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魂という概念なくして自殺はありえるか

自殺者の多くは楽になりたいと思っているはずです。 「楽になりたい」という言葉は将来的に楽になる状況が訪れることを期待する言葉です。 自殺者の将来とは何か。 それはあの世か輪廻を指すのではないでしょうか。 つまり、魂という概念なしに自殺はあり得ないと考えられるのですがどうでしょう。

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  • ベストアンサー
  • lapindog
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回答No.20

再び失礼します。 お礼をもらったあと、せっせと新しい回答文を書いていたのですが、間違えて全部消してしまいました…;; また同じ文を書き直す体力と気力がないので、ちょっと省略して書き直します。わかりづらいところがあったら、ご指摘ください。 質問者さんは、 自殺をするには魂、あるいはそれに関連するような考え方(輪廻転生や死後の世界など)を持つことが必要なのでは? ということをお尋ねになっているのかな、質問文を読み直し、よく考えて、感じました。 つまり、 魂、輪廻転生、死後の世界などの概念を持たなければ、自殺という行動に至らないのでは? ということですよね? そうだと仮定して、動物を例に考えてみました。 考えた、というより検索して調べたのですが、動物の自殺、あるみたいです。 事故的なことは別としても、そのような報告は世界中から寄せられていて、中には集団自殺なんてこともあるそうです。 助けられても何度も水に飛び込み自殺した犬、呼吸することをやめてしまったイルカなど、このような例は私達人間がするような自殺と等しい行為な気がします。 次に、赤ちゃんは?と考えたのですが、ここはちょっとややこしいです。 人間の赤ちゃんが自殺する、というのはなかなか聞きませんよね。 同様に、人間以外の動物の赤ちゃんも、自殺することはないように思えてしまいます。 成長したときと赤ちゃんのときとの違いは、確かに魂云々というのはあるかもしれませんが、何より考えられるのは「死という現象を知っているか」というのと、「死ぬ方法(手段)を知っているか」ではないかと思います。 実際に目にしたことがありますが、保育園に通うくらいの子供が大好きなおじいちゃんを亡くした時、「おじいちゃんは?どこ?」と必死に探していたのです。 死を理解していないのだなあと思いました。 人間をはじめ、動物が自殺をして、しかしながら赤ちゃんはしない、というのが正しければ、概念を持つかどうかが関係するかどうかは、ますますわからなくなりますね。 動物って、何考えてるかわかりませんし… ただ、人間の鬱ってありますが、あれは脳の病気だそうですね。 身体(脳)のシステムが狂ってしまって、生きるのとは違う動きをしてしまう、というのはありそうですよね~。 ん~わかりません。 回答になっていなくて申し訳ありません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自殺というくくりは案外広いようです。 今、問題にしている自殺は例えば失業、病気、失恋、借金などが原因のそれです。 そういう意味では昔の切腹は自殺ではないわけです。 同じように動物のそれははたして人間のそれと同等かはひどく疑問です。 >「死という現象を知っているか」というのと、「死ぬ方法(手段)を知っているか」ではないかと思います。 はい、つまり自殺するためには知識が必要だという事を意味していると思います。 私はその必要な知識の中にあの世なのどの概念(知識)が不可欠だと考えました。

その他の回答 (27)

  • Saturn5
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回答No.7

>拷問を受けていた人は魂という概念を持っていたから苦痛から逃れるという選択を >持ちえたと考えられるわけです。 ここまでは正しいと思います。 >逃げるというのはつまるところA地点からB地点への移動を意味します。 これは違います。 逃げるというのは別の地点に移る意味もありますが、リタイアもそうです。 全てが無になると考えて死んだ人も多いと思います。 何より、拷問をさえていて来世や魂を考える余裕があるでしょうか?

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >全てが無になると考えて死んだ人も多いと思います。 どうやって無になったことを確認するんでしょうか? 死後の世界で確認するんじゃないのでしょうか。 >何より、拷問をさえていて来世や魂を考える余裕があるでしょうか? その瞬間の話ではなく平時の話です。 そもそも死という概念がなければ自殺はあり得ないわけです。 死という概念を得たのは拷問中ではないでしょう。

