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穢(けが)れとは何か
《穢(けが)れ》について質問いたします。 1 穢れとは何か? 2 死は穢れなのか? であるならば、その理由は? 3 死穢(しえ)は禊(みそ)ぎ、水によって流せるのか? 流せるとすれば、その理由は? 4 なぜ、神社で神を拝む前に禊ぎをしなければならないのか? 5 穢れは伝染するのか? 6 こうした《穢れ》観の背景にあるものは何か、その理論的根拠は? 質問項目はすこし多いのですけれども、 《穢れ》がどのようなものであるのかを私が理解するためにどうしても欠かすことのできない項目なので、あえてそのまま列挙いたしました。 私の身勝手な希望としましては、6項目すべてに答えていただきたいのですけれども、 1項目でも構いません。 よろしくお願いします。
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こんばんは ねむ猫さん 「柳緑花紅」日本人には心地の良いことばです(笑い)
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ◇ 1 穢れとは何か? ☆ ケ(日常性。特にその活動力)のカレ(離れ / 枯れ・涸れ)だと見ます。 活動するチカラに関係なく離れるなら(チカラを保ってのことなら) ハレ(晴れ)という非日常の特別な日や期間やその行事のことを言うものと見ます。 チカラが衰えたなら 病いや死に通じます。これを忌み嫌ったゆえ 汚れ・穢れという言葉が社会通念として起こりました。 ◇ 2 死は穢れなのか? であるならば、その理由は? ☆ 観念として・つまりその共同化として出て来たものと見ます。 さらには そのような社会通念であるにとどまらず そのような死(死体や死骸)を扱う人間の社会的な位置づけが 身分制の中にまで採り入れられ組み込まれて行ったようです。 ◇ 3 死穢(しえ)は禊(みそ)ぎ、水によって流せるのか? 流せるとすれば、その理由は? ☆ 一般には(観念として共同化されただけの問題としては) 禊ぎあるいは祓へによって――祓へは 文字通り川や海にその払い除けるべきものを流してしまうことですから―― 通念にかんするかぎり 《水に流せるもの》と捉えられていたでしょうね。 ただし 穢れなる観念が 身分制の中にまで組み込まれた段階では その身分に就く場合にかぎれば その立ち位置をまぬかれる気遣いはなかった。 ◇ 4 なぜ、神社で神を拝む前に禊ぎをしなければならないのか? ☆ これは 気休めとしてでもそういう手続きをつくったというようなことだと考えます。神を拝むのは 山に向かってでもよいでしょうし どこででも出来ますから。 ◇ 5 穢れは伝染するのか? ☆ あり得ません。そのクウキに飲まれるとしても 社会通念ですから 伝染はありません。身体や血筋とは何の関係もありません。 ◇ 6 こうした《穢れ》観の背景にあるものは何か、その理論的根拠は? ☆ いろいろ調べられているようですが 分かっていないのではないでしょうか。 【Q:えた・非人は 天皇の子どもが その地位に落とされ 制度としても成ったの】〔ではないか?〕 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6023047.html という質問をして問い求めましたが 必ずしもそうではないという反証もあることが判明しました。(天皇の子が 木地師の部落に入りそこの住民と成った話はあるようです)。 ほかの仮説についても 回答者の方たちから紹介してもらっています。《背景・原因・人為的なものならその理論的根拠・・・》などについて考えましたが よく分かりませんでした。 むしろ根拠がないゆえに 社会の舞台に乗ったときには 鶴の一声で取りやめにならないかぎり 存続しているようです。摩訶不思議です。
お礼
