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穢(けが)れとは何か
《穢(けが)れ》について質問いたします。 1 穢れとは何か? 2 死は穢れなのか? であるならば、その理由は? 3 死穢(しえ)は禊(みそ)ぎ、水によって流せるのか? 流せるとすれば、その理由は? 4 なぜ、神社で神を拝む前に禊ぎをしなければならないのか? 5 穢れは伝染するのか? 6 こうした《穢れ》観の背景にあるものは何か、その理論的根拠は? 質問項目はすこし多いのですけれども、 《穢れ》がどのようなものであるのかを私が理解するためにどうしても欠かすことのできない項目なので、あえてそのまま列挙いたしました。 私の身勝手な希望としましては、6項目すべてに答えていただきたいのですけれども、 1項目でも構いません。 よろしくお願いします。
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こんばんは ねむ猫さん 「柳緑花紅」日本人には心地の良いことばです(笑い)
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- Tastenkasten
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なんでこういう変換ミスをするのか、「黄泉の国」です。我ながらあきれます。
お礼
誤字脱字は、私の得意技の一つです。 送信後すぐに気づくのですが、書いている時にはまったく気付かない。 不思議なものですよね。 回答、ありがとうございました。
- Tastenkasten
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急いで書いたので間違えました。読みの国から帰ったのは「イザナギ」でした。訂正します。
お礼
書こう、書こうと思いながら、書き忘れたことがあるので、お礼のついでに書きます。 一般に、呪術は 1 感染(接触)呪術 2 類観(同一視の)呪術 の2つの要素から構成されています。 あるものに触れると、あるものにその人の霊性のようなものが移る、というのが呪術の感染の論理。 イザナギは黄泉の世界に行き、死に触れてしまった。この時点で死に感染完了。だから、清めないといけない。 対して、類観の方は、外見や名前などが似ていれば中身も似ているはずだ、という呪術の論理。 人形(ひとかた)なんてそうですよね。呪いの藁人形もそう。 ただこれだけだとパワーが弱いので、 人形ですと、体の悪いところをその人形で撫でて、穢れを人形に接触感染させる。そして、それを身代わりにして川に流す。 呪いの藁人形ですと、呪う相手の持ち物や髪の毛などを結わえ、五寸釘をその藁人形に打ち付ける…。 古事記にも、この類観は出ているんですよ。 天孫降臨の前に若草日子が地上に派遣されますが、地上の女性と懇ろになり、職務を放棄します。天界の神々は怒ってい射殺してしまう。 その射殺された若草日子のお葬式に、そのお友達の天界の神が弔問にやってくる。この神様は姿が若草日子とよく似ていたので、その姿を見た若草日子のお父さんと奥さんが、 「私の子は死んでいなかったんだ」 「私の夫は死んでいなかったんだ」 と言うのですが、 これだけで類観(同一視・見なしの)呪術は成立してしまう。 だから、死んだ若草日子と間違えられた神様は激怒する。 「大切な友人だと思って弔問に来ただけなのに、穢い死人と比べやがって」 と言い放つと、喪屋を切り倒し、乱暴狼藉の限りを尽くす。 記紀神話に限らず、この呪術の二大原理を知っていると、 神話をよりよく出来るようです。 回答、ありがとうございました。
- Tastenkasten
