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意識存在は輪廻転生の証拠となり得るか
- 意識が存在することは、現世に存在したという証拠となり得る。
- 意識は無に帰した後、ふたたび現世に現れる可能性がある。
- 意識と機械のスイッチを同一視することはできない。意識は感受性と創造性を発する主体があるかどうかということと関連している。
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人の一生。だいたい80年。生まれて死んでそれで一回。始まって 終わる。 質問の前提としては、何かが、ずーっとつづいてて、ある一回の 人の一生にはその何かが、乗っかってて、その何かは、一生が終 わると、別の一回の一生に乗り移る。みたいなかんじか。 質問者様は何かを意識としている。やっぱり、死んじゃうと、消 えちゃうので、とりあえず、ずーっと続く何かとしておく。 始まりはあったんだろう。生命が誕生して進化してずーっと続く 何かを持つようになったんだろう。または、別の恒星系ですでに 、生命が誕生したりしてて、ずーっと続く何かを引き継ぐように なったのが、今の地球の人かもしれん。 現在、ずーっと続くなにかがある。ということを起点にして、過 去、未来にずーっと伸ばしていける。ビックバン・ビッククラン チなど知らぬ存ぜぬ!!!!! 場合分け。 ・一回で終わる。 →ダライラマ1。おわり。 ・一回を繰り返しずーっと続く。 →ダライラマ1、ダライラマ1、ダライラマ1、・・・ ・引き継いでずーっと続く。 →ダライラマ1、ダライラマ2、ダライラマ3、・・・ ・引き継いでずーっと続かない。 →ダライラマ1、・・・、ダライラマ14、(解脱)おわり。 全部のずーっと続く何かが続かない場合は、ずーっと続く何か が有限個だと、無限の時間がたつとみんな解脱する場合がある 。 ずーっと続く何かが無から生まれたり、分裂する場合がある。 参考の質問。http://okwave.jp/qa/q9223207.html ずーっと続くのは何だろうか。 ・たとえば、うなぎ屋の秘伝のたれ。 →つづきながら変わっていく。レシピは固定。 ・たとえば、循環小数。 →同じ1回を繰り返す。 ・たとえば、円周率。 →繰り返さないでずーっと続く。 ・たとえば、生命。 →つづきながら自己複製して繰り返す。結構死ぬ。 ・たとえば、DNA。 →つづきながら生命に乗って繰り返し変わる。案外消えない。 ・たとえば、たましい。 →わからん。 質問者様は生命よりも、物っぽくなくて、pcよりも、生命っぽい、 たましいよりもわかりやすい、DNAよりうつろいやすい何かを想定 している様子。 今をどう生きるかについて 今この瞬間が長・短期的に最善の選択ならその積み重ねは最善の 生では?攻殻機動隊 (2)最後から20ページ前くらいのところより。 www.amazon.co.jp/dp/406334441X 終わりがあるなら、終わりから逆算して、最良の今を生きればよ い。いつ終わるかわからんので、うまくいかん。 ずーっと続くなら、ゲーム理論の無限繰り返しゲームの最適戦略 (参考URLより)。たぶん、ゲームのルールがどんどん変わっていく のでやっぱりうまくいかん。 ベストも、ベターもなさそうだな。ランダムだろうか。とりあえ ず、しっぺ返し戦略でどうか。ハムラビ法典でどうか。ルールが 変わっても、目には目を。歯には歯を。フレブ ザ フレブ クロフ ザ クロフ(パンにはパンを 血には血を セルビア語 みたい。Hleb u tiganju Крв у крви)心には心を。意識には意識 を。阿頼耶識には阿頼耶識を。ずーっと続く何かにはずーっと続 く何かを持って贖うのだ!!うごごご!!! 失礼。取り乱しました。
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- kurinal
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>「無は考えられない、ということでしょうか。」 「無限大」ということを前提とすると、そういうことになると思います。
お礼
無が考えられないならば、有るとしか言えなくなりますね。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
>「可能性は無限大にあるんですよね。しかし、証拠にはならないんですよね。感覚で捉えられられないから。 私としては、現世に存在した、という実績から、次もあるのではないか、と予想するしかないんですよね。」 その通り!!。 ・・・というか「無限大」を前提にすれば、そうなるところですか。 (「宇宙の外側タマネギ理論」により、究極なんて判らないということになる)
