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アドラー心理学、嫌われる勇気(本)の内容について
アドラーは他者との分離することが対人関係の問題を解決すると提言していますが、それは子供でも言えることだと書いてありました。自分の息子を分離=放任としてするのではなく、子供のことを知った上で、分離=見守るとのこと。 例えの中で「子供がひきこもりをしていたら、まず子供のひきこもりという課題の結果はどうなるのかと考えさせて、そして出来る限りの見守り=援助はするが、それ以上は踏み込まない」というものがありました。 じゃあ「子供が犯罪をしようとしていたら、その結果を考えさせて、出来る限りの援助(この援助とは何なのか分かりません)をする。だが、それ以上の所までは踏み込まず、ならばつまり、犯罪を止めることができる親としての責任や手段を放棄する」ということになりませんか? それに、相手の事を信じるというものも分離の課題であると書いてありますが、信じるとはじゃあどういう意味なのでしょう? 犯罪の例えならば、信じる=貴方はそんなことしない、つまりこれって「他者は貴方の期待を満たすために生きている」ことになりませんか? だって信じる=自分の思っている通りの期待を押し付けてるんですから。 息子が犯罪をする、犯罪者になることが「自分にとって信じる最善の道」とするならば、それを黙って親は「これは息子の課題で、息子が決めたことだから」と諦めるというのが正解なのですか? これは放任だと思いますが。
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- kanto-i
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お礼ありがとうございます。 No.3の捕捉請求のお返事は、No.4になっております。 では、失礼します。
- kanto-i
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neutralさん、訂正 >「それ以上は踏み込まない」について。 >「自分はこうして欲しい」ということはしっかり伝え、しかし、 >力づくで自分の望みに従わせるようなことはしない、ということです。 親の「欲しい」は、子供が親の願いを叶えようと無理することも出てきます。 母親でしたら、子供から聞かれた場合 「お母さんなら、これを選ぶかな。でも、あなたはお母さんじゃないし あなたはあなたの考えで選ぶことがいいと思うのよ。」 相手の思い・意見を尊重し、なぜそれを選んだのかを聴かせてもらう。 「言わせる」じゃなく聴かせてもらう(笑) 尊重は、細部に出ますからね。 褒める教育は、ここで質問に上がっていないので保留にします。
お礼
>お母さんなら、これを選ぶかな。でも、あなたはお母さんじゃないし、あなたはあなたの考えで選ぶことがいいと思うのよ。 えぇ、選ぶでしょうね。子供は犯罪を。それが最善だと思っているから。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
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こんばんは、setuno_057さん。 「嫌われる勇気」に書かれているのは、まさに 「わたしは人を喜ばせるために生きているわけではない!」ということ、 「他の人もわたしを喜ばせるために生きているのではない!」ということ、 「つま先立ちをしてまで実際の自分より大きく見せようとすると疲れる」 「そこまで人の評価に頼りきらないと生きられないのか。」 「人の評価からもともとわたしは自由ではないのか。」 「どちらの生き方があなたにとってうなづけるものなのか。」ということ。 アドラーの言っている(であろう)ことを大雑把に話しますね。 この人は「褒める教育」「褒める育児」に疑問を投げかけています。 もちろん褒めてはいけないというわけではありません。 ◇1.信頼している人から褒められると、褒め言葉の内容がどうであれ よろこんでしまう、というのがやっかいなのと、 ◇2.褒められることによって行動するという癖がつくと、 褒められることが行動の目的になってしまうということです。 褒められるというご褒美がなければ何もする気にならない、 という受動的な生き方を覚えてしまうのではないかということです。 鼻先にニンジンをぶらさげられないと走ろうとしないウマ、 といえば想像できるでしょうか。 たとえば、ですが、 「まあ!