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こんばんは。 私のために捻り出したと言われても、質問内容が全然違います。新しい回答を書くのは面倒くさいなあ。神道の回答は、3000字くらい書いたところで、締切りのメールが来ました。実は、「神ながら」の説明をどこかで見つけたのですが、場所がわからなくなってしまい、ずっと探していました(今見つかりました)。お待たせした私が悪いんですが… 1 穢れについては諸説あるようです。 祭りにおいては「ハレ」と「ヶ」が重要になる。やまと言葉では日常生活を「ヶ」(褻)と呼び、日常の生命力が枯渇すると「ケガレ」(褻枯れ)となる。 http://www.heisei-shin.com/writings_box/religion_page/religion_21_4.html また、 「けがれ」の「け」は、「別世界」のこと。 「がれ=かれ」は、「離(か)る=離れる」の体言。 「けがれ」の語源は、心が「いまここ」から離れて動かなくなってしまうことにあった。たとえば、鬱病みたいなこと。 一般的には、「けがれ」の「がれ=かれ」は「枯れる」と解釈されているが、「枯(か)る」よりも「離(か)る」ということばのほうが古いはずだから、語源的にはそういうことになる。 「枯れる」とは盛りの状態から離れてゆくことだが、「離れる」ことは「枯れる」ことではない。したがって、「離れる=離(か)る」という動詞のほうが先にあったことになる。 http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20090428 2 太古の人間の、生命の不思議に対する畏れの感情から自然発生したとも考えられますが、記紀以降の穢れの観念を象徴しているのは、たぶん、記紀に出てくるイザナミの腐敗の描写でしょう。しかし、記紀編纂前に外来の文化が入ってきていますし、それ以前の日本には、必ずしも死を穢れとする習俗が顕著には見られなかったようです。高取正男の「神道の成立」には、日本書紀の記述として、642年、百済の義慈王の子の翹岐が来朝したとき、従者の一人に続いて子供が一人死んだときの記述が引用されています。 是の時、翹岐と妻と、児の死にたることを畏じ忌みて、果たして喪に臨まず。凡そ百済・新羅の風俗、死亡者あるときは、父母兄弟夫婦姉妹と雖も、永ら、自ら看ず。此れを以て観れば、慈無きが甚だしきこと、豈禽獣に別ならむや。 このような態度は、平安中期ごろまでの貴族の喪葬での行為と同じだが、日本書紀では理解しがたい行動とみなされていた、とあります。「神道の成立」にはさらに、儒教の道徳思想で神道の祓を説明することは難しい、という津田左右吉の説明を引用し、仏教の母国インドでは、浄と穢の観念は早く「マヌ法典」のなかにみえる、とあります。以下、部分的に引用します。「無着、世親によって大成された唯識説は、もともと禅定を意味する瑜伽行(ヨーガ)の実践家である瑜伽師によって組織され、伝承された。・・・世親の祖述した如来蔵説では成仏の可能性を如来像とも仏性とも呼び、凡夫の心は汚れているが自性清浄心たりうるし、修行によって自性清浄心の全現したものが如来と説いている。・・・こうした考え方は中国において儒教や道教に大きな影響を与え、それらが一体となって日本に伝えられたことはいうまでもない。・・・浄穢の観念は宗教的真実を示すものでありながら、即物的に了解されたとき、現世におけるさまざまな禁忌を理論づける格好の論拠を提供する。「女奴」は下婢であるからではなく、けがれているとの理由で塔に近づくのを禁じられる。死とか産、血といった人間の生命現象に直結する忌みごとは、死穢、産穢、血穢の三不浄とされ、忌避の理由づけとなる。」 3 今回は横着をして、なるべく引用で済ませます。村上重良の「国家神道」にこうあります。 ツミもケガレも、物質的な付着物と考えられ、これらを払い落とすことをハライといい、とくに水に入って洗い落とす行為をミソギとよんだ。ハライのさい、身についていたマガツモノは、草、人型、茅輪等のハラヘツモノにつけて水に流した。 物質的な付着物と考えられていたのであれば、水に流せますね。 4 神聖な場所へ入る前に、穢れを洗い落とさなければならないからです。 5 物質的な付着物と考えられていたので、うつると考えられて当然だと思います。昔はお産の時は、産屋に閉じ込められました。 http://kotobank.jp/word/%E7%94%A3%E5%B1%8B 6 とりあえず私にわかるのは、2でお話ししたように、仏教の浄と穢の観念が中国において儒教や道教に大きな影響を与え、それらが一体となって日本に伝えられた、と言うことで、仏教に関しては、ねこさんが専門家ですからお任せします。 なお、塩による清めについては、殺菌、防腐の効果という人もいますが、それは後付の理由で、やはり、イザナミが黄泉の国から帰った時に海で禊をしたことから、海水の代わりとして塩が用いられるようになったという説が広まっているようです。真偽のほどはわかりません。 この回答をお送りしようと思ったら、No.9のコメントに「マヌ法典」のことをお書きになっていますね。あとはお任せしますよ。