お礼
無は考えられない、ということでしょうか。
- oyatsuya
- ベストアンサー率21% (111/517)
No.12および13です。 >パソコンに超越的世界から何かが働きかけているというお考えでしょうか。 いいえ。超越的存在がその意志を持って働きかけて利用しているというのは私には分かりません。単に、意識の素と表記できる目に見えないものは、自在に流動的に、有機物のみならず無機物の内部も移動して、伝播媒体となっていると思うし意思も存在させることもある又は存在させていると思うんです。 私も長らく輪廻転生を信じていました。でも最近は、意識の素の行先、あるいは居場所としての環境は、輪廻転生システム環境以外にも在るというか用意されているのではないだろうかと思っているのです。 そういえば、輪廻転生から外れる魂もあるという説は読んだことがあります。神への段階を踏むとか逆に行くとか。でもそれはやはり人知の範囲です。私は、現在の人知の範囲外の環境世界も存在するのではと、このごろ思っているのです。 >私が死ぬまでの間に、それが分かると 私は、死後に自分が(このまま)存在できるか確信は無いので一応としてなのですが、死後も視野に入れています。
お礼
粒子の細かさが変わると、物質の制限がなくなると思います。物にも憑依できるでしょう。ITC(インストゥルメンタル・トランス・コミュニケーション)というものもあります。 ・・・ただ私は、これらのニューエイジ系思想が、どこまで信じられるのか分かりません。 輪廻転生は、複数回の現世生活で卒業し、輪廻しない世界に移行すると言われています。仏教で言うところの、「声聞界」以上という階層です。そこは守護霊の世界で、無意識の彼方から人間を導いています。 これもニューエイジ系思想で、どこまで信じられるか分かりません。
- oyatsuya
- ベストアンサー率21% (111/517)
No.12です。12は、質問文しか読まないで回答文を書いてしまっていたので。 私もこの世は長らく生き辛く苦難そのものでした。でも、努力と?!経年による?!環境の変化で身動きがしやすくなり、今はちょっと同化することと殆どを見ないようにすることと、自分の義務?のようなものを果たしていくことと、楽しみ的なものを多少たしなむことでこの世での時間を消費しています。 私も、再び・・はできれば願い下げですが、どうなるかはわかりません。 今とこれからと、もしかしたらその先も、分からないことを知ることができるかもしれないからという多少の希望と多少の意欲と多少の夢で、やっていけてるしやっていけるのかなという気もします。
お礼
現世が実現したなら、次もある、と考えるのが本来の自然な考えなのではないでしょうか。 人間は、物質のコントロールに成功しはじめ、感覚がすべてなのだと偏った見方をする傾向にあります。それは物質のコントロールに目がくらんで、想像力が欠如した状態である、と私には思われるのです。 輪廻転生の考えは、バラモン教にのみあったのではありません。ピタゴラスにもあったのです。これは、世界的に広く古代にあった思想です。それは、そう考えるのが自然だからでしょう。 物質のコントロールに成功しはじめたのは、せいぜいここ400年の話です。感覚で知れる世界がどこまでなのか、その追求も永遠になされていきます。今は、たぶんニュートリノとかヒッグス粒子とかいったものが、感覚で捉えられた最小のものだと思います。これから先、感覚で捉えられる範囲はどんどん拡がっていくわけです。すると、精神機構に作用する別のものが露わになっていく可能性もあります。 その、いつか感覚で捉えられるが、今は捉えられないものを、感覚で捉えられない何か、と今は呼んでいるわけです。 もっとも、私が死ぬまでの間に、それが分かると楽観視する気にはなれません。
- oyatsuya
- ベストアンサー率21% (111/517)
えっと、 【無】に、二つの意味があるのを意識されたほうが、思考に混乱が生じないと思います。 「一般的に使われている慣習的な『全てにおいて何もない』」と、「『現在の人の目(化学力)で見えるものは無いが、見えないけど意識の素は内包されている』」と。 それから、 >現意識は現世に存在するという間違い と書かれていますが、「間違い」という認識は、質問者さんの個人的見解であって、事実は不明ですよね。 それと、 >優れたパソコンであっても、それは意識ではありません たしかに、パソコンは有機物ではないのですが、無機物にも「上記の2つめの『無』」に内包されている見えない意識の素は通い影響を与えるのを私は知っています。起動のon-offにもです。 >意識はまだ得体の知れない何かです。 「人の思考の影響下のものの『意識』」と、『それと似ているけど違うもの』と、はっきり区別して観察や思考されたほうが先に進めると思います。 >睡眠と死を同一視するのも間違っているのではないでしょうか。 同感です。 >意識があるということは来世も存在するということなのでしょうか? 質問者さんの想像される世界であったりなかったりするかも知れませんが、『意識』にとって現世とは違う環境もあると思います。
