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今川義元は何故 信虎追放に協力したのでしょう?

武田晴信は父・信虎を今川家へと追放しました。 追放するなら甲斐領内の何処かにでも幽閉すれば良いものと思いますが わざわざ 国外 それも親戚とは言え他家の今川へと追放しました。 晴信と義元は綿密に打ち合わせをした上で信虎を今川に送りましたが 義元が信虎追放に協力的だったのは何故でしょうか?

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  • lions-123
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回答No.1

>武田晴信は父・信虎を今川家へと追放しました。 追放するなら甲斐領内の何処かにでも幽閉すれば良いものと思いますが わざわざ 国外 それも親戚とは言え他家の今川へと追放しました。 晴信と義元は綿密に打ち合わせをした上で信虎を今川に送りましたが 義元が信虎追放に協力的だったのは何故でしょうか? ↓ 甲斐の領内では、信虎子飼い&恩顧の家臣も多く、クーデターの成否も覚束ないし、決着には時間を要し内紛に成る、幽閉するあけでは奪還脱走の心配があり殺害までは願わず、甲斐領内では父親の存在に安心した統治ができない。 綿密な打ち合わせがあった説と単に信虎追放クーデターの機会に今川家(娘の慰労を兼ねた挨拶)訪問を狙った説があると思います。 個人的には、政変の企てをうすうす感じていた&利用しようとの意図で結果的には追放に同調協力したのだが、それは隣国同士の諸井同盟関係の中で武田家の内紛は脅威のリスクを減少させる面と安易な介入はトバッチリを食らう面があるからの両てんびんで割を食わない判断だったと思います。 世代交代の混乱は今川家への侵攻意図に余力をなくす面があり、あわよくば今川による甲斐攻略の糸口にすら望める。 未知数の晴信が甲斐一国を統一治世を行うには、年月と今川のバックアップを必要にするとの影響力拡大の目論見、しかも信虎の武威が削がれるのは、長らく警戒してきた今川家にとって悪い話ではない。 いづれの場合も、義理舅である信虎は今川家にとっては余計でお荷物な客人、実質的には人質にも甲斐への恩を売る存在でもあったと思います。 それでも、武田家に強制送還や今川家で幽閉や断罪しなかったのは義理舅であるだけでなく、信虎の和戦や甲斐武田への同盟破棄・武力進出時の旗印or晴信へ実質軟禁状態は父殺しの汚名を着せずに政権掌握の恩を売る的な利用価値、掌中に晴信にとっての人質や脅威を握ることの両面から損得計算していたと思う。 http://homepage2.nifty.com/inutomononohu/newpage(imagawayosimoto4).htm

azuki-7
質問者

補足

ありがとうございました

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  • jkpawapuro
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回答No.2

うーん大河ドラマでは父子両方に良い顔して、勝った方が信玄だったって描き方ですね。 実際それが一番無難な立ち回りでそんなところかもしれませんし、信玄の方が同盟者としてふさわしいと思ったのかもしれません。 まず当時の今川家の状況ですが、攻略目標は西の三河、できれば尾張の熱田の港まで奪い取って伊勢水運の利益を獲得までが侵略目標です。 一方東は駿東郡が北条に狙われる係争地で、こちらは守り抜くために武田と対北条同盟を結んでいる状況です。そして当時の経済状況としては、関東や甲斐など貧乏で米の収穫もよくないド田舎、一方駿河は金山を抱え豊かで西三河から東尾張の地域が伊勢水運でにぎわっています。ですから東の関東・甲斐に義元が求めるのは安定です。こちらを攻め込んでも労多く益少ないです。 となると弱ったところに片っ端から攻め込んでまわる信虎と若造信玄、どちらが同盟者として安心かとなると、若くて指導力の低い信玄の方が侵略意欲は低いでしょうし、義元側の力関係が相対的に上位になれば同盟関係もうまくまわると判断したかもしれません。うまく従順な同盟国として武田を飼いならし武田と北条が戦う方向に持ち込めば義元としては理想的です。(実際にはもっとうまいこと三国同盟になりますが。)

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうござます

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