お礼
こんばんは。 ☆私のために捻り出したと言われても、質問内容が全然違います。新しい回答を書くのは面倒くさいなあ。神道の回答は、3000字くらい書いたところで、締切りのメールが来ました。 ◇この質問に3000字くらい書いた回答を送ってくだされば良かったのに(ニコニコ)。 「○○さんが質問を閉じちゃったので、ここに書いた回答を送ります」という回答が、わたしの質問に送られてきたことがあります。 ☆「枯れる」とは盛りの状態から離れてゆくことだが、「離れる」ことは「枯れる」ことではない。したがって、「離れる=離(か)る」という動詞のほうが先にあったことになる。 ◇たぶん、そうなんだと思います。 ~~~~~~ このような態度は、平安中期ごろまでの貴族の喪葬での行為と同じだが、日本書紀では理解しがたい行動とみなされていた、とあります。「神道の成立」にはさらに、儒教の道徳思想で神道の祓を説明することは難しい、という津田左右吉の説明を引用し、仏教の母国インドでは、浄と穢の観念は早く「マヌ法典」のなかにみえる、とあります。 ~~~~~~~ 神道についてまったく無知なのでまったく知りませんでしたが、津田左右吉がそんなことを書いているのですか。 だから、戦前、著書を発禁処分にされたんですかね。 ☆物質的な付着物と考えられていたのであれば、水に流せますね。 ◇物質的なもの、たぶん、《流体》のようなものと考えられていたんだと思います。 比喩になるのですけれども、 《熱素・カロリック》のようなものと考えられていたのではないでしょうか。 温度が高い方から低い方へ熱素・カロリックが流れるように(これが熱の流れ)、 穢れは穢れの多い方から低い方へと流れていく。 こうしたイメージがあったんじゃないか。 触穢思想なんかは、これに近いイメージですよね。 カロリック説 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E8%AA%AC ☆なお、塩による清めについては、殺菌、防腐の効果という人もいますが、それは後付の理由で、やはり、イザナミが黄泉の国から帰った時に海で禊をしたことから、海水の代わりとして塩が用いられるようになったという説が広まっているようです。真偽のほどはわかりません。 ◇塩についてはよく分からないのですが、 大祓詞にちょっとおもしろことが書いてあるので、ご紹介します。 ──────────── このように持ち出してくださると、大海の遠い沖合で、あちこちから行き交わる潮流が幾重にも渦巻くなかにおられます速開津姫(はやあきつひめ)という神様が、大きな口をあけてこれを全部ガブガブと呑み込んで、海底深く沈めてくださいます。このようにガブガブ呑んで沈められたものを、息を吹き出す(地下の根の国底の国に通ずる)氣吹戸(いぶきど)という所におられます氣吹戸主(いぶきどぬし)という神様が、根の国底の国にフゥーッと呼息(いき)吹いてくださるでしょう。このように呼息吹いてくださいますと、根の国底の国におられます速佐須良姫(はやさすらひめ)という神様が、何処(いづこ)とも知れず放り散らして、罪穢(つみけがれ)を跡形もなく消滅してくださいます。 http://www.nippon-bunmei.jp/category/topics/harahe ──────────── 海と関係があるようなないような。 正直、わかりません。 ☆No.9のコメントに「マヌ法典」のことをお書きになっていますね。あとはお任せしますよ。 ◇「マヌの法典」はplapotaさんが詳しいようなので、たぶん、解説をなさってくれるのでは、と期待しております。 