お礼
全てにおいて何もないことを無と呼んでいます。感覚で捉えられないが、意識を超越した何かがあるという場合は、無ではないです。意識が無だと感じている有です。意識が無だと感じている有から、部分が湧出し、意識となります。この場合、意識は超越した何かの部分です。 「間違い」は私の主観的感想で、客観的事実ではありません。意識を超越した何かが、霊性進化のために魂を現世に遣わしたのだ、と正当化するのが輪廻転生のある世界ではないか、と思います。 死後の世界が無いという場合は、現世に産まれることは間違いでしかないことになります。生命体は、苦しみを回避する、という条件に従うことしか、行動原理が無いからです。私はそれを不自由な状態だと考えています。奴隷が、常にムチを振るわれて働かされている状態だと思います。そのムチというのが、食欲、性欲、怪我、病気、精神的苦痛、その他ありとあらゆる苦痛なわけです。ありとあらゆる苦痛には、自分がポジティブで明るく思っていることも含まれます。何故なら、そう思わないことが苦痛だからそう思ってるからです。 そういうわけで、死後の世界が無いとすると、現世は苦痛だけの世界になり、霊性進化とかいう報酬、あるいは良いカルマによる報酬などもなくなります。その場合、私の、現世に産まれることが間違い、という認識は正しいと思います。 死後の世界が、霊性進化のためとか言って現世を正当化するなら、私の主観的感想は客観的に正しくないことになります。それでも、現世が苦しみの世界であることに変わりはありません。 どっちが正しいのかは分かりません。 だから、私の「間違い」という言葉は主観的感想でしかありません。 そして、現世に産まれることが間違いという考えが、主観的感想だったとしても、別に問題はありません。私は主観として述べたのです。 もっとも、私は霊性進化システムそのものがイジメだと思っていて、そんなシステムを強要する神など認めない、という考えですが。 パソコンに超越的世界から何かが働きかけているというお考えでしょうか。その辺はよく知りません。 「得体が知れない」というのは、人間の意識が脳に付随する、顕われた感覚質に過ぎないのか、それとも感覚では捉えられない世界の部分なのか、が分からないという意味です。 感覚で捉えられない世界が存在することを、肯定的に考えるご意見ですね。私は、超能力の存在や、臨死体験の研究などにより、感覚で捉えられない世界は存在するのではないか、と思っています。 これはご都合主義ではなくて、悲観的な考えです。何故なら、超越的な何かが、再び現世に魂を送る仕組みにしている可能性があるからです。 私はカルマとか霊性進化とかいったシステムにしている神など認めません。苦しみを経験しなければ幸せになれないなどというシステムは、嗜虐的な神か無能な創造者によるもの、もしくは、神など存在していなく、永遠に苛酷な大自然が横たわっているだけなのだ、と思えるからです。 神が全知全能であるなら、悪の存在は神が悪であることの証明です。 悪を駆逐出来ない神は無能なもの、あるいは、神など存在しない、存在していても無視していいと考えていい。 ただただ酷い大自然が、どこまでも永遠に続いているのではないか、そう思われるのです。
- stmim
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この問題はPsychic_studentさんにとって悩みなんでしょうか? 悩みだとした場合の回答を書いておきます。 昔、中国に「空が落ちてくるのじゃないか?」と悩んでいる人がいました。 杞憂のもととなった故事です。 私にはそれと同じにみえます。 このことを考えるのが楽しいですか?楽しいなら考えるといいと思います。 でも心配なのだとしたら、考えるのをやめたらいかがでしょうか。 というのは来世があるにしてもないにしてもPsychic_studentには対策をたてようがないからです。心配してもしなくても同じになるなら、心配しないほうが得じゃないですか? もし悩みなら忘れてしまうのをおすすめします。
お礼
今をどう生きたらいいのか、という悩みです。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
