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自己受容の研究結果における解釈に悩んでいます
オギルビー(1986)は「こうはありたくない自己」と現実自己の 認知の関係が自己を受容することとどのような関係があるかを 検討しています。 ここでは自己受容は人生満足度スケールによって測定されています。 その結果、現実自己と理想自己との関連から検討する場合に比べ、 こうはありたくない自己と現実自己との距離のほうが自己受容と かなり強い負の相関関係にあることが見出されています。 つまり、「自分は最悪でも、あのようにはなりたくない」←私の解釈 (こうはありたくない自己と現実自己との距離が遠い)と感じている 人は自分自身における満足度が低く出ていて、 「自分はこうありたくないと思っている自分に近い」←私の解釈 (こうはありたくない自己と現実自己との距離が近い)と感じている人のほうが自分自身の満足度が高く出ていました。 しかし、この結果に関して、私は納得できないのです。 普通に考えたら、こうはありたくない自己と現実自己との距離が近い 方が自分自身の自己評価が低下し、自分自身の満足度が高く なると思うのですが・・・・。 みなさんはどう思いますか?
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すべての質問内容が把握できたわけではないのですが、つまり非理想的自己と現実の自己認識との差が遠ければ遠いほど自己満足は低くなり 近ければ近いほど自己満足が高くなるという話でしょうかね? もしそうだとしたらまあそうだろうなと思います。 こうなりたくないと思う理想に対して不安を抱えているのでそこからつねに逃避をしなければならないような精神構造をしていると考えられますので自分の満足いく構造へ変化するためには多大なエネルギーを必要とするだろうし常にこうなりたくないと思う理想に対して対応するような精神構造の変化が必要になるので逆に精神構造を不満足な形に変化するという結果になりえるだとうと思われます。まあ不満足というよりかは非満足と言った方が正確だろうと思いますが、要は常に精神構造をその不安の反作用で形成しなければならないので逆に辛いという羽目になるのだろうと思われます。↓参考にどうぞ(迎合性の観点から見ています) http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4313504.html また非理想的自己像の作り方は無意識の内に自分の精神構造の上で作っているので(つまり「自分の精神構造上最悪こうなるぞ」という根底下の認識をある種間接投影(投映)しているだろうと思われますので)結果その桎梏の呪縛から解き放たれるのだろうと思います、なので近い場合自己満足度が高くなるのだろうと思います この呪縛に気がつかずより遠くへ行く場合自分の力のみでは達成できず他のなにかを差別することで達成した気になるという現象が生まれるのかなと最近思っています、心理実証できているかわかりませんが、そう思っています。この研究成果が出ることを祈っています。
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- yoshiaki-august
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もう少しデータがあるとわかりやすい気がします。満足度が高い人でも、社会的地位の高い人なのかとか。
- orrorin
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直観に反する結果って解釈に悩みますね。 だからこそ心理学は面白いんでしょうけど。 さて、結果に沿った形で解釈するとなると。 「ありたくない自己と現実自己との距離が近い」人というのは、当然自分の状態を好ましく思えないはずです。 一方で、実際にそのような状態になってしまっているという現実(そして認識)があります。 そのために生じる矛盾を解消しようと、自己満足を高くすることで「いや、自分はこれでいいんだ」と半ば無理矢理納得しているのではないでしょうか。 こんな風に認知的不協和理論を援用することで、とりあえず説明がつくんじゃないかなと思います。 「現実自己と理想自己との関連から検討する場合」と比較しているのも、「望ましくない自分との直面」という要素を入れることによる、自分に対する態度の変容を示そうとしているのだと思います。 要するに不協和が起きるかどうかがポイントなのでしょう。
すみませんNO1です訂正です。 下行から4行目の>結果>の隣に>非理想自己と現実自己との距離が近い場合>を付け加えておいてください。