死の不浄についてだけ説明しますと、 死後、3~10日ほど不浄期間がありまして、このあと清めの手段として《沐浴》をしなければいけないようです。 イザナギが黄泉の世界から帰ると《沐浴》をしたのと似ていますね。 なお、「マヌ法典」では、赤ちゃんの誕生そのものが不浄とされています。 新生児は両親の罪を受け継いでこの世に生を受けるため、とされているようです。 ですから、赤ちゃんが生まれると、清めの儀式が必要となる!! 回答、ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.2です。 (あ) ケガレと罪との関係 / ツミの語源 / 天つ罪・国つ罪の生成 (い) ◇ アマテラスの「天の岩戸事件」は、「蟄居・謹慎(処分)」だったということ。 (う) スサノヲの《祓えの神学》 (え) ◇ 神や御神体などに《穢れ》や《罪》を移すと、その霊力やハタラキが落ちる、なんてことはありませんか。 (お) ◇ どうも、仏教伝来とともにインドの《ケガレ・enas》観念が日本にもたらされた臭いがプンプンと…。 (か) 《マナ》の問題 ほとんど考えたことのないテーマです。 今ごろ辞書を引いていてもいけませんが ケガレの語源・語義についてのみ しるします。 ▼ 大野晋ほか:古語辞典 1974;1990補訂版 ▼ け【褻】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ○《晴れ》の対。ケ(日)と同根。 日常的なこと。ふだん。 ☆ 《日》を表わす語をつくる / h / および / k / (*1) * ha は(cf. 晴れ)・・・・・ ka か(日)(*2) hi ひ(日)・・・・・・・・・* ki き hu ( heru )経(経る)・・・ * ku く( cf. 暮れ;暮らす) * hä ヘ・・・・・・・・・・ kä け(日)(*3) * hö ほ ・・・・・・・・・・kö こ(日)(*4) * ho ほ ・・・・・・・・・* ko こ *1: / h / ∽ / k / はは(母)∽かか(嬶) ふくむ(含む)∽は(羽)-くくむ(含む)=はぐくむ(育む) *2:か(日) ふつ・か=二・日 ヤマトタケル:新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる? 火焚きの翁:かが(日々)並べて夜には九夜、日には十日。 (古事記) *3:け(日) 氣長久成奴=け(日)長く成りぬ(万葉二・85) *4:こ(日) こよみ(暦)=こ(日)よみ(読み=数える) ▼ けが・れ【穢れ】 ~~~~~~~~~~~ ○ 《ケ(褻)カレ(離れ)》の複合か。 死・出産・月経など異常な状態 触れるべきでない不浄とされた状態になる意。 1.不浄の身となる。 ・いたしくも忌むまじきけがらひ(死穢)なれば 《深うも――・れはべらず》など言ひなして (源氏物語・蜻蛉) 2.月経になる。 ・よべより――・れさせ給ひて(源氏・浮舟) 3.よごれる。 ・定の水の濁り――・るれば 遍知の月現はれず (東大寺風誦文稿) 4.(名声に)傷がつく。 ・空しき事にて人の御名や――・れむ(源氏・少女) ≪名詞≫ 1.月経 2.不浄 3.服喪 ▼ つみ【罪】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ○ 古代では 聖なるものを侵犯する行為。 共同体の構成員として秩序を破る行為 またその結果 身に受けるけがれや罰などと言う。 類義語トガは 他から非難され 指弾されるような欠点・過失・不用意な行為を言う。 1. 聖なるものを犯す行為。また その結果として受けるけがれや罰。 2. 共同体の秩序を害し 祓へや贖罪を必要とする行為。 3. 法制上の違反行為。また それに対する刑罰。 4. 仏のいましめを破る行為。また そのむくい。 5. 社交上の心得に反する行為。また それに対する処罰。 6. やましいところ。屈託。多く 《なし》という語を伴なう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
お礼