Psychic_student様、こんばんは。 >「現意識があるということは、現意識は、現世に存在したということです。」 そうですね。 >「意識があるということは来世も存在するということなのでしょうか? 」 ・・・そういう、「世界」が生じる可能性は無限大にある、ということだったと思います。
お礼
可能性は無限大にあるんですよね。しかし、証拠にはならないんですよね。感覚で捉えられられないから。 私としては、現世に存在した、という実績から、次もあるのではないか、と予想するしかないんですよね。
- sunabo
- ベストアンサー率35% (24/67)
たとえば、意識を川にたとえてみればどうか。 前提。 山がある。 山のてっぺんから水が湧く。 考察。 水が流れる。土が削れて溝ができる。 溝に沿って水が流れる。 溝が少し曲がっている。曲がっているところには 溝の片側に水が当たる。片側の土が削れる。 曲がり方が大きくなる。 曲がり方がある程度より大きくなると、水が 溝の反対側のにあたって、水がショートカットする。 溝の形が複雑になる。 溝を削りきってしまうと、山が壊れる。 結論。 川と流れと溝の形と溝の形の変化が意識。 湧いてる水がちょっとの間止まるのが眠り。 山が壊れるのが死。 とすると、輪廻転生した後、また山があって、 てっぺんから水が湧いて最初から土を削り始める ことになる。記憶は持ち越さない。 っていう説明?だと、 山があっててっぺんから水が湧く。 ので 意識がある。 意識がある ので、 山があっててっぺんから水が湧く。 って変かもなって感じか。 意識は輪廻転生の証拠となり得ない派の回答でした。 輪廻転生するならするし、しないならしないだろうな。 意識関係なさそう。悟ったらしないことになってるな。 悟ってもする人もいる。今のダライラマさんとか。もうしないけど。 川は複数できそうだけど、意識が分裂しないってのも 前提しちゃってましたね。 pcだと、仮想pcを複数台立ち上げれる。 参考URLで意識は一つの論文。分裂したっていーじゃん。 意識が存在した。って過去形で言うのなんか引っかかるな。 今にしか存在しないような気がする。 死んだ後の記憶の持越しが重要そうです。
お礼
私は意識は知覚の連続そのものだと思っており、知覚を追う意識主体があるのではない、と考えています。 前述の機械との差別化というテーマにおいて、意識とコンピュータとの違いは、感受性と創造性を持つ主体(つまり心)があるかどうかであると述べました。 しかし、この感受性と創造性を司っているのは脳であり、それ自体は無意識であろうと、認識を改めました。意識は、脳から発せられることの一部が顕われたもの、受動するだけのもの、それが純粋な意識だと思っております。 今は、受動するだけならコンピュータでも同じだと思っており、それだとコンピュータにも意識は宿るのか、という話になってしまいます。これは、どうも現実っぽくない。そこで、コンピュータに意識があったとしても、脳という生命に付随する意識と、機械に付随する意識が違うから、コンピュータの意識と、脳の意識は全く別のものなのだ、ということで、人間の意識とコンピュータの意識の差別化を図っているところです。 脳とコンピュータの違いは、感受性と想像力や創造力があるかどうかということだと思います。また、感情も脳にはあってコンピュータにはないでしょう。 それらの顕われである意識は、たとえコンピュータにも意識があるのだとしたところで、まったく違うものだと言えるのではないか、と思います。 阿頼耶識というものが存在するならば、それは感覚を超えた世界ということではないでしょうか。 感覚を超えた世界に、本当の水の発祥地があり、どの山に宿るのかを決めるのかもしれません。 阿頼耶識が感覚意識では捉えられないものであるならば、それは山とか川とかいった、感覚で規定される物質世界の法則に従っているかどうかも分からないのではないでしょうか。 阿頼耶識が存在するかどうかは、分からないと思います。なぜなら、感覚で捉えられないからです。
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
