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お釈迦様は魂や輪廻転生を否定したのでしょうか?

苫米地英人氏の話や著作(お釈迦様の脳科学等)には,お釈迦様は魂も輪廻転生も否定 したという話がでてきます.確かにアートマンを否定しているのですから魂はなく, 従って輪廻転生もないと考えられます.しかし,ダンマパダやスッタニパータには, 地獄やあの世といった記述がみられます.専門家の翻訳が間違っているとも思えません. これはどう理解すればよいのでしょうか?

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noname#224207
noname#224207
回答No.4

No.2・3です。 再度わざわざお礼を記入頂き有難うございます。 蛇足などと余分なものを書きご不興を招きましたことをお詫びいたします。 大分言葉足らずのところがありましたようですので、追加説明をさせて頂きます。 「パーリ語で伝えられている原始仏教の経典(ダンマパダやスッタニパータ)は、お釈迦様の言ったことを,より忠実に書き記してある」とされておられますが このバーリー語いいますのは、釈迦が生きた北東インドのマガダ地方の方言ではなく、西インド系の言葉です。 お釈迦さまがなくなられてから百年以上経った時代の部派と呼ばれる人達が書き残したものです。 輪廻転生は、その中の小部と呼ばれる経典に書かれています。 一方アートマンを否定したとされるのも、このバーリー語経典のなかの相応部と呼ばれる経典に書かれたものを論拠としています。 お釈迦様ご自身は何も書き残されておられず、各地を巡りながら説かれた言葉は全て口承で伝誦されました。 この伝誦されたものを元に各部派の人達が書き記したもののなかで今日まで残されているものがバーリー語経典と呼ばれるものです。 バーリー語経典と一括して呼ばれますが、多数の経典のいわば集合体とお考えください。 部派と呼ばれる人達は北伝20部派、南伝18部派と細分化された人達が現在まで伝えられています。 これ等のグループも含めて部派と呼ばれる人達が書き残したものが全て伝わっている訳ではありません。 個々の経典を作成した部派の人達がどの伝誦を元にしたのかが分かりません 経典を編纂するには、当然部派の人達の解釈や重点の置きどころがかわります。 「つまり忠実に書き残した」とされましても、どの部分が忠実なのかどの部分が忠実ではないのかということを立証する手立てはありません。 つまり忠実ではない、という論拠も無いということになります。 逆に言えば「忠実だ」としても間違いではないということです。 いずれにしましても、お釈迦様が編集したものでも検閲したものでもないことだけは確かです。 個々の経典に準拠した考えかたを、個別に取り上げて、矛盾だ、お釈迦様の言い方がおかしい、よく分からない、と言われても、お釈迦様は困ってしまいます。 仏教ではなぜこのような状態を放置してあるのか、ということをご理解願います。 お釈迦様が言われたことだけをオーム返しに伝えるだけであれば、それは単なる仏説です。 仏教といいますのは、お釈迦様の教えを通じて、人々を悟り即ち仏の境地へと向かわせることを目的としています。 個々の人間がお釈迦様の教えをどのような方法で理解して身に着けるかは一切問いません。 人間は、能力、知識、環境がそれぞれ異なりますから、それに応じて身に着けて行けば良いという思想です。 言い換えればどのようなルートを辿っても最終的に頂上に到達すれば良いということです。 どのルートを選べとか、どのルートでなければダメだなどということは言いません。 その人その人の力量や置かれた環境に応じて頂上を目指せば良い、という考え方です。 頂上を目指すには、決められた考え方も方法も無いとお考えください。 他の人は他の人なりの考え方や方法を採っているだけだとお考えください。 個々に比べれば矛盾だらけになるのは至極当然のことです。 なにかあれば追加で補足質問をお願いします。

goodoldday
質問者

お礼

詳細な解説ありがとうございました. 南伝仏教の中でも色々な経典があり,矛盾している部分があると初めて知りました. 世の中の真理はそんなに簡単に手に入るものではないということですね. もう少し南伝仏教について調べてみます.