こんな高級な靴を盗んできたのね!あなた偉いわ!」 「まあ!こんなに血まみれになって骨もたくさん折れているのに あなた仕返しもせず涙も流さなかったのね!ステキすぎるわ!」 「あなた教科書に書いてある通りに行動するのね、偉いわ!」 親愛なる人から、このような褒め方をされた人は、どうなるか。 そんなことを言っているのではないかと思います。 _______________ 分離について。 自分と他人の区別(分離)ができていないと、 自分の延長線のように他人を扱ったり、都合よく期待したりします。 それですから、自分と他人の境界線をしっかり認識し、 「これはわたしの課題」「これはあなたの課題」と分離し、 「共通の課題」については話し合うのだとアドラーは言っています。 _______________ 「それ以上は踏み込まない」について。 「自分はこうして欲しい」ということはしっかり伝え、しかし、 力づくで自分の望みに従わせるようなことはしない、ということです。 ________________ 「相手のことを信じる」について。 これは期待する(自分の延長のように考える)のではなく、 その人を【尊重する】という意味だと思います。 >「これは息子の課題で、息子が決めたことだから」と諦める :いえいえ、息子が放縦児になっても無関心でいろということではなく あくまで関心を持ちつつ尊重するということです。 答えを教えたりはしない、なぜなら息子が自分で答えを出せるはず、 しかし息子が答えを間違えたときは一緒に考えよう、 ということだと思います。 おかしいところがあれば誰か直してください。
お礼
ご回答有り難うございます。
- kanto-i
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スペルガーと言うことですので、ポイントを説明します。 人間は、分からなくても分かろうとしようとすること。 後は繰り返すこと。 この二つで分かるようになれます。 分からないけど分かるようになりたいなら 分かろうとしながら、繰り返して行く。 No.3に書いてあることが分かりたければ 分かろうとしながら、繰り返し読むことです。 50かいでも100でも、それ以上でも。 アスペルガーであれば、少し理解が遅いと思います。 諦めなければ、理解出来る日が来ますよ。 健常者でも、すんなり理解できる訳でもないですし 実際に行動に出せるのは、練習しないとできませんから。 知っていても練習しないと出来ないのは、みんな一緒です。 人間は、誰でもそう言うのは同じですから、何にでも使うといいですよ。 ではでは(^_^)
お礼
ご回答有り難うございます。
- kanto-i
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最初は、親が息子が犯罪をするだろうと気がついている訳ですよね。 犯罪を暴力としましょうか。 私が、もしその息子の親だったとします。 まずは息子の話しをひたすら聴きます。 気持ち・苛立ち・腹立たしさ・不条理に思っていること すべて受け止めます。 一切の否定や反論は入れません。 息子の気持ちを理解することに専念します。 すべての話しを聴いた上で、気持ちを理解して 「殴りたくなる気持ちはよくわかる。暴力と言う方法が、 一番いい方法だと最善の選択だとお前(息子)は、本当にそう思うのか?」 と、息子に問います。 (もし、そう問われたら「殴るのが最善だ」と言い切れるでしょうか?) 人殴りたくなるほどの気持ちの問題を、誰かに何かされたのだとしたら その対応を一人で考えるのではなく、一緒に考えます。 一緒に考えるのは、本人の考えから答えを導き出すためです。 親のやり方は、押し付けません。 信じるのは、息子の可能性であって何かをしてくれることではありません。 息子が自分にとっての最善の道を見つけて、歩いてくれることを信じる。 人として信じる。ただそれだけ。 黙って、ひたすら信じるだけです。 見守るのは、最善を見つけられるまで見守る。 もし、犯罪のために家を出て行こうとすれば、体を張ってでも引き止めます。 上記の部分部分で、アドラー心理学は使われています。 内容は、心理学で言うと幾つかを同時に流れ応じて使っています。 援助は、暴力以外の選択肢しか無いのか? やり方や方法は、他にもあるのではないか? 一緒に考えるのも援助になります。 >本には「結局自分の人生を変えるのは自分」とした上で、「自分の信じる最善の道を歩むこと」が目的であり、目標であり、答えであると書いてありました。 犯罪が最善だと質問者様は思いますか? 他の選択があって 、和解の道があっても犯罪が最善でしょうか? その選択を変えるのが「結局自分の人生を変えるのは自分」になります。 変えさせるのではなく、息子の中にある最善を一緒に探してみると言うことです。
