衆に 袖ひかれ のりかけお馬の鈴が森 こちや 大森細工の松茸を」ですから、うまく繋がりません。 1番、2番それぞれ別の情景を歌ったものかもしれません。