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江戸時代まで、方位磁針が使われなかったのは何故?

 日本の航海術は発展せず、江戸時代ですら陸地が見える距離までを範囲に船を動かしていたと何かのサイトで見ました。 星や太陽を見ることはあっても羅針盤は使われていなかったとのこと。 (小笠原諸島などを発見した時には使われていたかもしれませんが。)  羅針盤は大航海時代には必需品なので日本に来た人々は皆持っていたと思います。 質問です。 (1)江戸時代以前は海外と交易もあり、海外に出兵もしたのに、何故羅針盤は使われなかったのでしょうか? (2)羅針盤はいつ伝えられたのでしょうか? (3)羅針盤のような方位を示す物が日本で初めて使われたのはいつ頃なのでしょうか? わかる人、教えてください。どうぞよろしくお願いします。

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  • buchi-dog
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回答No.1

航海術 (中公新書 135) 茂在 寅男 著 http://www.amazon.co.jp/dp/4121001354/ に、質問者さんの疑問への答が出ています。 この本によりますと、17世紀初頭に日本人が書いた航海術についての教科書が現存し、当時の欧州の船乗りの航海術と全く遜色ないか、あるいは更に独自の工夫を凝らした技術が書いてあるとのことです。 また、当時の御朱印船の船乗りが実用した海図は多く現存し、その内容は西洋人が作成したものと全く変わらないとのことです。 上記の本は古本、または図書館で読むことが可能ですので呼んでみて下さい。

higasi0214
質問者

お礼

この本は大変興味深いです。 戦国時代から江戸時代にかけて日本の航海技術がどう変わっていったか知れそうです。 以前、地図も海上保安庁(だったかな?)のを見てみました。 17世紀くらいのはあったのですがそれより前の地図は中国へ渡った日本人が書いた日本の地図と、西洋人が書いた地図しかなく、西洋人の方はかなり間違いが多かったです。 地図についても詳しく知れそうですね。 休みの日でも図書館に行ってこようと思います。 ありがとうございました。

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  • isa-98
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回答No.3

忍者は船形の磁石「耆著」を使用して方位を知るとあります。 (大学文献) http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/1301/1/erar-v39n5p33-44.pdf 手裏剣の作成中にいきなり磁石になったので 今のコンパスように赤い色を付けてぶら下げて用いたと言うのは 信憑性ゼロですね。ーー; >何故羅針盤は使われなかったのでしょうか? 不要だったからです。 北前船では港伝いの商いでした。 ほぼ1年をかけて行き来してました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%BB%BB%E3%82%8A%E8%88%AA%E8%B7%AF また、漁業も近海操業が主でした。 江戸時代後期にもなると遠洋、深夜航海も増え、 船磁石(羅針盤)を使うようになります。

higasi0214
質問者

お礼

手裏剣の作成中っていうのはおもしろいですね。 不要だったからですか。 もし日本人が羅針盤を知っていたら船に装備することを考えると思ったんですが。 万が一の遭難とか、戦争もあったし・・・。 船を作る人たちもそういう方向には頭が回らなかったのかな。 後期からなんですねー。だから島と島が離れてる地域にも後期は行けるんですね。 どうもありがとうございました!

  • gungnir7
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回答No.2

羅盤が奈良時代に日本に来ていたといったら驚かれるでしょうか。 とは言っても占いの道具としてです。中国の気学では方位を中心に占います。 その道具として方位を陰陽五行と組み合わせた羅盤は必需品でした。 安倍晴明で有名な陰陽道も羅盤を使っています。 羅針盤が発明されたのは宋の時代の中国だとされています。 尤も初期のものは磁性を持った針を水に浮かべていた程度でした。 そして上記の理由から航海の道具としてよりも易学で使われていたと推測いたします。 あれほど領土を拡張することに熱心であったモンゴル族でさえ 海上進出は毛頭なかったのですから、方位磁針は航海の道具ではなかったのでしょう。 そういう意味で羅針盤の重要性は中東や西欧の貿易商の方が認識していたと思われます。 羅針盤が航海の道具として発達するのはやはり西欧においてです。 西欧に伝えたのはマルコポーロともアラビア商人ともいわれていますが、 ダンテの神曲にも登場することから1300年の頭には伝わっていたようです。 大航海時代には方位磁針の他に大型で船足の速い帆船の技術力が必要不可欠でした。 結局、これらの開発は東方貿易に熱意のあった西洋の執念とでもいうべきでしょう。 大航海時代に至るまでの数百年の下積みで、日本とはまるで実績が違います。 ただし、日本の凄いところは当時の一級の技術を取り込む力があったことです。 西欧人は鉄砲を量産する日本人をみて、帆船と大筒の技術は教えるなと舌を巻いたそうです。 こういう状態なので日本に羅針盤が入ってくるのは種子島以降ということになります。 検索をかけましたらこういう書籍もあるようです。 http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_4048981730

higasi0214
質問者

お礼

たくさん色んなことを教えていただいてありがとうございます。 私も西欧人に教えてもらえなかったということもあるのかな、と思っていました。 図書館に行った時にこの本読んでみます。

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