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刑罰「江戸払い」の罪人。
「江戸払い」を命じられた罪人は、品川、板橋、千住、本所、深川、四ツ谷大木戸の外へ追放されるそうです。 大木戸までは、誰かが見張って、大木戸から外へ出たことを確認するのですか。 地方からの出身者の場合、とにかくその地方へ帰ろうかということになれば、「路銀」と「往来手形」が要ると思いますが、誰かが面倒みたのでしょうか。 江戸生まれの者の場合は、ゆく当てもないので、大木戸近くの村に居座るようなことがあれば、その村は迷惑だと思いますが、そんなことはないのでしょうか。 いつもつまらないことを想像して質問し、すみませんが、よろしくお願いいたします。
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>「江戸払い」を命じられた罪人は、品川、板橋、千住、本所、深川、四ツ谷大木戸の外へ追放されるそうです。 その通りですね。 >「路銀」と「往来手形」が要ると思いますが、誰かが面倒みたのでしょうか。 一般的には、路銀は身元引受人です。 江戸所払いは、軽犯罪が多いので「関係者が路銀の工面」をしたようです。 ただ、多くの者は路銀を持たないで追放となりました。 が、人別帳から消される(住民票が無くなる)ので無宿人になります。 無宿人は、手形を持つ事は出来ません。 ひっそりと暮らした様です。 >江戸生まれの者の場合は、ゆく当てもないので、大木戸近くの村に居座るようなことがあれば、その村は迷惑だと思います 実際、大木戸の近くで生活していた者もいたようです。 が、先に書いた通り「軽犯罪」ですから「身内が面倒」を見ています。 同時に、江戸所払いの刑を受けた者を受け入れる施設も存在しました。 まぁ、一種の刑務労働ですがね。 人権なんかありません。^^;
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- kzr260v2
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>>大木戸までは、誰かが見張って、大木戸から外へ出たことを確認するのですか。 はい。おおよそそのようにされていたようです。 >>地方からの出身者の場合、とにかくその地方へ帰ろうかということになれば、「路銀」と「往来手形」が要ると思いますが、誰かが面倒みたのでしょうか。 路銀や手形など支給されないどころか、戸籍から抹消され、一切の保証人を付けるようなことはできなくなります。結果ほぼ、非合法なことをして生活することになったようです。 >>江戸生まれの者の場合は、ゆく当てもないので、大木戸近くの村に居座るようなことがあれば、その村は迷惑だと思いますが、そんなことはないのでしょうか。 はい。まさにその通りで、犯罪者が別の場所で罪を犯すだけでしたから、追放刑はあまり使われなくなり、江戸時代のある時期から更生することを考慮していたようです。 以下は國學院大學の、今回のご質問に関連する記事です。追放刑の説明もありますので、ご覧になってみていただけたらと思います。 吉宗の法典で大転換、罪人に開かれた「更生」への道 https://www.kokugakuin.ac.jp/article/55442 以上、参考にならなかったらごめんなさい。
お礼
ご回答ありがとうございます。 國學院大學の記事は、大変参考になりました。 吉宗の時代以降、罪人を追放するのではなく、更生させることを重視したこと、よく分かりました。
- tzd78886
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役人が付き添って大木戸の外へ出たことを確認します。大抵は身元引受人を決めてから行先を決めます。「罪人」といっても、江戸払いになるくらいのレベルなら大して重い罪を犯したわけではありません。何らかの仕事ができる人がほとんどなので、身元引受人は大抵見つけることができます。江戸では10両(相当)以上盗んだら確実に死罪です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 大罪を犯した罪人ではないから、たいていは身元引受人が見つかり、なんとかしただろうということですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 無宿人となってひっそりと暮らしたのでしょうね。