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幕末~明治時代の行動範囲
幕末から明治初期にかけての昔の人の行動範囲を教えて下さい 幕末から明治の事をモデルにした小説を書こうと思っています。 当時の人々の行動範囲を知りたいのです。 現代の人のように休日などに「暇だし新宿にでも出かけよう」 みたいな感覚はあったのでしょうが、それが昔の人だとどこからどこまでの範囲だったのでしょうか? 昔の人は交通手段も限られているのでよく歩くのはわかるのですが、結構子供などでも遠くへ 出かけたのでしょうか?
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- EASTBIRD
- ベストアンサー率36% (56/153)
こんばんは。 講談社文庫で石川英輔著の・・雑学「大江戸庶民事情」 江戸町民の生活事情が、職業、暮らし、教養、匠、娯楽、旅、心、にわたりえがかれています。 新潮社で、とんぼの本シリーズに「写真で見る江戸東京」は幕末を撮影した写真とくにベアトの写真は、貴重なもの、また明治初期の東京の風景も紹介されています。 「お江戸日本橋七ッ立ち、初上り。ああこりゃこりゃ。行列揃えて、あれわいさのさ、こちゃ高輪、夜明けの提灯消す。こちゃえ、こちゃえ。」昔の時刻で明け六ッの一刻前。季節により一刻の長さは不定時方で今のように四季をとうしぴったりの時間割りではなく暮らしていたこと。江戸日本橋を夜明け前真っ暗闇のときに提灯ともして出発すると、品川の手前の高輪で夜が明けるとのことです。日本橋ー高輪およそ6キロを今風で一時間半~二時間弱かかったもようです。見送りの人々とここ高輪大木戸でお別れ。江戸御府内もここまで。そして品川宿、川柳に 「品川は膳の向こうに安房上総」今の様に沖合いまで埋め立てて高層ビルの林立し新幹線が停車するわずか百五十年前の品川です。話が脱線しました。 時代考証の参考までに。
- kawakawakawa13
- ベストアンサー率25% (514/2010)
坂本竜馬の伝記を読んでみてください。江戸・長崎・大阪等、結構長距離を移動しています。 一般の人でも、「一生に一度は」ということで、伊勢参りや湯治等、出かけた記録が残っています。 ただし、各所に関所があり、手形という形の許可証が必要だったので、特別な用でもない限り、遠くまで出かけるということはなかったようです。 逆に、渡世人や犯罪者等は、裏道・抜け道を知っていたので、自由に移動できたようです。
お礼
ありがとうございます。時間のあるときに参考に読んでみようと思います。 裏道を知ってる人は当時から容易に抜け出せたようですね。関所越えも幕末などだと結構いいかげんだったと聞いたことがあります。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
幕末からは離れるが 江戸時代の参勤交代で、江戸に出てきた人の日記が結構残っています。 片道3里くらいは平気で一日で往復しているようです。 現在の虎ノ門あたりから、王子まで、20キロ近いですが平気で日帰りで花見に行っています。 吉原へも徒歩です。 長谷川平蔵の役宅が江東区の深川界隈で部下の家は文京区だったそうです。片道2里くらいですが、毎日勤務したそうです。
お礼
回答ありがとうございました。 基本はなんでも徒歩だったのはわかりますが、皆さん結構歩いていたのですね。今ならちょっとしたウォーキング大会というところでしょうか? 大変参考になりました。ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 色々調べてはいるのですが、庶民のことになるとなかなか手軽で詳しい資料はないものですから困っていました。 参考になります。ありがとうございました。