例によりまして、 閃きと申しますか、思いつきです。 思いつきとは言え、裏はある程度、とっていますが。 Wikipediaの ───────── 穢れという観念が日本に流入したのは、奈良時代後期または平安時代だと言われる。死、出産、血液などが穢れているとする観念は元々ヒンドゥー教のもので、同じくインドで生まれた仏教にもこの思想が流入した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C ───────── を読んで、 私の頭の中で幾つかのものが結びついた。 ならば、古事記にあるイザナギの《禊》は、ヒンディーがガンジス川で水浴・沐浴するのが原型なのではなかろうか…。 であるならば、 死穢やお産の穢れなどもインドにあるはずだ。 そう考えまして、 チョコッと調べたら、 これは『マヌ法典』にあるんですよ。 そして、これは伝染すると考えられていた。 この穢れを共同体に感染させないために、近親者などは一定期間、公的な行事に参加できない。 これは日本でいうと、服喪、籠りですね。 この穢れを祓うためには、バラモンが祭祀を行ったりしなければいけない。 これは《祓》ですね。 偶然の一致の可能性もあるんですけれど、よく似ている。 で、この《穢れ》の思想は、延喜式という律令とともに広まったようですね。 天津罪・国津罪については、 http://wwwhou1.meijo-u.ac.jp/housei2/semi/zemiron/%E3%82%BC%E3%83%9F%E8%AB%96%28PDF%29/%28%E5%B2%A9%E5%B4%8E%29%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%BD%AA%E5%9B%BD%E6%B4%A5%E7%BD%AA.pdf などが結構おもしろいです。 罪の語源については、 なお、「ツツガムシ」や「恙がない」の「恙(つつが)」説もあるようです。
- Tefu_Tefu
- ベストアンサー率27% (87/322)
早々のお礼ありがとうございます。 大祓詞は神道での、人間が犯す(観念による罪)のことで生きるために行う人間の行為です。 当初は、大祓の際に参集者に対して宣り聞かせるものであったが、後に神に対して唱えられるようになった。中世には陰陽道や密教と結びつき、陰陽道の呪言や仏教の経典のように、唱えるだけで功得が得られると考えられるようになった。さらに、唱えれば唱えるほど功得が増すと考えられ、何千回、何万回も唱えるようになり、より唱えやすくするために、大祓詞の要点だけをまとめた「最要中臣祓」「最上中臣祓」が作られた。特に仏家神道、儒家神道で重視され、『中臣祓訓解』『中臣祓風水草』などの大祓詞の注釈書も書かれた。 私は神にたいする敬畏と神の恩恵にたいする感謝を表わすものだと思います。それは、自然の循環とは関係ないです。 自然崇拝(自然が神)が天皇が神に成ったということで、人間が犯す(観念による罪)の部分が穢れとされたのでしょうか?
お礼
☆自然崇拝(自然が神)が天皇が神に成ったということで、人間が犯す(観念による罪)の部分が穢れとされたのでしょうか? ◇わたしは質問者なので、わたしに聞かれても…。 ただ、 古代の人たちは、穢れや罪を実体的なものと考えていたのではないでしょうか。 そして、この状態のままでいると、共同体や自身に祟りが降りかかる、と信じていたとなるのでしょうかね。そうならないようにするためには、祓いや禊が必要になる、 とか。 ですから、観念的なものといえば、観念的なものではないでしょうか。 ではありますが、これを信じれば、《偽薬効果・プラシーボ効果》はあるのかもしれませんね。 ただの「ビタミン剤」を「お薬です」といって患者さんに飲ませると、その暗示効果で病気が治ったり、痛みや症状が緩和することもあるので、 祓いや禊、そして、穢れや罪を信じる人には、その効果が現れるのかもしれませんね。 まぁ、多分に呪術的なものですから…(ポリポリ)。 回答、ありがとうございました。
- asisai888
- ベストアンサー率15% (11/73)
