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アドラー心理学 原因論と目的論
「嫌わる勇気」を読みました。今は「アドラー心理学入門」を読んでいます。 本の中で原因論を否定し、目的論を唱えています。 しかし、読んでいくと、原因論というか、原因があって結果があるという原因論的な説明がたくさんあります。 例えば、共同体感覚には自己受容、他社信頼、他社貢献が必要だと言っています。 この場合、自己受容、他社信頼、他社貢献が原因で、共同体感覚が結果とも言えます。 目的論的に言うなら、共同体感覚が目的にあるがゆえに自己受容、他社信頼、他社貢献が使われているというんじゃないでしょうか。 他の例では、縦の関係が人間を苦しめていると言っています。つまり縦の関係が原因で、結果苦しいと。 目的論的に言うなら、苦しみたいから縦の関係を意識している、みたいな。 更に他の例では、人間の悩みはすべて対人関係の悩みである、と言っています。 対人関係で問題があるから(原因)、悩む(結果)。 目的論的に言うなら、悩みたいから対人関係の問題を意識している、みたいな。 Aがあって、結果Bになるという説明が多いです。 結局アドラー心理学は原因論の範疇に収まっているという気がします。 どうなんでしょうか?
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(前提として この本を)読んではいないのですが 最近の流行りの心理学では アドラー的な考え方が強いように思っています。 その原因 というものも (目的を果たすために)自分が作っている(引き寄せている)という風に 最近の心理学では考えているように思います。 たとえば パワハラな上司(A)がいるとします。その上司はたぶん 全部が全部パワハラな性格ではないと思うのです。何かをきっかけに パワハラな部分が出てくる(引き出される)ことがある。 それを引き出すのが 「自分はひどい目に会うような存在価値の低い人間だ」「わたしは愛されてない」などを心の中に持っている人(B)のかもしだす雰囲気に触れると 上司(A)は 潜在的に持っている性格の一部が引き出されるのです。 そういう意味で Bさんは Aさんの持っているものを引き出し 自分自身に向けさせているわけです。 Bさん自身が Aさんによって原因を作りだしたといえると思います なぜそれを引き出すのかと言うと Bさんが自分自身を認知するためです(目的) 自分が持っている潜在的な方向性を認知するために BさんはAさんと出会いAさんのパワハラを受けることで 「自分は価値のない存在」と思っている ということを知ることが出来ます。 潜在的なものは 潜在している限り認知できませんが そうやって引き出されることで対処を見つけることが出来ます。 それが目的と言えるのではないかと思います。 嫌われる勇気と言うのは 「どう思われるか」 ということより 「どうしたいか」ということかなって思います。 その「どうしたいか」という部分の本質として 自己受容、他社信頼、他社貢献があるのだと思います。 「どう思われるか」 というところから世界を観ると いつでも人の目を気にし「自分らしさ「というものを発揮できませんが 「どうしたいか」という視点から世界を観ると わたしたちは自由を勝ち取ることが出来るのだと思います。その「どうしたいか」の奥の本質に 自己受容、他社信頼、他社貢献があるのではないでしょうか。 わたしたちが起こす いろいろな出来ごとの本質には いつでも自己受容(目的)をするために 他者との関係を築き上げているような気がします。 わたしは 自己受容=他者信頼 であると思っています。 自分自身を受容出来れば おのずと世界は信頼できるものに変わっていくのではないかと。
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