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説話の累ヶ淵

落語の「真景累ヶ淵」ではなく、説話・江戸の怪談の「累ヶ淵」について詳しく知りたいです。 あらすじだけでなく、社会情勢・下総国の村の状況なども含めて考察しているような書籍をご存知でしたら教えてください。 まるまる全部「累ヶ淵」考察じゃなくていいので、詳しく言及されている資料を思いついた方、いらっしゃいましたらどうぞよろしくお願いいたします。 (読書カテゴリと迷ったのですが、読書というより民俗学ジャンル?…なら歴史カテの方が詳しい方がいらっしゃるかな? と、こちらで質問させていただきました。不適切でしたら申し訳ございません)

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回答No.1

そのものずばりの本があります。 宮田登『江戸の悪魔祓い師』ちくま学芸文庫 累事件(実話です)の要約と、解脱させた祐天上人について書かれています。

bombyxmori
質問者

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すばやいご回答ありがとうございます! Amazonを見てきましたら、ものすごくそのものズバリでした。ありがとうございます!

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noname#224207
noname#224207
回答No.3

民俗学の知見からすれば塁ヶ淵のお話は珍しいものではありません。 怪談仕立てとなったことから有名になりました。 お話としては、継子いじめの話です。 系統としてはハッピーエンドで終わるものと復讐譚で終わるものがあります。 塁ヶ淵の場合はこの復讐の部分が怨霊信仰と仏教の因果応報とが重なったものです。 古くは今昔物語や日本霊異記に見受けられます。 ハッピーエンドとしては落窪物語などが挙げられます。 海外ではシンデレラが有名です。 塁ヶ淵のお話の舞台となった下総国岡田郡羽生村は現在の茨城県常総市羽生です。 下総というのは東西に広い地域で江戸の住人にとっては極めて馴染み深い地区です。 現在の茨城県と千葉県の県境は利根川ですが、その東側も下総に含まれていました。 武蔵と下総の国境は隅田川です。 両国橋は武蔵と下総の二つの国に架かることに因んで命名されました。 江戸の街がドンドン広がり下総の本所深川も江戸の範疇とされました。 寅さんで有名な葛飾柴又帝釈天も下総です。 利根川は現在の茨城県をはじめ東北地方からの米などの物資を運ぶ重要な航路でした。 江戸時代の川は現在の高速道路と同じ役割を果たしていました。 羽生村も利根川の支流である鬼怒川に面しています。 なお、現在の江戸川も当時は利根川と呼ばれていました。 現代の感覚からすれば利根川が二本流れていた印象となります。 羽生村の南部の利根川を越えた先に成田山新勝寺がありますが、当時は江戸の一大観光地でした。 馴染み深い下総にある羽生村を舞台とした怪談噺として人気をはくしました。 下総や羽生村の特殊な民俗学的な事情が怪談を生む切っ掛けとなった訳ではありません。 民話にご興味があるのか、怪談噺にご興味があるのか、下総や利根川にご興味があるのか、民俗学にご興味があるのかで、関係書籍が違ってきます。 継子は登場しませんが怪談噺としては四谷怪談がよく似たモチーフではあります。 怨霊が主役です。 「真景累ヶ淵」の元になったお話の内容につきましては下記サイトがあります。 累ヶ淵 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/累ヶ淵

bombyxmori
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 怪談や説話が当時の人たちに受け入れられるには、時代背景などなど当時の世相に何かピタッとはまるものがあったのだろうな…という、説話や怪談が成立する背景を含めると、それって民俗学的な何かなのかなあ、とぼんやり考えておりました。分かりづらい言葉での質問、失礼いたしました。 羽生村につきまして、詳しいご説明ありがとうございます! 念頭において各種資料を読んでいきます。

noname#217196
noname#217196
回答No.2

ちくま学芸文庫の高田衞著『新編江戸の悪魔祓い師(エクソシスト)』の前半が祐天和尚による累に憑いた悪霊祓いの顛末を記している。後半は祐天和尚の評伝。 ほかに、赤松宗丹著『利根川図志』岩波文庫もページを割いている。

bombyxmori
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 両方読んでみます。

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