Psychic_studentさんと私は逆の悩みを持っていると思います。 私の悩みはこの意識はやがて死とともに消滅して復活できないことが恐怖であり不安であり悩みです。もし、別の肉体で意識が復活できるなら私は無限に生きることが可能です。もし、そうだったらいいなと思います。 私は「仕組み原理」というのをいつも考えています。すべての事柄には仕組みが必要だと。 仕組みなしに存在できるものはない。そして簡単なものには簡単な仕組み、高度なものには複雑な仕組みが必要です。意識はとても高度な存在です。だから意識には相当に複雑な仕組みを必要とします。それが脳です。複雑な脳の神経回路です。ですから複雑な装置である脳が存在しない場合は、仕組みを維持できないので意識は存在できないと思います。 仮に意識が脳とは独立して存在できたとしてあなたの死後に他の肉体にやどったとします。その場合に、今のあなたの意識と転生したあなたの意識で共通なものは何でしょうか? 何も共通なものはないように思えるのですけど・・・。そうしたらそれはまったく別物じゃないでしょうか? 「この私」という感覚は共通かも知れません。しかし、それは現在地球上で生きている全ての人間がもっている感覚です。どの人も、「この私」という感覚を持っています。つまり「この私」という感覚では、それが「私」かどうか区別できないです。
お礼
これは回答No.2の御礼欄と同じことを返信したいと思います。 私の懸念は、また生まれ変わって苦しみを受けなければならないのか、ということです。 でも、来世の意識がその時「生きている方が死んでいるよりも良い」と感じるなら、それでいいのかもしれません。 それは、生の本質が苦痛にあることに対する無知から出る認識だと、私には思われるのですが、無知の状態から抜け出そうとしないなら、好きにすれば、と思います。 それでも、食欲が苦痛から起こり、性欲が苦痛から起こり、怪我、病気、精神的苦痛、自然現象による苦痛、その他ありとあらゆる苦痛のせいで、人間は強制的に行動させられているのだ、という生命活動の本質に変わりは無いと思います。 だから、生まれ変わりなど無い方が良い、私にはそう思われるのです。 意識の起こる原理に脳が関係しているのは間違いないと私にも思われるのですが、感覚で捉えられない、素粒子より微細なものが、そこに関係していない、という保証は感覚で捉えられない以上ないと思われます。その微細なものが、肉体を超越して自分の意識を他の生命に移させる可能性が、全くないとは言い切れないのではないでしょうか。
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
意識が存在するというのが錯覚なのだと思います。 ある意味で意識は存在していない。意識は脳がみせている夢のようなものです。 映画をみている時、スクリーンの中に人がいるように見えますよね。 本当は映画はスクリーンに光が当たっているに過ぎない。 映写機を止めれば消えます。意識は脳が投影している映画のようなものです。 脳が機能停止する時、意識は消えます。 痛みとか苦しみとかは本当には存在しないものです。脳が感じさせるから、ある気がしているだけです。痛みを伝える神経を遮断してしまえば、痛みを感じることができなくなります。 本当は存在しないものを、存在しているように感じている可能性を考えてみてください。 脳と意識が関係ないとしたら、脳が発達していない幼少期の意識がはっきりしないのは変ですよね。また、年をとって痴ほう症になれば意識がはっきりしなくなります。意識と脳は不可分で、脳が意識を作り出している。あるいは意識があるように思わせているのです。 意識は眠った状態からさめたのではなく、あなたの幼少時の脳の発達とともに出来上がっていくものです。 あなたは脳にだまされて意識があるように感じているだけなのです。 意識があるように思わせているあなたの脳が消える時、確実にあなたの意識も消えます。 復活はありません。
お礼
意識が復活することはない、それはホッとする結論です。 意識が、赤ちゃんの脳で神経回路を整備することによって連続性を持ちはじめ、認知症と共に弱まり、死と共に消滅する、それはそうだと思います。 そして、それは睡眠という日常的な現象とよく似ていると思います。だから、想像しやすいことだと思います。 しかし、これらすべての認識は、肉体が存続しているという条件の上での経験であって、肉体が消滅した場合、意識は無いと確認することはできません。他の肉体に生まれ変わっているかどうかも確認できません。 意識とは感覚質だと思いますけれども、感覚を超越した存在があって、その超越した何かが、脳を離れた世界を操っているという可能性を否定することは出来ないと思われます。なぜなら感覚では捉えられないのだから。 肉体が消滅した後、他の何かの生命体に宿っていることは絶対にない、という保証はないのではないでしょうか。
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お礼
なにも分からないまま今を、最善と思うことをして生きるしかないのだと思いました。 一生けんめい考えてくださり、ありがとうございました。