5 します、エンガチョです 6 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い の心理が働いていると思います つまり印象論が根拠であると思います 1 禊でしか落とせない汚れ 印象論で認識される抽象的な汚れ
お礼
☆します、エンガチョです ◇エンガチョですか・・・。 ウィキペディアによりますと「バリヤー」もエンガチョらしいので、 エヴァの「ATフィールド」もエンガチョになるのでしょうか。 これですと、《結界》に近いんですかね。 ~~~~~~ 禊でしか落とせない汚れ 印象論で認識される抽象的な汚れ ~~~~~~ 一種のイメージ療法なんですかね。 回答、ありがとうございました。
- Tefu_Tefu
- ベストアンサー率27% (87/322)
こんにちは ねむ猫さん >1 穢れとは何か? 自然崇拝の立場からすると、新しい生命を生みだすために必要な物だと思います。 自然を神として擬人化した場合は、排泄物等の不要な物。 生命の循環という考え方を感じます。 >2 死は穢れなのか? であるならば、その理由は? もうその人には必要の無い物、魂も含めて。 >3 死穢(しえ)は禊(みそ)ぎ、水によって流せるのか? 流せるとすれば、その理由は? 自然も人間の身体の循環と同じように、雨の恵みにより洗い流されて、新たな生命が生まれる。 >4 なぜ、神社で神を拝む前に禊ぎをしなければならないのか? 自然の恵みを得られるように、自然という神の前で必要でない物を全て洗い流して信仰する。 >5 穢れは伝染するのか? 新たな生命に使われるので伝染しない。 >6 こうした《穢れ》観の背景にあるものは何か、その理論的根拠は? 自然崇拝により、生きる糧の恵みが得られ、新しい命も生まれるでは。
お礼
こんばんはです。 ☆生命の循環という考え方を感じます。 ◇《大祓詞》を見ると、 穢れは、《根の国》、つまり《死者の国》に送るもののようです。 ですから、循環はしない、と考えられているようです。 回答、ありがとうございました。
補足
今日、古代日本の《穢れ・罪》について少しだけ調べて、勉強したのですが、 結婚というのは罪らしいですよ。 結婚は《赤不浄》なんだそうです。 そして、結婚とお葬式という儀式には共通点があるそうです。 お嫁さんの白無垢は、ホトケさんの死装束と同じもの。 お嫁さんがお色直し(白から色のついた着物に着替え直す)をするのは、死から生還を意味するそうな。 お嫁さんが角隠しを被るのは、まわりの景色を見えないようにして、うちに戻って来れないようにするため。 (死者と同じで、うちに舞い戻ってきては困るからに違いない!!) 昔は、お嫁さんが家を出るとき、出棺のときにお茶椀を割るように、お嫁さんが家で使っていたお茶椀を割る…。 (お前は死んだのだ。もう、家に帰ってきても、ご飯を食べられない、ということを形にしたものか?) 神前結婚の場合、神主さんが木に御幣が付いたようなもの(あれは何というんだろうか?)で祓いをするのは、 お嫁さんが穢れているため、 なんですって。 この質問をしなければ、こういったことを知らないままだったので、質問をして良かったと考えております。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
1 穢れとは何か? 回答:神仏の心に反する自身の心のありようのこと。 2 死は穢れなのか? であるならば、その理由は? 回答:個人の肉体の死と穢れとは関連性がない。 ただし、天変地異による集団死は集合の穢に対する浄化作用によるもの。 3 死穢(しえ)は禊(みそ)ぎ、水によって流せるのか? 流せるとすれば、その理由は? 回答:心のゴミは水で流せるものではない。水で落とせるものは身体のアカだけである。 塩もしかり。無知のなせる行為である。 4 なぜ、神社で神を拝む前に禊ぎをしなければならないのか? 回答:神仏の前に立つときは心のゴミを取ってからにしなさいということです。 5 穢れは伝染するのか? 回答;伝染します。唯物論者が蔓延しているでしょう。そのような者が神社仏閣に訪れることは 本来許されないことです。神仏から見れば汚物が来るが如しです。 神仏の心から離れた穢れた者がどのように着飾っても汚物は汚物でしかないのです。 まずは自身の心を見直し、神仏の前に立てる自分となすことが禊です。 神仏の心を捨て去り動物やロボット人間に成り下がる人、ゾンビ病は伝染します。 ゾンビ病が蔓延する時代は自ら招く、汚物処理、つまり、天変地異の時代でもあるわけです。 6 こうした《穢れ》観の背景にあるものは何か、その理論的根拠は? 回答:人間は神仏の子供であるということです。禊は神仏の子である自身を取り戻すことの実践行です。 神道では「禊」、仏教では「反省」、キリスト教では「悔い改め」と表現していますが同じ意味です。
