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今川義元の軍師「雪斎」の死因
今川義元の軍師であった雪斎の死因は、何だったのでしょうか? NHK大河ドラマでは、 第二次川中島の戦いを仲裁した後、思わせぶりな死に方をしています。 武田信虎がすすめた酒か、松平元信(元康?)に注がせた酒に毒が入っていたのか、 それとも、酒好きがたたって体を壊したのか、 ということが考えられます。 ご存じの方、よろしくお願いします。
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史実としては病死とあるだけで詳細は残されていません。 風林火山での描写では、倒れた後にいびきをかいていましたが、これは脳卒中の典型的な症例です。 つまり風林火山では「太原雪斎は酒の飲みすぎで脳卒中になり死亡した」という演出になっているという事です。
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- Pinhole-09
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回答No.2
大河ドラマはフィクションも多く史実通りではありません。 太源崇孚(たいげんすうふ)雪斎が外交の表舞台にたったのは、死の十年前、義元と信玄の連合軍が氏康と駿河吉原で対陣し、講和を図った時が記録にある最後です。 これが元でその九年後、甲駿相三国同盟が成立する事になりました。 第二次川中島合戦の講和は義元がまとめたので、雪斎が表に出た記録はありません。 その頃雪斎は五山文学の著述に励み、死の前年「歴代序略」ほか一冊出版しています。 その頃やまいがちになり、姉の寺に移り看病して貰ったといいます。 三国同盟成り気がゆるんだのでしょう。 雪斎は修行時代からの粗衣粗食を守って、酒におぼれる事はありませんでした。 禅僧の精神を守り通したという事です。