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【日韓併合】正当化論について
日韓併合の正当性を語る場合、 (1)ロシアの脅威に対抗するためであり搾取するためではなかった。 (2)併合は合法的に行われた。 (3)日本の統治により朝鮮は飛躍的に発展した。 などから論じられる場合が多いのですが、歴史認識以前に一般常識的に判断して、これらで正当性の主張はできてはいませんよね。 (1)ですが、ロシアの脅威があるからといって、その間にある国を占領しても良い、などということにはなりません。正当性を主張するならば日韓両国に関係の無い第三者も納得するようなものでなければなりませんが、これで納得できるのは日本人だけでしょう。 (2)ですが、(1)の併合の目的の正当性、大義名分が無い以上、手段の正当性を述べても何の意味もありません。 (3)は単なる結果論です。 もう少しマシな正当化論はないのでしょうか。 それとも、日韓併合を正当化すること自体が無理でしょうか。
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- siege7898
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訳のわからない質問ですね。当時世界中で普通に行われていたことを今の価値観に無理矢理当てはめようとするからこのような質問になるのでしょう。 今から40年ほど前までは、例えば「めくら」という言葉はごく当たり前に書籍などの出版物に使用されており、テレビやラジオなどでも普通に放送されておりました。でも今は使用自粛用語となっております。質問者様の主張は、「めくら」という表現は自粛用語なので当時の出版物やテレビ、ラジオの表現は間違っているから反省して謝罪せよと言っているのと同じですね。 >日韓併合を正当化すること自体が無理でしょうか。 正当化することもしないこともどちらも無意味です。韓国は近代化に出遅れた為他国に支配されたことがある、というただの歴史的事象です。世界中どこにでも転がっている普通のお話です。
- izuhara
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まず、当時の国際社会において日韓併合は承認されていました。 併合後の第三次日英同盟協約において、それまで条項に入っていた韓国関係のものがなくなります。日本の領土となったためです。 併合前ですが、ハーグ密使事件は当時の国際社会における認識を顕著に示しています。 当時の列強の価値観において、韓国の併合は正当なものだったのです。 もちろん、現代の価値観からすれば、そのような列強の認識そのものがおかしいと感じるところでしょう。しかし、そこを追求しても、議論は深まりません。 過去の出来事の正当化は不可能なのです。 もし敗戦国である日本が現代において正当性を得ようとするならば、批難する国・勢力を力でねじ伏せ続けるしかありません。そんなことはありえないし、する必要もありませんが。 日韓併合の功罪を問う議論は、現実利害に規定されていますから、史実がどうであろうとかみ合うことはないでしょう。史実と歴史認識は一致しません。
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- sudacyu
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<参考> 『歴史』として見るならば、正当化論自体が無意味です。 「正当化」というのは、現時点で正しいかどうかを論ずるもので、歴史ではなく政治論です。 歴史として、AがBに働きかけたという歴史事象を分析して語るならば、それによるAのメリット・デメリット、Bのメリット・デメリット及びそれによる国際社会などの第三者に対するメリット・デメリットを分析・記述すれば十分です。 歴史評価は、それぞれのメリット・デメリットの大きさや、それぞれの間の関連性を、明らかにすればよいのです。 起きてしまった歴史的事実に対して、正しいかどうかという『現時点での判断』は歴史ではなく、現在進行形の「政治」そのものです。 「過去のある時点で、当時の倫理に従って、ある判断をした。」ということがあって、それが当時として『正しい』と見られたとしても、その『正しい』と見た判断そのものが、一個の歴史的事象でしかありません。 ですから、その当時の価値判断を知ったところで、当時Aにとっては正当、Bにとっては不当というような歴史的事象が存在するだけです。 そのような過去の事象に対して、今の時点の社会にとって普遍的な『正当性』を決める行為は、「現代政治」でしかありません。 政治的に『正当性』を決める行為は、決めた時点での政治状況を反映したものになります。当然ながら、時間の経過によって、政治バランスは変わっていきますから、『正当性』を認定した現在の政治状況そのものが変わってしまえば、『正当性』という評価自体も未来においては、変化していくことになります。
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- type096
