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第二次世界大戦後の日本について

第二次世界大戦、憲法を日本国憲法とするとしましたが、 その時の政府の案は、どのようなものだったのでしょうか。 日本国民に対して、どのような態度のものだったのでしょうか。 教えて下さい。宜しくお願いします。

みんなの回答

  • Diogenesis
  • ベストアンサー率49% (859/1722)
回答No.3

下記のページで種々の憲法草案の画像やテキストファイルが公開されています。 参考にしてください。 ■国立国会図書館/日本国憲法の誕生/資料と解説/第2章 近衛、政府の調査と民間案  http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02shiryo.html

ermer0088g
質問者

お礼

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  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.2

>その時の政府の案は、どのようなものだったのでしょうか。 先ず、有名な「松本試案」があります。 大日本憲法:天皇は神聖にして侵すべからず。 松本試案:天皇は至尊にして侵すべからず。 など、言葉を替えたに過ぎない政府案でした。 基本的には・・・。 1.天皇の統治権は変更しない 2.明治憲法の基本構造をそのまま残す。 3.議会と内閣の責任を強化する。 これでは、大日本憲法(明治憲法)と全く変わりがありませんね。 当然、GHQは拒否し、逆にマッカーサー原案を日本政府に提出します。 >日本国民に対して、どのような態度のものだったのでしょうか。 政府案では、敗戦でなく終戦であるとの認識です。 ですから、「天皇は人間宣言を行ったが、今まで通り何ら変わらない!」との態度でした。 余談ですが・・・。 今の憲法も、完成していない!と主張する学者もいます。 「天皇は・・・象徴であり・・・その地位は・・・国民の総意にもとづく」 総意って? 今まで調査した事が無い? 「戦争放棄」 交戦権と自衛権の違いは? 色々と、問題があるようですね。

ermer0088g
質問者

お礼

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  • sky-plane
  • ベストアンサー率37% (33/88)
回答No.1

第二次世界大戦後は日本政府がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に新しい憲法の草案を提出してGHQが適正か判断するようになっていたようです。 その時に日本政府は案を出しても適正でないと判断されることが多かったようです。 その理由は、憲法の中に『天皇中心の国家』が書かれていたからなんだそうです。GHQは天皇中心の国家(政治)を続けては意味がないとして不適と判断したと思います。 日本国民に対しての態度はわかりませんが、大体の案の内容はこんなところです。

ermer0088g
質問者

お礼

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