jgk99のプロフィール
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- 登録日2009/10/17
- 「藩」とは?「家中」とは?
幕末期の武士階級の日記や書簡をみると「藩」という字が溢れています。 「本藩」「弊藩」「一藩」「他藩」「尊藩」「諸藩」「列藩」のように自領にも他領にも使用されています。 藩の呼称は,江戸幕府の大名領に対する公称ではないとされていますが、あたかも公称のごとく多用されていると思います。 当時は、藩ではなく「家中」と呼んでいたと聞いたこともありますが、「家中」は、自領内向けの用語で、例えば「御家中の面々へ」というように、使う場合が多いと思います。 質問です。 幕末期、武士階級では「藩」という概念が広く行き渡っていたと思っているのですが、このような認識でよいでしょうか。 「書状」や「日記」をキーワードにちょっとググッタだけの感触ですから自信ありません。 そこで、他の大名領を「藩」以外の用語、例えば「家中」などと呼んだ例があれば教えてください。 なお、幕末とは、嘉永六 (1853)年ペリー来航後くらいとします。 よろしくお願いします。
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- kouki-koureisya
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- 災害時用に携帯トイレを買おうと思うのですが、災害時
災害時用に携帯トイレを買おうと思うのですが、災害時に避難所の小学校のトイレはどんな感じになってるのでしょうか?買うならどんなのを買うのがいいですかね?
- 東海道53次。宿場間の距離。
どうでもいいような疑問ですが教えてください。 1. 御油宿と赤坂宿との間隔は、53次中最も短く、16丁(2km足らず)です。 なぜ、こんなに間隔を短くしたのですか。 2.見付宿と浜松宿間は、最も長く、4里7丁(約17km)です。 なぜ、こんなに間隔が長くなったのですか。 天竜川の両岸には間宿もないようです。 よろしくお願いします。
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- kouki-koureisya
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- お江戸日本橋七ツ立ち。
「お江戸日本橋七ツ立ち」という歌があります。 江戸時代のいつ頃のことか、また季節も不明ですが、日本橋にあった大木戸は“七ツ時”には開いていたということになります。 経済活動が活発となり、人の往来が激しくなった頃からは、大木戸は季節によっては“七ツ時”には開いていたという人もいます。 四ツ谷や板橋の大木戸も含め、大木戸の開く時刻を幕府はどのように管理していたのですか。 よろしくお願いします。
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- kouki-koureisya
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- 象印やサーモスの水筒のフタが樹脂なのはなぜ
本体はステンレスなのになぜパッキンや蓋部分にゴムやプラスチックを使うのですか。 本体がガラスで外側が金属でパッキンはなくて蓋は銅、の魔法瓶はなぜ作れないんでしょう。
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- 物理学
- noname#226602
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