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現実的に申しますと、いかに日本の立場から論理的な説明をしようとしても、半島の人たちが併合自体に悪い印象を持っているかぎりは併合の正当化はできないと思います。 しかし、正当化できないなら併合してはいけなかったとも言えません。当時の帝政ロシアの南下政策は確かに日本にとって脅威でありましたし、それへの対抗策として朝鮮半島に日本側の防衛線を築くことは有効な手段でありました。 朝鮮半島は朝鮮人のものであり、日本人、ロシア人、中国人がみだりに干渉すべきでないことは自明ではありますが、如何せん朝鮮半島はこの三国の中心地点にあり、日本が生き残るためには朝鮮半島を押さえておく必要があったのです。 「自分が生き残るために他人を犠牲にしてもよいのか」という問題への答えは人それぞれですが、どのような答えを出したとしてもその人を非難しきれないということと、この併合問題は同じなのだと思います。 最後に蛇足ですが、日清戦争に清が勝利していたら朝鮮は清の傀儡国家に、日露戦争でロシアが勝利していたら朝鮮はロシアの植民地になっていたと思われます。
お礼
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- mekuriya
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明治14(1881)年3月ハワイ王国のカラカウワ王が来日し、明治天皇に会見を申し入れて、ハワイへの日本人移民の実現、カイウラニ王女と日本皇族・山階宮定麿親王の婚約、ハワイと日本の合邦の3点を提案したことがありました。その頃、ハワイはアメリカ人移民に乗っ取られつつあり、国土の実に75%がアメリカ人に買い占められていたのです。しかし明治天皇はアメリカの対日感情の悪化を恐れて、この提案を拒絶しました。それも当然で、日本はイギリスやアメリカからのお雇い外国人の協力で近代化路線を推進中でアメリカと敵対することは考えられない選択肢でありました。ただしハワイへの日本人移民についてはカラカウワ王の再三の懇願もあって受け入れる事とし、それは1885年に実現し、日本人移民はハワイで大歓迎を受けました。 一方、朝鮮半島では1896年露館播遷といわれる事件が起きました。露西亜軍と結んだ親露派が高宗を騙して露西亜領事館に拉致し、鉱山採掘権、鉄道敷設権、山林伐採権を露西亜に売却させるという売国政権を樹立するといった政情不安定な状態でした。 それには1860年に清と英仏のトラブルに便乗した露西亜が北京条約を結び清から外満州を割譲させて沿海州として露西亜領に編入して軍港としてウラジオストクを建設し、1894年に締結された露仏同盟を基盤にし、フランスの技術・資本の導入でモスクワからウラジオストクをシベリア鉄道で結ぶという露西亜の極東方面の南下政策の推進が李氏朝鮮に大変な動揺を与えたという背景があります。長い間、李氏朝鮮が宗主国と仰いだ清の弱体化が意識され、露西亜に植民地化される恐れが現実の懸念となっていたのです。 李氏朝鮮の政局は、親清派・親露派・親日派・守旧派・開化派の入り乱れた混迷状態に陥っていました。 1900年清で起きた義和団事件に便乗した露西亜は内満州を軍事占領し、それに危機感を覚えた日英が1902年に同盟を結び露西亜の南下政策を牽制しようとしました。日英の撤兵要求を露西亜が拒否したことから、ついに1904年日露戦争が勃発し、日本は朝鮮の親日派とイギリスの支援も得て辛勝し、ポーツマス条約に至ります。満州・朝鮮の植民地化の野望を挫かれた露西亜は、満州権益を日本に譲渡して、クリミア戦争以来中断していたバルカン半島方面への南下政策に再び注力することになったのです。それは極東方面での英露・日露の緊張緩和につながり、新興国ドイツの台頭を意識した三国協商に至る背景です。それは朝鮮で親露派が勢力を失い、親日派が勢力を巻き返すことにも繋がりました。それが親露派に担がれた高宗が1907年に退位し、純宗が即位した背景でもあります。 親日派を支持基盤とした純宗は日韓併合条約を結び、日本の力を借りて近代化を図ろうと考えました。日本は対朝鮮政策に関して議論が分かれていましたが、1909年に慎重論を主張していた伊藤博文が安重根の凶弾で斃れるに至り、ついに純宗の日韓併合の願いを受け入れる他なしと閣内がまとまったのです。それには欧米列強の理解と同意を得られるという判断もありました。カラカウワ王の懇願を受け入れられずに、ついに1898年にアメリカによるハワイ併合を容認せざるを得なかった日本は、露西亜による朝鮮併合だけは認められない立場でもあったのです。純宗は日韓併合にあたり、以下のように朝鮮人民に訓示しました。カラカウワ王にしても純宗にしても、それは苦渋の決断であったのに違いありません。 日韓併合時の純宗皇帝の勅諭 1910年8月29日 皇帝、若に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、 臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、 未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、 時日間に挽回の施措望み無し。 中夜憂慮善後の策茫然たり。 此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底らん。 寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。 故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、 自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、 隣国日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、 内八域の民生を保全ならしめんとす。 惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、 日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。 朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、 専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。 爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。 隆煕四年八月二十九日 御璽 2018年冬季オリンピック招致の成功で韓国は沸きかえっていると聞きます。純宗皇帝陛下も、あの決断は間違っていなかったと、あの世で喜んでおられるだろうと思います。
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- isoken
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>(1)ロシアの脅威に対抗するためであり搾取するためではなかった。 帝国主義末期の当時朝鮮半島を巡る日露両国の衝突は不可避であった、そして日韓併合は歴史的必然性の下行われ当時の列強の全ての認証を得た合法的行為、そこに間違いはありませんし、そもそも当時の朝鮮半島は未開の地域(第3者に依るあらゆる文献がそれを証明しております)、搾取の対象となる物(汚らしくてニンニク臭いキムチを除いて)等何も存在しておりませんでした。 それともう1点、歴史の或る地点を現在の価値尺度で計るのは無意味な事です。 但し「日韓併合は行われるべきではなかった」、質問者様と違った視点から私としてはそう考えます。 その理由として、仮に当時の日本政府が朝鮮半島にコミットしなかったとしたら、現在日本列島にのさばる在日朝鮮人が日本に居留する法的根拠(元々サンフランシスコ講和条約に準拠して本邦に居留する朝鮮人は殆んど存在しませんが)を失う事。 そして何の産業・資産をも有しない世界でも稀な不潔で貧乏な民族を支配した事に依り、植民地としての体裁を整える為に大日本帝国がその乏しい国家財政から捻出した莫大な支出が国家としての方向性を狂わせてしまった事(植民地経営の原資を中国大陸に求めた点は否めない)、以上2点が挙げられますが、質問者様が何に拘泥して「日韓併合」の正当性に就いて言及されるのか、非常に理解に苦しみます。
お礼
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- demio
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ロシアの脅威だけですが、アジア人である中国人のいる地域に川をはさんで急に白人のロシア人が元々いるはずは無くてヨーロッパから来たのは想像できると思います ウラジオストックなどの日本海に面するロシア領は元々は中国(当時は清ですか)だったのをロシア人がきてロシア領になったはずです、当時は話し合いで納得して領土が決まるはずはなく冬でも凍らない港がほしいロシアは弱体化した清国に軍事外交経済あらゆる手段を使ったはずで今の常識では考えられない方法で不平等条約をさせたと思います アイグン条約だったか北京条約の名前だったとおもいます とうぜんもっと南側も欲しかったでしょう、それが朝鮮半島です、清国の支配が弱まった朝鮮を占領しようと考えているだろうとは第三国もわかっていたと思います 日本も朝鮮半島全体がロシア領になると日本にも脅威と感じて先に占領したとするのが(1)でしょう これが正当かどうかは判断は出来ないと思います、不当だと言うなら過去の条約は無効とするならウラジオストックも中国に返すことにもなるでしょう、このあたりの国境紛争はソ連時代もロシアになっても中国ともめていました
お礼
ありがとうございます
- berryz100
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併合されたほうの国が怒っているのなら、 どんなことを言ってみても、正当化は無理では? ただ、当時、併合や侵略が当たり前の時代において、それらを 現在の価値観において、正当化する必要があるかどうかは疑問。
お礼
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- woowq
- ベストアンサー率23% (7/30)
日韓併合と言うよりも、そもそもの戦争を正当化することは出来ないでしょう。 無差別に多くの人を傷つけるのが戦争です。 海外では、広島/長崎の原爆も、正当化している話もありますが、どれをとってもそれを受け入れられるような理由はありません。 ただ、韓国については、WW II 後、強い軍隊を持っていますのでベトナム戦争などでは加害者になっています。日本が昔やったような事をやっています。 そのことについて、韓国でも問題になっていますのでお互い加害者として、被害者として戦争について討論や共感できる余地あると思います。 どちらが良い悪いという程度の低い話ではなく、戦争をどの様に減らすかなど前向きな話という意味でです。
お礼
ありがとうございます
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