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宇宙の存在と究極の真理について
- 宇宙の存在と究極の真理について考えます。
- 宇宙が存在し、我々が存在する理由について考えます。
- 全ての終点に向かう究極の真理について考察します。
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質問者が選んだベストアンサー
その「永久存在」や「絶対存在」が「無」の姿なき姿としてあたかも文字化けを起こすかのごとく展開している姿が万物。 このようにデコードされた姿であらわれるという存在の運動様式そのものが、永久かつ絶対の機構。 とわたしは思います。
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- jameseuk
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人を感じます。宇宙が人間が存在するそのものに何かを見いだし理由付ける。人から見た宇宙感を感じます。
お礼
回答ありがとう(*^_^*)
究極の真理の中に生きながらどう思うかですか・・・・・ただただ驚嘆しております
- ks5518
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『南無妙法蓮華経』 森羅万象に通じる生命の連鎖は、『南無妙法蓮華経』の元に 連動している。 これが仏の説いた究極の生命哲学である。と、されています。 私は、唯唯凡夫の身なので検証する事は出来ませんが。 一度、『仏法と宇宙を語る』著:池田大作を読んでみてください。 貴方なら何か判るかも。
- ok9608
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==感想== 質問者さんの立場は 全てが消滅する ということを究極の真理として そこから様々な問題を考えると いう ことと理解します。そのことは 一人の考えとして尊重します。と同時にN人いればN人の考えもあると思うのです。他者の考えを理解することも重要とおもうのです。ポストモダンではN人の考えが相互理解されることが望ましいと思います。私は 全て消滅するかどうか分らない という考えです。もちろん 科学とか論理学とかをベースに考えています。 他者の理解例で、例えば psytex氏の考えは非常にユニークであることは 分りますが 内容は 物理学の不確定性原理の世界と思考の世界が融合されているようですが 私には理解できません、ということもあります。他を理解することは重要ですが 大変だ という現実もあるということです。他者の考えを参考にされて ご自身の考えを深めて欲しいと思います。
- yuniko99
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その究極の真理は尤もですが、永遠に到る事はないので 僕は「永遠への存在」と呼んでいます。 人間は太陽エネルギーの供給を受けて生きてるわけで その供給がなければ死んでしまうでしょう それでも尚且つ人間が永久・永遠を目指すのは永久機関 原子・分子のような存在があるからです 人間に真理が分からない様に 永遠も追求する事はで来ても到達する事は出来ません この宇宙が大きく変化して崩壊するか 一極集中するかした時に 人間の意志の未来がどうなっているか これは誰も知ることが出来ません。 何故宇宙が存在するか それは宇宙が出来る前からの因果律ですからこれも時間を辿っていくとどうなるか いまだに知れてないですね。存在することに理由はないのではないでしょうか 存在しているか いないかのみ問えると思います。 ビッグバンは究極のブラックホールの大爆発だったのかもしれません。
上から目線の宇宙論と通常の宇宙論があります。 質問者様の宇宙論はそういう意味で通常の宇宙論に近いカテゴリーのものでしょう。 上から目線の宇宙論を振りかざす痴漢には ほめ言葉に異常に敏感 他人は俺を落としいれようとしているとの勘違い 馬鹿をだまして尊敬させたい 能力のある人間をできるだけ避け、馬鹿・未開人を集めてえらそうにする 仮説 主観 に終始しているくせに他人を批判する という習性があります。気をつけてください。
- 雪中庵(@psytex)
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簡単に「存在」から論議をスタートされていますが、その『存在』に ついて、どれほど分かっておられますか? その論議の前提を正確に把握すれば、答えも自ずと与えられるのです。 日常的実感(素朴唯物論=認識とは独立して外的実体がある)によると、 「有」を排除した所が「無」です。 しかし「有」の実態を探求すると、それは無とオーバーラップする ものである事が分かります。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限につめ込むと 存在確率の山が平らになって、無と等しくなるのです。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、認識体の 仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体は その光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的 不確定性)としての宇宙を認識するのです。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、 「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受 表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速) による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。 無の不確定性無限の潜在としての、「自我仮説」の相補としての「時空仮説」。 「相補」というのは、絶対時空を否定し、認識体との相対においてしか 時空は計量できないとする相対性理論や、同じく認識体が現象表面的に 物事を捉え、本質的に決定しない事により有限的存在性は生じるとする 不確定性原理といったものを伴う時空、ということです。 (全ては、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完) 「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束に おけるhの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となり、空間的 確定性としての無限不確定的空間性が超光速(過去=経験=時間)と光速下 (未来=予測=空間)に相補分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説的 に直交基底をなす事によって相補的不確定性を生じ、経験による予測= 現象表面的定性化における有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として 生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、 存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです。
- Tetsugakusya
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なんでそれが真理になるんですか。 真理の意味分かってますか? 単にあなたの想像と思い込みだと思います。 あなたがそう想像した理由を書いてみてください。 P.S 文章がとっても読みにくいです。 改行と句読点の使い方を工夫しましょう。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは おすりんさん。 ★ この究極の真理を見てどう思いますか?? ☆ そのように考えたのだ と思います。 その考えを さらになお《真理》へのまどとして 問い求めていかれるとよいと思います。 たとえば《こんにちは!》というあいさつ これを受け取ってわたしたちは――よほどいやなやつと思っている相手でないなら―― そこになにがしか まどが開いたというように感じませんか? これは すべてを端折って言ってみるなら わたしたち人間が 社会的動物であるからです。個人としていわば社会的な独立性を持つと同時に――同時にです 同時に―― 社会的な関係性という自然本性をも持つと考えられるからだと思います。 ひとは 他のひとと かかわり(関係性)を持つだけではなく まじわり(人間的交通)をも持ちます。 この交通ないし基本的に言って関係性 ここには窓がある。その窓は こんにちはというあいさつから始まっています。 開けた窓からは いろんなものが見えます。世の中のものごと。人びとのこころの中。世界が見えます。 それと同じように 人間と自然と社会の真実を問い求めて行くと そのたとえちっぽけな理論として成ったものにおいても やはり窓が出来ます。窓からわたしたちは 人間の相対的な真実や現実を超えて おそらく分かることのむつかしい真理についても 見えたという瞬間が現われるかも知れません。 ということは・言いかえると 世界のどんなことにおいても その窓があるということになります。 むつかしい理論だけに限らず あいさつのひとことにおいても その窓はあるでしょうし それをみづからの手で開けてさらになにものかそのなぞが見えるようになるかも知れません。 そういうふうに感じました。
- BearCave
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「愛」は永遠です。
お礼
回答ありがとう☆