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誰が勝利したのか
豊臣秀吉の朝鮮攻撃の最後会戦なら 露量海戦がありました その会戦の結果さえ見れば --------------------------- 朝鮮軍と明軍の被害 軍船の被害 たぶん無し 武将の被害 李舜臣(当時の朝鮮水軍司令官)、李英男、方德龍、高德蔣、明の鄧子龍 など AやB等級の武将10~30ぐらいが戦死した 兵士の被害 確かに知らず。だが、戦死した武将の重さに比べると少しではないと推理できる むしろ、全然無かったというひとが多い ーーーーーーーーーーーーーーーー 日本軍の被害 軍船の被害 200の日本軍船が破壊 武将の被害 たぶん無し 兵士(足軽)の被害 最小334名より最大500名までの足軽が死んでいた 以上の場合には、誰の「勝利した会戦」だと思っていますか ご意見がお聞きしたいです
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確かに日本軍を撤退させることは出来ました。 朝鮮半島を焦土と化して。 つまり、薪になる木材は全て焼き払ったのです。 そして軍隊に必要な民需物資を全て焼き払ったのです。 平たく言えば、軍に利用される恐れのある物資官民問わず全て徴発、焼却処分されたわけです。 日本軍補給部隊は「現地徴用する民需物資」を用意するハメになったのです。 思わぬ補給品に日本の輸送部隊は多大な負担がかかります。 更にはその補給部隊を攻撃してくるのでたまらなかったのです。 勝ったとはいえ平気で国土を焼き払い、民衆の生活用品まで破壊する人間が賞賛される朝鮮には笑えますね。 こんな戦術は確かに「勝つ」ことは出来ますが民衆の支持は無くなります。恨まれます。 後は日本軍が撤退したら、李舜臣軍を国土を焦土と化し、人民に過大な負荷を与えた罪で裁き、李朝政府が人心を得る。 李朝政府にとっては外敵を自ら傷付かずに排除出来て、民衆の恨みを自分たちの政府ではなく、李舜臣に被せれて何もしてない政府が賞賛されるというこの上ない一石二鳥でした。 何故李朝が徳川政権と仲良く出来たか? それは李朝政府にとっては政権磐石というとても有り難い結果をくれたからです。 戦いはただ「勝つ」だけではいけないという良い教訓です。 歴史はこういうことを学ぶ学問だと思いますが。 よって「勝って」確かに日本軍を撤退させることは出来ました。 朝鮮半島を焦土と化して。 つまり、薪になる木材は全て焼き払ったのです。 薪が無ければ飯が炊けません。 それに野営に火はかかせません。 日本軍は武器食料の他に「薪」まで用意するハメになったのです。 思わぬ補給品に日本の輸送部隊は多大な負担がかかります。 更にはその補給部隊を攻撃してくるのでたまらなかったのです。 何万人の薪って考えただけでも大変です。 勝ったとはいえ平気で国土を焼き払い、民衆の生活用品まで破壊する人間が賞賛される朝鮮には笑えますね。 こんな戦術は確かに「勝つ」ことは出来ますが民衆の支持は無くなります。恨まれます。 後は日本軍が撤退したら、李舜臣軍を国土を焦土と化し、人民に過大な負荷を与えた罪で裁き、李朝政府が人心を得る。 李朝政府にとっては外敵を自ら傷付かずに排除出来て、民衆の恨みを自分たちの政府ではなく、李舜臣に被せれて何もしてない政府が賞賛されるというこの上ない一石二鳥でした。 何故李朝が徳川政権と仲良く出来たか? それは李朝政府にとってはとても有り難い結果をくれたからです。 戦いはただ「勝つ」だけではいけないという良い教訓です。 歴史はこういうことを学ぶ学問だと思いますが。 よって、勝者は李瞬臣を躍らせた当時の李朝政府!!! この戦いで日本軍撤退が決定的になりました。 後は李瞬臣軍を処断を笑顔で待つだけです。
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- cse_ri2
