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悪という概念の役割について、

江原氏(スピリチュアカウンセラー)の本を読んでいたところ、守護霊の話についての部分で、 「守護霊はどんなにその人が悪党であっても見捨てずに最後までよりよい方向に導こうとする」 というような内容が書かれていました そこで、ある仮説を立てました。 天上人(霊界、あの世の人)には悪という概念がない。 考えてみると悪という概念は他者(神、他人、動物、自然、物)との関係の上でしか存在しないと考えられます。 すると、肉体を持たない天上人にとって他者は存在するにしても関係自体にたいした意味を持たないのではないでしょうか。 働く必要も、食べる必要も、眠る必要もないのですから、他者との関係を必要としないはずです。 他者との関係が極端に希薄な彼らにとっては「悪という概念」は事実上無意味に等しいのではないでしょうか。 すると、肉体を持たない天上人にとって『善』は蓮の花のごとく美しいものでしょうが、肉体を持ち他者との関係を維持せねばならない我々にとっては時に非常に危険な代物となりうるわけです。 地獄への道は善意によって舗装されているなんて言葉が示すとおり、本質的に独善としての側面を持っているのですから。 そこで、結論として、 『善』の暴走を阻止するため、リミッターの役割として「悪という概念」があるのではないでしょうか。 「悪」とは独善という名の『善』なわけですから。 皆さんはどう思われるでしょうか。 ちなみに、死後の世界があるとか無いとかは気にしないでください。

みんなの回答

  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.4

善とか悪とか、何か他の目的のための概念のような気がします。 人間が、未来永劫、人間という種(しゅ)として存在するために、個人がしていいこととしてはいけないことを、分けているものじゃないかという考え方です。 宗教的に考える場合もあるでしょうが、法律なら判りやすいです。自分の利益のためだけに他人を殺した場合、悪として極刑ですよね。つまり、一個の命のために複数を犠牲にする場合、その一個を抹消し、より多くの人間を存続させています。 上記は極端な例ですが、個が個のためだけに、他人に必要以上の不利益をもたらす場合を悪としていると思います。 善はその逆と考えます。「善行は善行のみに拠って報われる。」 良いことをすると、脳内物質が分泌され、快感や実際免疫性が高まります。種からのご褒美です。 ちょっと半端になってしまいましたが、自分も今後宗教とか、法律とかを勉強する気が湧いて来ました。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに目的達成のための概念でしょう。 ただ、種としての永続も手段であり目的そのものとは言えないように思います。 絶滅したほうがメリットがあると判断されれば迷わず絶滅するでしょう。 >脳内物質が分泌され、快感や実際免疫性が高まります。 これは快楽殺人犯の脳内でも同様の現象が起きていると思います。 ゆえに彼の行き過ぎた独善という善にブレーキをかける必要があるわけです。

  • gigamax2
  • ベストアンサー率27% (170/628)
回答No.3

こんばんは。 江原氏はあまり共感するところじゃないのですが、善悪の概念について・・・。 宇宙は二元性から成り立っています。宇宙の根源を創造主とか神とか表現はまちまちですが、キリスト教などで言う神はこれに当たりません。 物質世界に生きる我々は、粗い波動の制限の中で色々な体験をするのですが、体験をすること即ち波動としての顕現です。 波動は電子のスピンによって形成され、全ての物質、音、色、光、諸々根源的なものといえます。思考も一種の波動也。 さて善悪を言い換えれば光と影と例える事が出来ますが、光があっての影となる事を考えてみましょう。宇宙の全ての存在は二元性の顕れしかなく、善悪の判断は実のところ人間がしているだけです。 天上界についてですが、少々美化しすぎかなと。波動を上昇させればおのずと三次元世界から離れるのですが、そこは物質領域ではないって事だけで思考そのものは同じ。なので我々の領域からは天国とか極楽浄土とか言い表されているに過ぎません。 その領域では思考が全て、物質的な現象が無い為に思ったことが非物質の波動のみで形成されると思えば良いのではないでしょうか。即ち思考=現実と言う事、そこには各々の善悪が顕現しています。といっても昇華した存在の思考は同じもの同士寄り集まるらしいですが・・・。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私はすべてはグレーだと思っています。 濃いグレーを黒と呼び、薄いグレーを白と呼ぶというのはまさに人間の性質ですね。

  • EX-0
  • ベストアンサー率41% (20/48)
回答No.2

考察を興味深く読ませていただきました。 これは宗教や思想によって様々な見方があるので一様に定義づける事は出来ないと考えます。 私個人の感想としては、この説の場合天国と地獄の概念が欠落しているように思います。 これは善悪の概念がない限り存在し得ない物であり、悪霊や守護霊の区分けも出来なくなってしまいます。 具体例を挙げればルシファーや菅原道真の存在が余計に分からなくなってしまいますね。 なので善悪の概念はあってしかるべきなんだと思います。 また、守護霊などは近親者や先祖など下は人間であることが主であり、動物霊がつく事あると聞きます、そもそもつかれた側が善悪どちらであれ守護と言う名目でついたのであれば、存在を認めた上でのことと考えられますので、そもそもとして善悪の括りでは縛れないのではないかと思いますね。 ちなみに私は無神論者です; 宗教は心の最後のセーフティネットのようなものと考えておりますので、神を信じるまでにはいたっておりません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 天国と地獄があったとしてもそれは相対性の中での話だと思います。 私たちから見れば北朝鮮は地獄と見えますが、彼らからすれば私たちは腐敗した民族に見えるでしょう。 地獄には地獄にふさわしい住人が、天国には天国にふさわしい住人がいるだけのことだと思います。 しいて言えば、それぞれが互いにあちらは地獄だと言っているだけでしょう。

回答No.1

予備知識もなく、質問者様の文章だけを読んで回答させていただきます。 天上人にとって「悪」という概念が無意味であるなら、「善」もまた無意味なのではないでしょうか。 蓮の花のごとく美しいもの、というのは「善」とか「悪」とか超越したステージにあるような気がします。 >『善』の暴走を阻止するため、リミッターの役割として「悪という概念」があるのではないでしょうか。 私もそう思います。 これを念頭において善=悪とするなら天上人は善という類いに入ってはいけないのではないでしょうか。 天上人にとっては「悪」もまた現世の人にとっては必要なものだから、見捨てないのではないかなと思いました。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 善悪を相対的なものと絶対的なものとに分けて考えました。 相対的善はいわゆる道徳的善です。 絶対的善とは天上人が感じているよりよくなろうとする性質(法則)のことです。 この絶対善と相克をなす絶対悪は私が考える限りこの宇宙および天上界にも存在しません。