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識字率について
幕末、明治初期に来日した外国人は、一般女子も読み書きできるのを驚いたらしいですが、海外では、その当時の識字率は、どうでした。特に女性の事を教えて下さい。
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- D-Gabacho
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1897年のデータなので、幕末~明治初期よりはやや後の時代になりますが、ロシア帝国の女性の識字率は13.1%となっています。ただし、識字率は地域差が大きく、地理的・文化的に西欧に近いバルト3国に位置するクルランド県の女性識字率は71.68%に達しています。おそらく、近代化の早かったイギリス、フランスなどの西欧諸国の女性識字率は、幕末~明治初期の段階でも、これと同じか上回る水準だったと思います。 一方、日本の女子の尋常小学校就学率は1897年時点で50%しかありませんでしたから、明治後期の1897年の段階でも、日本女性の識字率は50%を大きく下回るでしょう。1886~91年にかけて「自己の姓名を記し得る者」「記し得ざる者」を男女別に調査したデータでは女性の自署率は鹿児島県で10%未満、岡山県で30%前後、滋賀県で50~60%となっています。 【参考】 荒武鉄郎「リトアニア民族運動と識字率」 http://ci.nii.ac.jp/els/110006177276.pdf?id=ART0008147708&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1473387903&cp= 斉藤泰雄「識字能力・識字率の歴史的推移―日本の経験」 http://home.hiroshima-u.ac.jp/cice/wp-content/uploads/2014/02/15-1-04.pdf
- D-Gabacho
- ベストアンサー率64% (1057/1649)
日本が明治になって導入した義務教育の制度は、欧米諸国では19世紀初頭までには確立されてましたから、幕末~明治初期の段階では、欧米の女子の識字率はかなり高い数字になっていたと思います。統計資料などが見つからなかったのではっきりしたことはわかりませんが、ロナルド・ドーアというイギリスの社会学者は、著書『江戸時代の教育』(1965年)のなかで「疑う余地のないことは1870年の日本における読み書きの普及率が、現代の大抵の発展途上国よりかなり高かったということである。おそらく当時の一部のヨーロッパ諸国とくらべてもひけをとらなかっただろう」といっており、当時の日本の識字率は、ヨーロッパ諸国のうち近代化の遅れた一部の国と同程度で、大半の国に比べれば低い水準ということになるでしょう。19世紀中ごろのスイスが舞台の「アルプスの少女ハイジ」でも、アルプスの山中に住むおじいさんのとこまで、学齢に達したハイジを学校に行かせるよう、ふもとの村の教会の神父がわざわざ伝えに来てましたからね。
お礼
昔の海外の方々は、日本程江戸時代からの、「読み書き算盤」という教育に、興味が無く、又、必要なかったんですね。わざわざ、神父が、勧めに来るとは、意外ですね。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
当時先進的であった欧米ですら 日本が男女で読み書きの教育が行われている事には驚愕したようです (明治に入り日本は欧米の近代文化を取り入れたが 唯一欧米が日本から取り入れたものが女性の教育だったと言われてるほどです) かの有名なキュリー婦人は字が書けずに 発見した事の論文を夫に書いてもらったと言う話しは有名です あれだけの人ですら字が書けないわけですから 一般庶民の女子なんて余計に無理でしょう
お礼
キュリー婦人が、読み書き出来なかったのは、驚きです。意外でした。
- 川原 文月(@bungetsu)
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失礼しました。 フランス人・・・約4% → 約8%。 の間違いでした。 いずれにしても低い数値ですね。
- 川原 文月(@bungetsu)
- ベストアンサー率51% (834/1628)
こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 確かにあなたのおっしゃる通り、日本人の識字率は諸外国からみれば驚異的でした。 ★回答から先に述べますと、某資料によりますと、 日本人・・・・約60~65% イギリス人・・約35% アメリカ人・・約25~30% フランス人に至っては・・何と約4% という統計が公表されています。 ★なぜ、日本人の識字率が上がったか。 これは、言うまでもなく、「寺子屋」のおかげでした。 ★お寺は江戸や大坂などの大都市はもちろん、地方でもお寺は大事にされ、そのお寺の「お礼」が寺子屋で文字や読み書き、さらには、算盤、なども教えたのです。 ★従って、例えば、江戸を例にとっても「札の辻」などに立てられる「高札」を大部分の庶民が読めました。 ★読めない人も確かにいましたが、 「すまんねぇ、あの高札には何て書いてあるんだい?」 「あれは、・・・・と書いてあるんだ」 と、まあ、そばに居る人の肩を突っついて読んでもらうことが当たり前になっていたのです。 ★また、「南総里見八犬伝」などという小説が大ヒットしました。 ご存じ、「瓦版」なども飛ぶように売れました。 ★もっと手軽なところでは、「絵草紙」なども自由に貸し借りができ大概の人が読めたのです。 ★さらには、江戸幕府末期にアメリカが「日米和親条約」を締結しようと日本人と数度に渡る交渉しましたが、アメリカ人が一番驚いたのは、識字率はもとより、英語の習得が著しく早いことにも驚かされました。 ★女性に限っての識字率は、余り詳しくは分析されていませんが、 日本人に限ってお話しをすれば、 女性人口の約30%位とも言われています。 諸外国にについては分析資料は見当たりませんので悪しからず。 ★江戸の吉原の遊女を見てみると、 吉原の成立した当初は、武士、裕福な商人、に限られていました。 これは、幕府の方針として参勤交代で江戸に出府した大名、重臣、さらには、家来たちにも散財をさせて「幕府転覆」を企てさせないようにする意図がありました。 とにかく、諸大名の財政をそぎ落とす策略だったのです。 ★そうした大名なども遊女が相手にしましたので、 特に、「太夫」と呼ばれた遊女は、大名専門に相手にしましたので、芸事(唄、三味線、琴etc)、生け花、茶の湯、などはもちろんのこと、囲碁、将棋、そして、読み書きでは「八代集」、「源氏物語」、「竹取物語」、果ては、「四書五経」などを「レ」(れ点、または、返り点)無しに破読できたのです。 当時は、現代のような風俗嬢に対する偏見は無く、 「太夫」は、女性の中では、「超エリート」、現代の公務員で言えば「キャリア組」として羨ましがられていたのです。 話は、あっちこっち飛んでしまいましたが、概略はお分かりいただけましたでしょうか。
お礼
分かり易い説明、有難う御座います。江戸時代からの連綿と続く教育の結果が、今現在の私たちの識字率の高さなんですね。漢字、ひらがな、カタカナと3種類の文字を使い分けるのを自然と身につけられたのも、海外の人からみれば、不思議らしいですね。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
「非常に低かった」としか答えられないですね。 ・そもそも人口統計そのものが当時は存在しなかった ・基礎教育そのものが社会にいきわたっていなかった ・文筆活動をしている女性がほとんど存在しなかった こういったあたりから、「識字率は低いよね」と推測しているわけです。 例えば現代でもアフガニスタンでは女性の識字率が非常に低いといわれています。極端な男尊女卑社会で女性が教育を受ける権利が社会的に認められていないことと、もう半世紀くらいずっと内戦をしていて名目だけはアフガニスタンという国が地図上は存在していますが、その実態は国家が国家の体をなしていないことから、推測でも数字の出しようがないからです。「ご町内にひきこもりが何人いるか」なんて正確な数字はわからんでしょ?表に出てこないですからね。 江戸時代には、女性向けゴシップ雑誌というのがありました。今の女性自身とかああいうのと一緒です。そういうものが販売されていたということは、商売として成立するほどの読者がいたということです。そしてその記事の内容から、想定読者はあまり身分が高くない女性であることが推測できるわけです。読者がいたということは、文字が読めたということです。また今でいうところのハウツー本も沢山出ていたのですよ。女性にとっても文字を読むメリットはあったんですね。 まあそもそもからいえば、世界最古の小説は源氏物語でその作者は紫式部。世界初の小説家は日本の女流作家なのですよ。そしてその内容はといえば「チャラ男がひたすら女とヤリまくる話。ついでに12歳にも手を出すよ」という・笑。
お礼
江戸時代の具体的面白い切り口で、説明で分かり易く面白く読ませていただきました。皮肉ではなく、興味深く資料を出して下さって有難うございます。
お礼
一方的な、情報でしか知らなかったんですが、必ずしも、識字率が良かったんじゃ無いんですね。ある意味、驚きました。