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第二次世界大戦のダンケルクの戦いをご存知ですか? (参考資料 ◎ナチス・ドイツのフランス侵攻) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BE%B5%E6%94%BB 内陸部を突破されたフランス・イギリス連合軍は、ドイツ軍に包囲され、 ダンケルクへと追い詰められます。 しかし包囲網が完成した時に、機甲部隊の損耗を恐れたヒトラーが攻撃停止 命令を出したため、その隙に連合軍はダンケルクを要塞化し、主力部隊が海を 渡ってイギリスに撤退を開始しました。 この戦いだけ見れば、ドイツ軍の大勝利でしょう。 しかし、イギリスの主力部隊は何とか本国に逃れることができ、やがて ノルマンディー上陸戦で反攻をすることができました。 敵部隊に大打撃を与え、フランス占領をすることができたという意味では、 この戦いはドイツ軍の勝利です。 しかし、主力部隊を本国に逃すことができて、将来の反攻の余力を残すことが できたという意味では、イギリス軍の勝利です。 このように、戦争の勝敗とは、どこに視点を置くかでずいぶん変わってきます。 露梁海戦について言えば、日本の目的である小西隊の撤退が成功したという 意味では日本の勝利でしょう。 朝鮮側としては、半島に残った最後の日本軍に打撃を与えたという点でしょうか。 もっとも、戦争目的を達成したかどうかで勝敗を決定するという考え方は、 クラウザビッツの戦争論に出てきますので、この本を読んだことのない人は、 勝敗の意味を違った観点で論じている可能性もあります。
お礼
そうですね この戦いだけ見れば島津の勝利だと思いしかありません ちなみに、韓国ではなぜこの戦いが朝鮮の大勝だったと記憶させていましたか って一度、検討してみるも、悪くなることはありません まさか韓国の愛族心を釈するカーキがここに??
- tatsumi01
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失礼しました。露梁海戦のことを書いているとは気がつきませんでした。 確かに朝鮮側の資料では日本軍の艦船の損害200隻となっているようで、それが正しいなら日本軍の大損害でしょう。 日本側の資料があまりないらしく何とも言えませんが、朝鮮軍では李舜臣以下、李英男・方徳龍・高得蒋・宋希立・トウ子龍が戦死したそうです(御投稿では文字化けしています)。日本軍の武将の損害0(?)に比べて朝鮮軍の勝利と言えますか? 韓国の歴史教科書(原文ではなく翻訳ですが)を読むと、朝鮮戦役は朝鮮軍の大勝利で日本軍を撃退したと書いてありますが、疑問に思います。そもそも、日本軍と戦ったのは明・朝鮮の連合軍ですが、教科書では明の援軍のことはほとんど書いてありません。 お礼の文言を読むと日本人ではないように感じますが、もし韓国の方であれば、韓国でも正しい歴史認識を持って欲しいと思います。
お礼
最近ではよく分かりません 私が韓国で習った歴史教科書によると、当時朝鮮軍が「勝利」できた原因って 1。義兵のゲリラ戦の成功 2。李舜臣の水軍により、日本軍への補給中断 3。明軍の助け と知りました だが、今ごろでは 朝鮮の優秀な科学力(神器箭など)と軍艦、体系的な訓練もたびたび話されてありますが、明軍の助けがいくらだったか。。についてはもっと疑心が太っているんです
- at9_am
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どちらの勝利、ってこの会戦の勝敗だけで言えば日本側の勝利ですよ。 まず、会戦の勝利を「戦闘の目的の達成」と定義します。 例えば日本海海戦であれば、日本側の目的はバルチック艦隊の無力化又はウラジオストック到着阻止であり、ロシア側の目的はウラジオストック到着でした。結果的に日本側が目的を達成(バルチック艦隊の壊滅)したため、この戦闘は日本側の勝利とされます。 もし、日本側の艦艇が全く無傷で、バルチック艦隊が戦艦1を失っていたとしても、ウラジオストックに到着、再出撃を許していたとしたら、この海戦は勝利とは言えなかったでしょう。この意味で#1の方の言うとおり被害の多寡は関係ありません。 さて。 李舜臣の最後の会戦といえば露梁海戦ですが、この戦いの時は既に豊臣秀吉が死去し、日本側の撤退が開始された後です。さらにこの戦い自体、包囲された小西隊の救出・撤退が目的でした。 戦闘の結果、小西隊はほぼ無事に撤退を果たしています。したがって、この会戦について言えば日本側の勝利と言えるでしょう。 因みに#1の方の言っている戦闘は文禄の役での一コマであり、この時は李舜臣は死んでいません。彼が死亡するのは慶長の役終了前後の日本軍撤退中のことです。
お礼
そうですね この戦いだけ見れば島津の勝利だと思いしかありません ちなみに、韓国ではなぜこの戦いが朝鮮の大勝だったと記憶させていましたか って一度、検討してみるも、悪くなることはありません まさか韓国の愛族心を釈するカーキがここに??