その他の回答 (3)

noname#224207
noname#224207
回答No.3

No.2です わざわざお礼を記入頂き有難うございます お礼の中に 「世界の最新の仏教研究ではどのように解釈されているのか知りたくて質問しました」 とありますが、 その前になぜ疑問が生じたのか、疑問が生じた原因はなにか、ということをお考えになられましたでしょうか。 アートマンの否定と輪廻転生は矛盾しているのではないか、という点ではありませんでしょうか 何故矛盾とお考えになられましたでしょうか。 基本的に、仏教というのは一つの教義に基づいて議論されている、という先入観をお持ちではありませんでしょうか。 先にも少し触れましたが、お釈迦様がお亡くなりになられた後に弟子どもが大喧嘩といいますか、大論争を巻き起こして根本分裂という事態を生じさせています。 根本分裂 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/根本分裂 その結果、いわゆる北伝(方)仏教と南伝(方)仏教という二つに分裂しました。 いわゆる大乗仏教と上座仏教です。 各々教義も異なれば解釈も異なります。 キリスト教とユダヤ教の関係と同じようなものとお考え願います。 下記のサイトには正反対のものがあるとまで言っています 仏教―南伝仏教と北伝仏教― www.nara-wu.ac.jp/fuchuko/curriculum/study/Social/georepo/re... つまり仏教と一言で言いましても、二つのものがあるとお考えになられても差し支えはありません。 これを敢えて表明しないのが仏教の仏教たる所以です。 矛盾は矛盾として受け入れてしまうのが仏教です。 逆に言いますと、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も仏教流の見方からすれば、一つのものということになります。 従いまして、最新の仏教研究であれなんであれ「違う説がありますね、お互い矛盾していますね」でオシマイです。 もしこれに統一理論を出そうとすれば、新たに教義を打ち立て新しい宗派を作ることになります。 お釈迦様はこのように言っているはずだということになりますので、学問の領域を離れてしまいます。 宗教学と言えどもここまで無茶なことはしません。 唯一あるとすれば大乗仏教は仏教ではない、という大乗非仏説というのがあります。 大乗非仏説 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/大乗非仏説 ご指摘のダンマパダやスッタニパータは南伝仏教で大切にされている経典で北伝仏教では顧みられていません。 北伝仏教の経典にも掲載されていますが、こんな考え方もある、程度の扱いで終わっています。 蛇足 ルネサンス以降の啓蒙思想時代に生まれ現在科学的思考と呼ばれるものの考え方は、あくまでも一つのものの考え方ですので御注意願います。 科学的な考え方をしないのは学問ではない、学問であれば科学的な考え方をするはずだ、というのは一つの誤解ですので注意して下さい。 ましてや科学万能説に拘るのは、科学教の教徒ということになります。 コペルニクスもニュートンもアインシュタインも敬虔なキリスト教徒でした。 科学的思考が万能ではないことを充分承知していました。 現在のノーベル賞を受賞された科学者の皆さんも異口同音に言われています。 アインシュタインは自分の相対性理論を確率論に基づいて詰め寄られて返事に窮した際に、友人に「神はサイコロを振らない」と書き送っています。 コペルニクスも天動説に対して「神はそのような複雑なことはなされない」と言っていました。 「宗教」という言葉の定義は宗教学者の数ほどある、といわれ現在定説がないことも御承知おき願います。

goodoldday
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます.少し誤解があるようなので私の理解を整理します. (1)お釈迦様は諸法無我を唱えた. (2)諸法無我とは我(アートマン)の否定であり,つまり魂の否定である. (3)魂がなければ輪廻転生もない. (4)パーリ語で伝えられている原始仏教の経典(ダンマパダやスッタニパータ)は,  お釈迦様の言ったことを,より忠実に書き記してある. (5)ダンマパダやスッタニパータに,「地獄」や「あの世」といった,  魂や輪廻転生を前提とした記述がある. 【疑問】  ・お釈迦様は諸法無我を唱えていないのか?  ・唱えているならダンマパダやスッタニパータに,「地獄」や「あの世」といった   記述があるのはおかしい.明らかに矛盾している.   ((1)が正しいなら(3)までは論理的に正しい.(1)が正しいなら(5)は矛盾している.)  <考えられる可能性>   ・翻訳が間違っている(まさか?)   ・お釈迦様が対機説法で方便を語った(教えの根本に関わる部分なのに?)   ・ダンマパダやスッタニパータを書いた人が諸法無我を理解していなかった