回答No.6

自殺しようとする人は「視野狭窄」に陥っていて、死ぬこと以外に何も考えられない状態になるので、自分が死んだらどうなるのか、とか、魂がどうだとか、そんなことを考える余裕があったら、自殺しません。 合理的な判断や理性的に考えることができない状態なのです。 それに魂という言葉は前・近代の考えで、また身体と心とが分離されていなかったアニミズムの世界観が広く人々に信じられていた時代の考え方で、デカルトが身体と心を二元的に分離した今のような時代には、誰も魂があるなんて考える人はいません。 また、輪廻転生という考えも、インドが熱帯で作物が年に何回も収穫できるところから、そのアナロジーとして考え出された思想で、東アジアの中国や韓国、日本などの寒冷地で年に1回しか作物が収穫できない風土では輪廻転生の考えを持つことは困難です。 第一、インドと違って中国や日本はインドのような形而上学的な考えは苦手で、現実的ですから、現世中心の考え方が主流で、来世なんて考える人は稀です。 中国の儒教を見ても、現世中心です。 来世なんて考えていません。 儒教は「無鬼」と言って、現世を越えた鬼神を語らない主義です。 今の日本人も来世なんかよりも現世の方が大事で、健康第一、いかにして長生きするか、健康にばかり気を使っています。 来世とか輪廻転生とかは現世で満足できなかったり、悲劇的な死を迎えた人が、夢見る幻想、反動形成の産物です。 この間、神戸で理研の笹井センター長が首を吊って死にましたが、周りに迷惑をかけることに対する謝罪の言葉だけで、来世のことを考えていた形跡はありませんでした。 現代人には来世の観念を持つことは極めて困難です。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 その瞬間はそうでしょう。 しかし問題にしているのは平時にその人がどのような生死観を持っていたかという事です。 そして何を信じているかの話ではなく魂という概念を持っていたかの問題です。 その人は知人の葬式には出ませんでしたか?お墓参りはしませんか?初詣は? グーグルマップで寺社、教会を検索してみてください。 数えきれないほどの数が出ますよ。 現代人は魂の存在を信じていないというのはどこの国の話でしょうか? そもそも合理的な判断ができない状態の人間がデカルト云々で私は死後の世界を否定しますってあり得ないでしょう。 藁にもすがるが極限状態というものじゃないですかね。

noname#214841
noname#214841
回答No.5

さつそくの「お礼」ありがたうございました。 >>終わったことをあなたはどのように確認するつもりだったんでしょうか? 確認するつもりはありませんでした。 それだけのゆとりがあれば、自殺することもないやうな気がします。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自殺は目的ではなく手段です。 確認するつもりがないなら終わらない可能性も否定できないのではないでしょうか。 通常、確認する気がないというのはそのことに興味がないことを意味します。 つまり、苦痛が永遠に続いても構わないという事です。 ならばなぜ自殺するのでしょう。 あなたの言葉に矛盾を感じますがどうでしょうか。 実際、あなたが自殺を意識した当時、あなたには魂またはあの世という概念がすでにあったのではないでしょうか。

  • tiroo
  • ベストアンサー率45% (65/144)
回答No.4

身近な人を亡くしたことがあります。 楽になりたいのは、ただただ今の苦しみから逃げ出したいということだと思います。あの世でどうこうとか、後世でどうこうなんて考える余裕はないほどの悩み方のように見えました。ただだだ、終わりにしたい、無になりたい、この苦しみから逃れられるならなんでもいい、消えていなくなりたいという心境だと思います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >無になりたい >この苦しみから逃れられるならなんでもいい ね、未来形でしょ? 自殺しても続きがあるという前提なくしてこの言葉は生まれませんよ。

回答No.3

自殺を考えた事がないのですか? 自殺者は、将来の楽(プラス)のために死を選ぶのではなく、 現在の苦痛(マイナス)から逃れるために死(ゼロ)を選ぶ のです。 それでも相対的にプラス方向ですから。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 つまり、マイナスからゼロに移動を試みたわけです。 ゼロという他者から見れば魅力的ではない未来に賭けたのでしょう。

noname#214841
noname#214841
回答No.2

はじめまして。 >>自殺者の多くは楽になりたいと思っているはずです。 他の人たちの思ひは、判りませんが、私がそんな気になつたことはあります。 「楽になりたい」ではなく、終りにしたい、といふ感覚でした。 >>自殺者の将来とは何か。 死後の将来を考へるのは、宗教上の殉教者とか、自爆テロの実行者のやうに、「希望」を持つ人たちです。やれるだけのことをやつて、それでも「希望」がないから、自殺する場合が多いのではないかと思ひます。 データがあるわけではございませんので、頓珍漢な回答かもしれません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 終わったことをあなたはどのように確認するつもりだったんでしょうか? あの世からそれを確認するつもりじゃなかったのですか。

  • Saturn5
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回答No.1

例えば、中国では皇帝を暗殺しようとして捕まった人間は、 爪をはがされたり、爪と指の間に竹串を刺されたり、 鼻をそぎ落とされたりします。次の段階は手首と足首の 切断ですが、たいていはこの前に頭を床に打ち付けて 自殺します。 この自殺に魂の概念はあるでしょうか? 現状の苦痛から逃れたいだけではないでしょうか?

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 拷問を受けていた人は魂という概念を持っていたから苦痛から逃れるという選択を持ちえたと考えられるわけです。 逃げるというのはつまるところA地点からB地点への移動を意味します。 彼はこの苦痛から逃れるために現世からあの世へ移動しようと考えたのではないでしょうか。

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