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政府という用語。

Wikiによれば、「近代政府は、1885年(明治18年)の内閣制に始まるとされる。法令上は通常「国」と称する。」とあります。 このときにできた組織つまり行政機関を「政府」と呼ぶと正式に決めたのでしょうか。 新聞は調べていませんが、当時の官報には「政府」という用語は出てきません。 幕末から明治初期にはすでに「政府」という言葉がありましたから、維新で新しくできた政権を古い「江戸幕府」に対して誰言うとなく「明治政府」と呼んで、広まったという感じでしょうか。 よろしくお願いします。

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  • staratras
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回答No.1

>幕末から明治初期にはすでに「政府」という言葉がありましたから、維新で新しくできた政権を古い「江戸幕府」に対して誰言うとなく「明治政府」と呼んで、広まったという感じでしょうか。 大きな流れとしてはご賢察の通りでしょう。江戸(徳川)幕府も幕末に対外的には「日本政府」と名乗っています。それをはっきり示すものが、幕府が発行したパスポートです。その第1号は慶應2年10月17日(1866年11月23日)付で江戸幕府の日本外国事務(外国奉行)が隅田川浪五郎(すみだがわ・なみごろう)という、曲技団を率いてアメリカ経由でパリ万博が開催中のフランスに渡った人物に発給した旅券(印章)で、「日本政府許航佗邦記」(日本政府は他国へ渡航することを許可するという意味)という角印が捺されています。https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/sonota_01.html また1866年1月7日付で幕府の老中だった水野忠精らがパークス英公使に宛てた、留学生受け入れ依頼に関する書簡には、「以書翰申入候今般我政府において新に文武学政振興いたし度候に付…」とあります。この「我政府」が幕府をさしていることは明らかです。 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000179293.pdf 成立直後の明治新政権が出した「外国との和親に関する諭告」(慶應4年2月17日=1868年3月10日付)には早速(?)、「皇国之政府」という言葉が登場します。(以下引用「太政官日誌 第一」下記URLのコマ番号7-8) 皇国之政府に於て誓約有之候事ハ時之得失に因テ其条目者可被改候得共、其大体に至り候而者、妄に不可動事、万国普通之公法ニして、今更於朝廷是を変革せられ候時者、却而信義を海外各国ニ失ハセられ、実以不容易大事ニ付、不被為得止、於幕府相定置候条約を以、御和親御取結に相成候…、 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787614/39 なお「政府」という言葉(漢語)そのものの歴史ははるかに古く、辞書には「宋史 欧陽脩伝」の用例が掲載されています。 これから先は個人的な推測ですが、「政府」が大昔から存在する漢語で、意味する中身は変わったとはいえ旧幕府時代から引き続き使われていた言葉だったとすれは、明治新政権もことさらに「これから自分たちの行政組織を政府と呼びます」などと正式に決めるとは考え辛いですね。 ところで「政府」という言葉の一般への普及には、明治初めの啓蒙的な著作が大いに役立ったと思います。例えば青空文庫にある、明治5年に初版が発行された福沢諭吉の「学問のすすめ」で「政府」という単語を検索してみたところ、268件もヒットしました。ただし「明治政府」はなく、「今の政府」が7件、「古(いにしえ)の政府」が3件あります。一方「学問」は77件です。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答真にありがとうございます。 よく分かりました。 こんなに多くの事例があるのですね。 全て私の知らなかった事例ばかりです。 『学問のすすめ』は当時のベストセラーだったそうですから、広く世間一般に政府という言葉が知れ渡ったことでしょう。 すると確かに、明治新政権もことさら自分たちの組織の名が政府である、と国民に周知する必要もないですね。 すっきりしました。 ご教示に感謝申し上げます。