お礼
>人殴りたくなるほどの気持ちの問題を、誰かに何かされたのだとしたら その対応を一人で考えるのではなく、一緒に考えます。 一緒に考えるのは、本人の考えから答えを導き出すためです。 そうです。これが援助だと思います。僕も、これを考えてました。 >親のやり方は、押し付けません。 しかし、此処がわからない。貴方は、犯罪以外の手を相談しあって見つけていくんですよね? そうしたら、「犯罪はしないほうがお前の為である」と、結局遠回しに堀を埋めて誘導尋問、この他人の意見の押し付けになるのでは? ならば「信じる」とは、やはり押し付けに思えてしまいます。 >息子が自分にとっての最善の道を見つけて、歩いてくれることを信じる。 人として信じる。ただそれだけ。 これも、息子よ、お前は犯罪なんてしてはいけないという皮肉に思えます。
補足
お礼は少し待ってください。貴方の言うことに、ひっかかる部分もあるし、それとは別に、理解できそうな気もするのです。
- kanto-i
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>じゃあ「子供が犯罪をしようとしていたら、その結果を考えさせて、出来る限りの援助(この援助とは何なのか分かりません)をする。だが、それ以上の所までは踏み込まず、ならばつまり、犯罪を止めることができる親としての責任や手段を放棄する」ということになりませんか? 「それ以上の所までは踏み込まず」どこの所の何処までか。 あなたなら、適切だと思う所はどこでしょうか? >それに、相手の事を信じるというものも分離の課題であると書いてありますが、信じるとはじゃあどういう意味なのでしょう? 犯罪の例えならば、信じる=貴方はそんなことしない、つまりこれって「他者は貴方の期待を満たすために生きている」ことになりませんか? だって信じる=自分の思っている通りの期待を押し付けてるんですから。 信じるとは、押し付けが必ずセットで必要でしょうか? ただ信じると言うことは、人には無いのでしょうか? >息子が犯罪をする、犯罪者になることが「自分にとって信じる最善の道」とするならば、それを黙って親は「これは息子の課題で、息子が決めたことだから」と諦めるというのが正解なのですか? これは放任だと思いますが。 「諦めるというのが正解なのですか?」 本には、犯罪者になることは止められないから 親は諦めなさいと書いてありましたか?
お礼
>「それ以上の所までは踏み込まず」どこの所の何処までか。 帰結する所は「犯罪を犯したら君が不幸になる」、ここまでかと。 >信じるとは、押し付けが必ずセットで必要でしょうか? ただ信じると言うことは、人には無いのでしょうか? 信じるとは期待の押し付けと思います。僕はアスペルガーですが、「アスペルガーだから天才なんで、何でもできるって信じてる。深く悩むのはバカバカしいぞ、逆に羨ましい」といった感じで言われることがあるのです。 >「諦めるというのが正解なのですか?」 本には、犯罪者になることは止められないから 親は諦めなさいと書いてありましたか? 本には「結局自分の人生を変えるのは自分」とした上で、「自分の信じる最善の道を歩むこと」が目的であり、目標であり、答えであると書いてありました。 つまり、犯罪を望む息子は己の正しいと思った道を進むことが許され、推奨され、そして親は息子の犯罪を止めてはならないと書いてあります。
- kanto-i
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心理学の本は、本の内容がおかしいと思った時は ご自分の解釈を見直した方がいいですよ。 >「子供がひきこもりをしていたら、まず子供のひきこもりという課題の結果はどうなるのかと考えさせて、そして出来る限りの見守り=援助はするが、それ以上は踏み込まない」 れいでは「ひきこもりという課題の結果はどうなるのかと考えさせて」これが援助です。 「それ以上は踏み込まない」=誰かに危害を及ぼすわけではないから。 一つの心理学は、人の心理の一側面の対応を示しています。 その一つを使って、あらゆること全てに対処・対応をするために 用意されているものではありません。 そういう心の動きや対応の基本的なことを踏まえて 対処・対応・対策の行動を自らで考え出すための基礎なのです。
お礼
ご回答有り難うございます。
お礼
何故かお礼されてませんでした。