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本当に御三卿は老中の支配だったのですか?
本当に、御三卿(田安家、一橋家、清水家)は、老中の支配だったのでしょうか? 御三卿の当主は、城中席次も官位も、時の老中より格上です。 本当に御三卿は、当主よりも格下の老中によって支配されていたのでしょうか? 御三卿が、当主よりも格下の老中の支配下にあった?とは、どういう事なのか教えてください。
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chhilnz さん、こんにちは。 御三卿は大名ではなく、将軍の家族であり、そして、席次は御三家の次です。当主は家長である将軍の命令以外は聞きません。しかし、家についている家臣たちもほとんどが幕臣としての身分を失っていないのです。例えば家老は旗本の身分を持ち老中支配です。その下の諸役も幕臣としての身分を失わないので、転役をを幕府から命令されると、転役せざる負えないのでした。 御三卿 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E4%B8%89%E5%8D%BF
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- oska2
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>御三卿(田安家、一橋家、清水家)は、老中の支配だったのでしょうか? その通り、老中の支配下に幕政上は存在しました。 御三卿は実際は、独立した藩ではありませんがね。実質的に、幕藩組織では実質的に反扱いですが・・・。 >御三卿の当主は、城中席次も官位も、時の老中より格上です。 幕府(幕閣体制)は、あくまで「政権担当機関」に過ぎません。 政権が、各藩を管理するのは当然ですよね。 御三家と言えども、老中の支配下にありました。 幕閣での各藩は、「官位の上下は無関係」なのです。 官位が高くても、幕閣に入らないと政治に参加できませんよね。 御三家・御三卿は、幕閣に入った事はありません。^^; あくまで、「幕府の支配下」に御三家・御三卿・各藩・高家・旗本・御家人は存在するのです。 >御三卿が、当主よりも格下の老中の支配下にあった?とは、どういう事なのか教えてください。 質問者さまが疑問に思う事は、当然ですよね。 多くの方が、幕閣体制と幕藩体制を混在しています。 幕閣体制は、先に書いた通り「徳川将軍家の政治体制」に過ぎません。 各藩などを支配するのは、老中の仕事。 幕藩体制は、将軍家と御三家・御三卿・各藩の関係です。 将軍への年始・年賀の時など、官位の上下によって次席が決まっていましたよね。 老中と言えども、御三家・御三卿・御家門を差し置いて将軍の近くに席を持つ事は出来ません。 そうそう、オーナー社長(将軍)の息子(御三家・御三卿)が支店長だとします。 支店長会議の時は、本社の部長(老中)が息子を呼び出します。 年始・年賀の時、部長は社長の自宅を訪問しますが「社長・息子の下座」ですよね。 同じ事です。
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御回答ありがとうございました。 丁寧な説明ありがとうございました。 現代の会社に例えた説明わかりやすかったです。 ありがとうございました。
お礼
御回答ありがとうございました。 御三卿の当主は、家長である将軍の命令以外は聞かないが、御三卿の家老以下の家臣は幕臣であり、老中の支配だったという事ですか。 ありがとうございました。