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日本が第二次世界大戦で負けた原因って何ですか?
結局日本が第二次世界大戦で負けた原因って何ですか? 資源不足? 詰めが甘い?
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うちの高齢の母親をハワイに連れて行きました。アメリカでの初めての食事の時に、出てきた食事と周りの人間を見て母親は言いました。こんな国と戦争して勝てる訳ないなあと。 食事がとんでもなく多い。人間がとんでもなく大きい。もっとも素手で戦ったとしても2倍の人口がいますからね。無茶ですね。これは非常に単純な例えですが。実際的に言うとアメリカは食糧は自給できるし、石油も自給できる。鉄鉱石もある。資源だけでも十分な上に当時は技術も有った。ちょっと位日本の性能が良くても負けますね。
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- ithi
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hucmhgtudvzh さん、こんばんは。 一つには日米開戦前に数年にわたって中国戦線を拡張しすぎて、アジア・太平洋方面に振り分ける兵力や物資が十分ではなかったことです。 また、戦時体制も米国のようにモータリゼーションを基礎とした大量生産体制に移行できませんでした。 さらに国力がとても大きな差があることも理解していたにもかかわらず、戦争に踏み切ってしまった最高指導部の無責任さと無定見さには愛想が尽きます。
お礼
ありがとうございました。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (816/3045)
初めからアメリカの国力に勝てるわけないでしょ。 サダムフセインのようにひたすら言いなりになって戦えなくなってから戦争しかけられて座して死を待つか、戦うだけ戦えば国家や天皇が残る形でなんとか講和できるか、どちらかですよ。勝つ見込みなんて初めからどこにもありません、そして当時の指導者もそのくらいのことわかってますよ。
お礼
ありがとうございました。
- RikugunEiseihei
- ベストアンサー率29% (8/27)
奇跡が起らなかったからです。 アメリカと戦争を始めるためには、当時の日本の最高権力者であった昭和天皇に対して軍と政府から「アメリカと戦争をしたいので許可して下さい」という願いを出して、天皇の裁可を得なくてはなりませんでした。その際、なぜアメリカと戦争をしたいのか、戦争を始めたらどの程度勝てる見込みがありそうか等、理由や見通しも併せて説明しなくてはなりませんでした。 そのため、政治・軍事・外交などの分野で当時の日本のトップクラスの優秀な人々が一堂に会した「大本営・政府・連絡会議」という会議を開いて、企画院の精度の高い統計データをもとにして、アメリカと戦争をした場合に資源や船舶や兵力などをどのように運用すれば勝てるかを何度もシミュレーションしたのですが、いくらシミュレーションを繰り返してもどうしてもアメリカに勝てるという見込みが立たなかったのです。 本来であれば、この時点で「アメリカと戦争を始めてはいけない」という結論が導かれなければいけなかったのですが、国内のあらゆる世論(その中には、日本を代表する大新聞もありました)が「アメリカけしからん。断固アメリカと戦争して思い知らせるべし」という気運でどうにもならなかったため、戦争を始めるという前提で全てが進んでいく状況になってしまったということがあります。このいきさつについては、それこそ本が何十冊も書けてしまうほど複雑で大きな問題ですからここでは割愛します。 さて、対米開戦の前提だけ先に決まっていて、見通しが立たない見通しをいかに辻褄あわせするかで大本営・政府・連絡会議は紛糾しました。最終的には、あらゆる可能性がことごとく日本に有利に展開すれば、勝てないまでも有利な条件で講和にこぎ着けられるだろうという、実に根拠の薄弱な見通しをごり押しして、天皇には「ある程度見込みはあります」といい加減な奏上する事になりました。 この時に昭和天皇が、「いや、開戦は許さない」と言ったらどうかという話も過去ずいぶん取りざたされました。しかし、当時は日本のトップクラスの軍人や政治家や官僚が十分に検討して天皇のもとに上げた申請はベストなものであるはずだという前提で、天皇はこれをそのまま認めるのが慣例となっていました。それでも昭和天皇はできるだけ対米開戦を避けて事態を打開できないかと、やんわりと意見を表明されたのですが、最終的に対米開戦が決定となってしまいました。 他の回答者の皆さんが書いていらっしゃる通りで、日本とアメリカは総合的な国力が違いすぎて、もともと勝つなんてあり得ませんでした。個々の戦闘では勝つ事もあれば負ける事もあります。それを繰り返しながら最終的に双方の国力のバランス通りに結果が収斂していくものです。日本ばかりが都合よく勝ち続けて有利な条件の講和に持ち込めるなんて、「甘い夢」か「大ばくち」と言わざるを得ません。それが実現するとしたら正に奇跡でしょう。 そして、現実はこの回答の冒頭に書いた通りになりました。 >結局日本が第二次世界大戦で負けた原因って何ですか? それは「奇跡が起らなかった」からです。
