- ベストアンサー
今川義元
今川義元は桶狭間で織田信長に殺されると予想してたのかな? 今川義元は大大名で織田家は新興の大名ですよね。 力の差は歴然で、今川家は将軍家から信任を得てるわけですから。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
今川義元は桶狭間で織田信長に殺されると予想してたのかな?……そんなことはないと思います。むしろ信長の方が「死」を覚悟していたかもしれませんね。信長にとっては、「必死、すなわち生」という心境だったのではないでしょうか。 今川義元は大大名で織田家は新興の大名ですよね。 力の差は歴然で、今川家は将軍家から信任を得てるわけですから。……義元も名将だと思いますが、見かけ上の名声とか兵力の差だけではわからないところが「歴史」とか「戦」にはあるような気がします。「時勢は我に味方せず」、ましてや「下剋上」といわれた時代ですから、「奇跡」といわれるようなことが起こってもおかしくないし、詳しくは知りませんが、桶狭間の戦いにしても、勝つべくして勝ったという評価もあるようです。
その他の回答 (3)
圧倒的大軍なので、まさか攻撃を受けるとは予想してなかった様子。信長軍は日中晴れ、堂々と攻撃をかけたが、今川軍前衛は信長軍が目の前を通り過ぎても攻撃せず、本陣まで素通りさせてしまったという研究もあるみたいです。
お礼
回答ありがとうございます。 教えていただきありがとうございます。
- nekosuke16
- ベストアンサー率24% (903/3668)
はじめから今川義元が桶狭間で織田信長に殺されると予想していた訳ではないですね。 たしか、25,000人ともいわれる今川勢に対して信長軍は3000程度という劣勢の中で、今川勢が桶狭間に到着するや、多勢に無勢という安心感から兵隊たちに長旅の労をねぎらう意味での酒盛りの中、天が加勢したのか突然の大雨によって、その地響きのような雨音を味方に付けた織田勢の奇襲攻撃によって敗北を余儀なくされたなどという風に時代劇などでは表現しますが、現実にはそうした経緯に至る前に今川勢が弱小織田軍にそれ相応の打撃を与えており、そうした状況での安心感からの酒盛りというのが本当のようですよ。 さらに言い加えるならば、今川義元は武将ではあるけれども、公家などに対する関心も深く、自らもお公家さん的な趣味があり、そうした格式や体裁に拘る面からも、同じ武将とはいえ獣のような信長とは本質的に違う部分があり、そうした意味でも信長を甘く見ていたというのが本当のところなのでしょうかね。 何しろ歴史上の話であり、どれが本当かということは分からないけれども、今川義元は戦国武将の代表格ではあったけれども、そのおごりが信長という天才を甘く見てしまったということですね。 したがって、義元は殺されることを予想してはいなかったけれども、そのおごりからも、殺されるべくして殺されたのだと思いますよ。
- kana1104
- ベストアンサー率23% (173/725)
殺される、負けると予想していく戦国武将はいないでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 今でもどのように合戦に勝てたのか史家でも分からないですが「運命」という考えではそうなったんですね。