※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:徳川(一橋)宗尹の幼名について)
徳川(一橋)宗尹の幼名について
このQ&Aのポイント
徳川(一橋)宗尹の幼名はなぜ『小五郎』なのかについて疑問があります。
一橋徳川家の初代当主・徳川宗尹は徳川家重の同母弟とされており、幼名について興味があります。
また、幼名が『小五郎』である理由についても調べたいです。
一橋徳川家(御三卿の一つ)の初代当主であった、徳川 宗尹(とくがわ むねただ)の幼名が、"小四郎"ではなくて、"小五郎"であった理由は、"小四郎"だと、島原の乱の時の"天草 四郎(あまくさ しろう)"の"四郎"に"小"の字を付けた名前になってしまうからでしょうか?
一橋徳川家(御三卿の一つ)の初代当主・徳川 宗尹(とくがわ むねただ)は、徳川家重の夭折した同母弟を入れると、五男と見る事もできますが、
その夭折した徳川家重の同母弟を入れた場合、徳川(田安)宗武は三男とみる事になりますが、徳川(田安)宗武の幼名は"小次郎"です。
また、同じく、その夭折した徳川家重の同母弟を入れた場合、徳川(一橋)宗尹の同母兄は四男になりますが、徳川(一橋)宗尹の同母兄の幼名は"源三"です。
この事から、『徳川(田安)宗武(幼名は"小次郎")と、徳川(一橋)宗尹の同母兄・"源三"に関しては、夭折した徳川家重の同母弟をカウントせずに、順番を数えて、幼名を付けていた。』様に思われます。
しかし、徳川(一橋)宗尹の幼名が"小五郎"である、という事は、この徳川(一橋)宗尹の幼名を付けるに当たっては、夭折した徳川家重の同母弟をカウントに入れていた事になります。
これは、徳川(一橋)宗尹の幼名を"小四郎"にすると、天草四郎の"四郎"に"小"の字を付けた幼名になってしまうからでしょうか?
それで、夭折した徳川家重の同母弟をカウントに入れて五男という事にして、幼名を"小五郎"にしたのでしょうか?
そう思われるかどうかを教えてください。
お礼
御回答ありがとうございました。 もし、徳川(一橋)宗尹の幼名を"小四郎"にしたとしたら、 "小四郎"を、"四"を"じ"と読んで"こじろう"とすれば、徳川(田安)宗武の幼名"小次郎(こじろう)"と、漢字で書かない限り区別がつかなくなります。 この時代の女性は、漢字はあまり使わずに、平仮名か片仮名を使うので、全く区別がつかなくなるでしょう。 それに、この時代の日本は、現代の様には、紙がありふれていませんし、書く物もボールペンや鉛筆はなく、筆しかありません。 "小四郎(こじろう)"と"小次郎(こじろう)"では、呼んでも、どちらかわかりません。 それで、"小四郎"を、"四"を"し"と読んで"こしろう"とすれば、"小四郎(こしろう)"の"四(し)"が"死(し)"につながり不吉です。 また、天草 四郎(あまくさ しろう)(益田 四郎(ますだ しろう))の"四郎(しろう)"の先頭に"小"を付けただけのものになってしまいます。 小さい四郎の様になってしまいます。 天草 四郎(あまくさ しろう)(益田 四郎(ますだ しろう))は江戸幕府にとっては、大罪人ですので良くありません。 それで、夭折した徳川家重の同母弟をカウントに入れて、五男にして、"小五郎"にしたのかもしれませんね。