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大阪へは、どのくらいの割合で、現物の米が輸送された
先日の質問「江戸時代、なぜコメを大阪まで?」を興味深く読みました。 ところで、現物の米の輸送は、コストが掛るし、品質も劣化しますので、大阪に送ることは極力回避すると思います。 ある藩が米を売る際、他の藩と売買が成立できるものは、その藩へ直接米を輸送すると思います。(大阪の米商人が両藩の仲介をすることもあるでしょうが) そして、直接の販売先が見つからない場合には、現物の米を、大阪の自藩の蔵や米商人へ送った、と思います。 大阪へは、どのくらいの割合で、現物の米が輸送されたのでしょうか?
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noname#224207
回答No.1
お礼
早急なご回答ありがとうございました。 引用分によれば、米の市場が、大阪以外にも、東日本を傘下にもつ江戸や、各地方にもあったようですね。幕府の目溢しではなさそうですね。各藩は、便利な市場や直取引を利用していたようですね。現物の米を、一市場に集中させることは、無理だったのでしょうね。