- tatsumi01
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どちらも勝利してはいないでしょう。 朝鮮・明連合軍(?)は海戦で勝利したかも知れませんが、制海権を取って日本軍の補給を絶ったとは思えないし、日本軍がその後で総崩れになった形跡もありません。もちろん、日本もその後勝利はできないのですが。
補足
tatsumi01さん ご意見にありがとうございました だが、ちょっと誤解を持っておると見えてから 少し一つ申し上げてもよろしいですか 私が言った会戦は露梁海戦として秀吉の朝鮮攻撃の最後の会戦だったと その被害ってこのヒトツ戦い中だけで被害でした それから、その会戦ため、日本軍の補給が切れたとか補給問題が出たとか そんなご意見なら僅かに誤解であったと思いましょうか
- 6dou_rinne
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朝鮮側の勝利です。 このためにその後の日本軍の補給が難しくなり陸上軍の行動が制約されるという状態になりましたから、被害の多寡には関係ありません。
補足
6dou_rinneさん ご意見にありがとうございました だが、ちょっと誤解を持っておると見えてから 少し一つ申し上げてもよろしいですか 私が言った会戦は露梁海戦として秀吉の朝鮮攻撃の最後の会戦だったと その被害ってこのヒトツ戦い中だけで被害でした それから、その会戦ため、日本軍の補給が切れたとか補給問題が出たとか そんなご意見なら僅かに誤解であったと思いましょうか
お礼
長々すごい文章でした。ありがとうございます。そして、ちょっとひとつ申し上げてもいいでしょう? 日本軍の攻撃のせいに朝鮮が焦土とされてしまったとおっしゃいますが、同時焦土とでは朝鮮軍が退却してうちに全開した「清野作戦」が初めでした。食糧が日本軍の手におちる場合を大変恐れた朝鮮軍は最初に焦土とするんでした。ちなみに、「孫子兵法」によると「たべものは現地より求める」という、昔の戦争ではそれが常識でした。 補給問題はこの戦争で皆の問題でした。朝鮮の記録によると、「明国の兵が吐いた物さえ、朝鮮の人民が食べた」という。日本軍の兵らも衣類がなかったから、朝鮮の衣類を着るのまま戦ったほどでした。 韓国では、最近「トモユキ」だと韓国人の小説の人気が高いですね。「戦争の加害者」だった「トモユキ」という小西行長配下サムライの目に見る同時の戦争って、これが韓国歴史上で初めです。「トモユキ」というサムライは恋もして、戦争を悩んでも、朝鮮人を殺してもいました。こんな形の人物は韓国文学上ではまったく新しいすがたですよ。 韓国内でも「朝鮮軍(特に李瞬臣)は善良な被害者けど偉大な勝利者、秀吉と日本軍は(畜生ような)加害者」という黒百的な民族主義の認識は批判に合ってありました。そのままなら戦争の本質が見れないと思います上に、むしろ「敵に戦うべき」と利用されることもあります。 いくさがただ勝とか敗とかという愛戦論も問題でありますが、「戦争は悪いよ」と常識と歴史を現在に利用する方がもっとイヤだど思いました。 私はそれが「我々が歴史を習う理由」と見ています こたえについて、いちど、ありがとうございます。