noname#224207
noname#224207
回答No.2

どのように理解されてもご自由です。 何か無責任な回答のようですが、実はこれが現在日本で取り扱われている大乗仏教とか北方仏教と呼ばれるものの本質といいますか実態です。 「○○が言ったことをどう理解すればいいのか」という疑問は、お釈迦様が亡くなられたとされてからおよそ500年のちにも同じようなことがおきました。 そもそもお釈迦様ご自身は何も書き残しておられません。 お弟子さんと称する人達が私はこのように聞いたといっていろいろな解釈が広がっていきました。 この名残りはお経に残っています。 お経の初めは大半が如是我聞で始まります。 「如是我聞」つまり、我かくのごとくに聞けり、と始まります。 オレはこう聞いた、いやオレはこうだでは何時まで経っても埒が明きませんので、整理しようといって始まったのが日本仏教の元になった大乗仏教(北方仏教)と呼ばれるものです。 「輪廻転生」といいますのはインドでは古くからある考えです。 古代インドにはお釈迦さまが生まれる前からバラモン教(ブラフマン教)と呼ばれるものがあって、その時代からある考え方です。 現在のインドのヒンズー教も仏教と同様にこの考え方を受け継いでいます。 お釈迦様がこの考え方を引き継いでおられたのか、否定されておられたのかは、定かではありません。 如是我聞という流儀でいけば、引き継いでいたという人もあれば、イヤ否定されておられた、という人も出てきます。 これを取捨選択して整理統したものを大乗仏教(北方仏教)と呼びます。 整理したと言いましても2000年の間にどんどん追加されて現在は2000とも3000ともいう数の経典が伝えられています。 一つ一つを取り上げて比較しますと元々如是我聞ですから矛盾だらけ、ということが起きてきます。 しかも元は古代インドのサンスクリット語で書かれていたものを中国で漢語に訳して、それを漢文として読み下して解釈しているのが日本の仏教です。 この過程で中国人の解釈の仕方や日本人の解釈の仕方が加わりました。 ということで、日本でお釈迦様が実際にどのようなことを言ったのかということは、正確には分かりません。 この為にこうだと主張することもできる一方でそれは違うというだけの論拠もない、ということになります。 まぁ~言いたい放だい、だと考えて下さい。 結局は、質問者さんのお考え次第ということになります。 ただし、いい加減な訳ではありません。 お釈迦さまと同じように人に頼ることなく徹底的に考えることが重要です。 これを重視しているのが日本の禅宗です。 禅宗は徹底的に考えた上で、その考えることすら止めてしまえ、と言っています。 結果として禅は宗教ではなく哲学だ、と言われ、世界中から若者が考える修行に日本へ来ています。 永平寺などには、沢山の青い目の修行僧がいます。 沢山の書籍を読んで、他の人の解釈として参考にされた上で、ご自分の考えを纏めてください。

goodoldday
質問者

お礼

回答ありがとうございます.お釈迦様が諸法無我を唱えたなら(アートマンを否定したなら)魂(アートマン)はない事は分かります.にも関わらず,お釈迦様の言った事に,より忠実とされる原始仏教(南伝仏教,上座部)の経典であるダンマパダやスッタニパータに矛盾する記述があるのが理解できません.世界の最新の仏教研究ではどのように解釈されているのか知りたくて質問しました.

回答No.1

 苫米地英夫氏の主張は直接は知りません。しかし、仏教では釈尊が相手の理解度に応じて説教をした。中には「嘘も方便」という形で理解度の低い相手に対しては比喩や分かり易い表現で導いたとされております。ですから論理的にみると仏教の経典は矛盾だらけです。結論としてどのような文脈で輪廻転生やアートマンを否定しているのか?相手とのやり取りや理解度がどうなのかという点を考慮してご自分で納得いくまで解釈をなさって下さい。

goodoldday
質問者

お礼

回答ありがとうございます.お釈迦様が諸法無我を唱えたなら(アートマンを否定したなら)魂(アートマン)はない事は分かります.にも関わらず,お釈迦様の言った事に,より忠実とされる原始仏教(南伝仏教,上座部)の経典であるダンマパダやスッタニパータに矛盾する記述があるのが理解できません.世界の最新の仏教研究ではどのように解釈されているのか知りたくて質問しました.お釈迦様が本質的な部分で矛盾する内容の方便を使うというのも腑に落ちません.

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