お礼
ありがとうございました。
国力がちがいすぎましたね。もっと味方がいれば連携して戦えたかもしれませんが
お礼
ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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戦力差でしょうか まぁ 元々勝つための戦いじゃないですし アジアを欧米から開放するのが目的だから 日本は目的を達成できたわけだし そういう意味では勝利ですよ(戦後欧米はアジアの植民地をすべて失いました) あとは戦艦に固執しすぎた事ですね 真珠湾で航空戦力をまざまざと見せ付けておいて なのに大鑑巨砲主義を曲げなかったから それから↓アメリカ本土を攻撃できなかった とありますが 日本は攻撃してます アリューシャン列島は当時アメリカ本土領ですが 日本はそこを攻撃してます アメリカ本土を攻撃した唯一の国が日本です
お礼
ありがとうございました。
- takefutsu
- ベストアンサー率11% (360/3043)
戦力の差ですね。もともと軍事力がちがいすぎるので勝つのは無理でした。アメリカ本土に攻めることもできませんしね
お礼
ありがとうございました。
- mm058114
- ベストアンサー率30% (102/337)
勝つ見込みがないのに、始めた事です。 そして、資源、資材もなく、終了方法も決まっていませんでした。 日本は負けた事がないので、絶対負けないという神がかりな理論です。 日本は、ワシントンDCに行って、城下の誓いをとる事ができないことは、 誰しもが分かっていました。 反対に、アメリカは東京占領する力を持っていました。 アメリカは東京侵攻作戦計画を大正時代から持っています。 日本海軍は、アメリカ海軍に勝つようには健軍されていません。 侵攻してくるアメリカ艦隊と刺し違えて、引き分けに持ち込む様に健軍されていました。 侵攻海軍ではなく、防衛海軍です。 日本陸軍は、熱帯で島嶼防衛をするようには健軍されていません。 上陸作戦も、フィリピン、グアムに作戦を行う計画だけはありましたが、 詳細を検討されたこともありませんでした。 専門部隊もなく、専門教育も行なってきません。 南方侵攻作戦も、開戦直前に慌てて調査し、1週間で作戦計画を作り、 部隊を指定して慌てて上陸訓練を行いました。 開戦時快進撃ができたのは、相手が植民地軍の警備隊で、当然の事です。 あとは、タマタマが重なっただけです。 日露戦争も勝った勝ったと言っていますが、 タマタマ、ロシアが講和に応じてくれて、戦争が終結しただけです。 あのまま継続していたら、確実に日本は敗戦していました。
お礼
ありがとうございました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
国力の差です。 開国ご、日本は圧倒的な国力の差を超えて、 戦争に打ち勝ってきました。 日清戦争、日露戦争です。 日清戦争は、西太后が頤和園増築のため、戦費を削ったり 李鴻章に手柄を立てさせたくない官僚が、足を引っ張ったり で、日本は勝利することが出来ました。 清国の将校などは賄賂を出さないと戦争しない、なんてのが ゴロゴロしていたのです。 日露戦争では、開戦と同時に、金子堅太郎を米国に派遣し、 ルーズベルトに仲介工作をしています。 有利になったところで、ストップさせ、和平交渉に 持ち込む、という計画でした。 更に、明石大佐に命じて、スターリン革命を援助したり、 当時最強だった英国と同盟を結んでいたりしました。 つまり、KO勝ちは不可能と判断し、判定勝ちを狙って いたのです。 これに対し、大東亜戦争時は、そういう準備、工夫を怠り ました。 ミッドウエー海戦のミスが無くても、負けたでしょう。
お礼
ありがとうございました。
- hahaha86
- ベストアンサー率14% (82/576)
領海を広げすぎた http://blog-imgs-79.fc2.com/k/h/1/kh16549/map_minami1945.gif ミッドウェーに手を出さず 硫黄島 台湾まで あとは大陸を攻めていけば https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%85%B6%E5%B8%82 重慶でガス田が発見されるので また違った歴史が生まれたでしょう
お礼
ありがとうございました。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
アメリカ相手に戦争を始めたからでは。
お礼
ありがとうございました。
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お礼
ありがとうございました。