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大坂城を造ったのは誰?

 一般に豊臣秀吉と答えますが、ナゾナゾでは 大工さんという答えになります。  でも実際は、ある武将を普請奉行に任命して、諸大名の 負担、持ち出しで築城をさせていたと思うのですが、工事は その大名の足軽や募集人足だけで賄ったのでしょうか。  まさか本職の大工、左官をかき集めて本職集団が作った、とは 思いませんが本職が一人もいないということもないだろうし、 どうなんでしょうか。

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回答No.6

お城とか橋の建築の職能集団というのがありました。 この職能集団は全国的な横断的組織集団であり、どんな権力や統治支配にも属しませんでした。 特にお城の建築は、落ちていく秘密の通路や仕掛けを作るので絶対的秘密が義務でした。 こういう横断的組織は外国ではフリーメーソンの基礎となったメソニック石工たちがいます。 また、孔子自身は突撃隊の武士とある職能集団に属する人の家族である女性との子ども(白川さんの説)でした。その職能集団はお墓や葬儀をする全国横断の方々で、孔子が全国を遍歴するときにも大きなちからとなったようです。 日本では、以下のURLと私の質問に対するご解答を紹介します。どうぞご参考になさってください。 https://www.blwisdom.com/strategy/series/rekishi3/item/9552-05.html?mid=w461h90200000493369 http://okwave.jp/qa/q8638477.html

popps
質問者

お礼

 良く分かりました。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.7

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E7%B5%84 金剛組とか。 おまけ 軍隊の主要な業務の一つは土木作業 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E8%BB%8D%E5%9B%A3 ローマ軍団の強さの根源は 「攻城戦・工兵 ローマ軍団兵は、優れた白兵戦闘員であると同時に優れた工兵でもあった。『ガリア戦記』では、カエサル軍の攻城兵器が瞬く間に作られていくのを目の当たりにしただけで降伏したガリア軍がいるほどである。」 以上引用 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%B7%A5%E5%85%B5%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8 本格的な攻城戦をあまりやっていない日本では注目を浴びませんが http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD この辺で「彼の軍事的才能は、国家予算によって賄われる騎馬砲兵、野戦病院、参謀本部、野戦工兵などの導入などの広い面で存分に発揮された。」 を受けて、マウリッツの軍事革命(オランダ式築城術)につながります。

popps
質問者

お礼

金剛組という専門家集団があったのですね。 先日来の姫路城の改修工事には関係なかったのでしょうか。  回答ありがとうございました。

  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.5

縄張りを設計するのは、殿様から任された武将ですが、実際に構築するのは専門集団だったと思います。 石垣は穴太衆とか… 建物は、大阪城の場合は、豊臣のお抱え大工は中井正吉で、徳川のお抱え大工は正吉の息子の中井正清かと… 現在の中井家から、大阪城天守閣の設計図も発見されてますから…

popps
質問者

お礼

 総指揮官は普請奉行でも、築城の技術、知識は 持ち合わせていないから、信頼できるプロを 番頭に据えて、その子分連中を各現場主任のように 指揮系統を統一して足軽や人夫を使役して作業したと いうことでしょうかね。 この場合の「大坂城を建てたのは大工さん」は正解なのかどうか。  回答ありがとうございました。

回答No.4

山本兼一の「火天の城」は安土城の築城物語ですが、大工の棟梁が主人公です。一読されてみては。

popps
質問者

お礼

 機会があれは拝読してみようと 思います。  回答ありがとうございました。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.3

現在のゼネコンのような組織があったのです。京都や奈良が根拠地で古くから寺院建築を請け負っていたのです。東大寺や法隆寺を建築した大工技術集団が今でも続いています。その他に石垣技術や左官技術や瓦葺き技術や建具技術などなどを統率しいたのです。大阪城ともなると大プロジェクトなのでゼネコン共同企業体のようになっていたでしょう。作業員の多くは現地で雇い教育していたのです。その作業員の中から保城と呼ばれ人達が代々と受け継がれて城の補修を担当しています。地方で城や大寺院を作ると技術が地方で定着して産業発展に貢献したのです。

popps
質問者

お礼

いわゆるJVのはしりでしたか。  回答ありがとうございました。

回答No.2

現在の大坂城は、徳川時代に作られたもので、豊臣時代の遺構はすべて地下に埋もれています。 歴史学的には「藤堂高虎を総責任者として築城された」となるかと思います。

popps
質問者

お礼

NO1のお礼を参照願います。 大坂城どうこうにこだわっているのではなく、 ”誰が建てた”、の誰が大工さんならその割合は 100%、50%、30、20、10%はたまた5~0% どんな割合かという意味の質問でした。  回答ありがとうございました。

noname#203921
noname#203921
回答No.1

実際に造っているところを見たわけではないので正しい答えは言えませんがおそらく専門の職人さん達皆で建てたんだと思います。 別に大阪城に限らず安土城や金閣寺や奈良の大仏など何でもそうなのではないでしょうか。

popps
質問者

お礼

大坂城は有名なので例題として挙げたまでで、じゃあ 金閣寺を建てたのは足利義満?それとも大工さん? 奈良の大仏は聖武天皇?鋳掛け屋さん?  職人ゼロとは思いませんが、職人集団のみとも考えにくいし 第一、人件費がかかりすぎます。  回答ありがとうございました。

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