こんばんはです。 ☆☆ ケ(日常性。特にその活動力)のカレ(離れ / 枯れ・涸れ)だと見ます。 ◇質問直後から、 たぶん、 「気(け)」+「離(か)れ」 = 「けがれ」 なんじゃないかな、 と思いはじめております。 このあたりは、非常に難しいみたいですね。 学者によって、 穢れ・・・個人的なもの 罪・・・共同体的なもの とするか 穢れ・・・共同体的なもの 罪・・・個人的なもの あるいは 罪・穢れは同じもの (大祓詞では「罪・穢れ」と区別していない) とする立場にわかれるようです。 天津罪・国津罪が絡み、かなり複雑な様相を呈してくるようです。 天津罪が先なのか、国津罪が先にあったのか、かなり厄介(笑い)。 さらに、罪の語源についても分かれているようで、 折口説では「慎(つつし)み」→「つみ」となったとするなど、 グチャグチャのようです(ポリポリ)。 であるとすると、 アマテラスの「天の岩戸事件」は、「蟄居・謹慎(処分)」だったということ。 ───ひょっとして、これは新説かもしれない!!─── 天の岩戸を別な観点から考察できるのかもしれない(ニコニコ)。 チョコッと調べてのですが、 スサノヲ・生贄説があるみたいですね。 高天原共同体(稲作農耕共同体)の罪を無実のスサノヲがアワレミから一身に引き受けた。 《十字架の神学》ならぬ《祓いの神学》というべきものがあるようです。 こういう学説があるようです。 ~~~~~~ ◇ 4 なぜ、神社で神を拝む前に禊ぎをしなければならないのか? ☆ これは 気休めとしてでもそういう手続きをつくったというようなことだと考えます。神を拝むのは 山に向かってでもよいでしょうし どこででも出来ますから。 ~~~~~~ 神や御神体などに《穢れ》や《罪》を移すと、その霊力やハタラキが落ちる、なんてことはありませんか。 落ちたら、《魂振り》のために祭りをしないといけないし(ポリポリ)。 ~~~~~~ ◇ 5 穢れは伝染するのか? ☆ あり得ません。そのクウキに飲まれるとしても 社会通念ですから 伝染はありません。身体や血筋とは何の関係もありません。 ~~~~~~ 《触穢》思想というものがあり、平安時代の人(貴族たち)はこれを信じていたようですね。 で、これは日本固有の思想というよりは、外来の思想の臭いがプンプンと。 どうも、仏教伝来とともにインドの《ケガレ・enas》観念が日本にもたらされた臭いがプンプンと…。 ~~~~~~ ◇ 6 こうした《穢れ》観の背景にあるものは何か、その理論的根拠は? ☆ いろいろ調べられているようですが 分かっていないのではないでしょうか。 ~~~~~~ いえいえ、例によって、思いつきです。 今回は、特に、事前に何も調べておりません。 いい加減なことを書けないので、質問をしてから、大急ぎであれこれと調べましたが(ポリポリ)。 Tastenkastenさんから「(『神道とは何か』という)質問を何で閉じたんですか」というクレームが、 とある人の質問に対する回答に書かれていたので、 それではと捻り出した質問です。 とはいえ、漠然とした見込みくらいはあったんですがね。 メラネシアやポリネシアの《マナ》みたいなものが、その根底にあるのかな、くらいには考えておりましたけれども。 ただ、この《マナ》とは少し違うようですね。 回答、ありがとうございました。
- hiak123
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1. 考え間違いがそれに現れる。清浄に間違いが乗っかっている。 2. 死ではなく生き方が。 3. 反省と償いなしに消え去りはしない。 4. 上位に対する態度表明。 5. 答えず。 6. 答えず。
お礼
近現代的な視点からの回答、ありがとうございました。
お礼
柳緑花紅(りゅうりょくかこう)という和菓子もあるようです。 http://www.kaho-fukuoka.co.jp/saijiki/2003-03/ryuuryok.html 美しくて食べるのがもったいない!!(笑い) この言葉のもとになったのは 蘇東坡 『柳緑花紅真面目』 という漢詩。 ネットで現代語訳を見つけましたので http://kokoro-kotoba.seesaa.net/article/22779519.html いい詩ですね。 回答、ありがとうございました。
補足
お寄せいただいた回答は、どれも様々な論点からこの問題に鋭く切り込んだもので、また同時に非常に示唆に富んだものばかりでしたので、 わたしにはその軽重をつけることができません。 ですから、 今回はベストアンサーをつけずにこの質問を閉じることにします。 そして、 わたしの拙い質問に回答をお寄せいただいた回答者の皆さんに、ここに深い感謝の念を表します。 皆さん、ありがとうございました。 今回も非常に勉強になりました。