お礼
こんばんは。 ~~~~~~ 1 穢れとは何か? 回答:神仏の心に反する自身の心のありようのこと。 ~~~~~~ なるほど、なるほど。 ☆ただし、天変地異による集団死は集合の穢に対する浄化作用によるもの。 ◇これは何故ですか? 個人死の集まりと考えれば、集団死を特別扱いする必要はない、となるのではないですか。 ~~~~~~ 3 死穢(しえ)は禊(みそ)ぎ、水によって流せるのか? 流せるとすれば、その理由は? 回答:心のゴミは水で流せるものではない。水で落とせるものは身体のアカだけである。 塩もしかり。無知のなせる行為である。 ~~~~~~ 宗教的儀式を行うことによって、心が改まるというようなことはありませんでしょうか。 それが反省の契機になるのであれば、そう無下に否定されるべきものでもないような気がしますけれど、いかがでしょう。 ☆ 5 穢れは伝染するのか? 回答;伝染します。 ◇穢れは集団的なもの、共同体的なものということでしょうか。 ☆ 6 こうした《穢れ》観の背景にあるものは何か、その理論的根拠は? 回答:人間は神仏の子供であるということです。禊は神仏の子である自身を取り戻すことの実践行です。 ◇この辺の経緯がよく分かりませんので、よろしかったら、説明をお願いできませんでしょうか。 回答、ありがとうございました。
- Key_A
- ベストアンサー率9% (55/603)
死を忌むべき物と考えた葬式仏教もしくは神道の用語ですな。塩ごときで清められるならば、それは気休めの極みですし。 神でも回避できないから穢れと表現して、商売のネタにしているだけ。Wikiで穢れについて調べることを勧めます。譫言よりは役立ちますよ。
お礼
Wikipediaは、質問送信後に、チラッと斜め読みしました。 回答、ありがとうございました。
- titelist1
- ベストアンサー率25% (712/2750)
妻はいつも塩を持ち歩いています。墓参りや葬式や嫌な事があっても塩を撒いています。穢れの意識を持っているのだと思います。神棚の榊の水も毎日交換しています。頻繁に下着や寝具を洗濯をして陽にあてるのだと言います。私は妻には好きなようにさせていますが、穢れの感情は意味の無い感情であると私は思っています。 私は子供のころから墓地公園に遊びに行きましたし、墓参りや葬式の後でも塩を使いません。神社にもよく行くのですが、手や口を洗いません。訳の判らない水で洗う方が不衛生だと思っています。寺や神社を特別なものと思っていないためです。汚いものでも崇高なものでもないからです。仏様や神様に会うのに特別なことをする必要はないと思っています。 塩を撒く感覚は微生物を殺す役目があるように、目に見えないものを退治する役目があったのではないか。相撲の塩撒きも同じだと思う。妻には塩を撒くことで穢れが流せているのでしょう。妻は長編ドラマのように毎日夢を見るそうです。その夢のなかに嫌なものが現れてほしくないのだと思います。私は夢を見たとしても朝には忘れています。夢など無意味なことだからです。
お礼
こんばんは。 いかにも理系人らしい回答で、同族のわたしは心が休まる気がします。 ☆私は子供のころから墓地公園に遊びに行きましたし、墓参りや葬式の後でも塩を使いません。神社にもよく行くのですが、手や口を洗いません。訳の判らない水で洗う方が不衛生だと思っています。 ◇たぶん、水質的には問題がないと思います。 水質検査をクリアーしている水でしょうから。 多くは湧水などでしょうから、発ガン性物質であるトリハロメタンを含む水道水よりは衛生的で安全なのではないでしょうか。 ☆塩を撒く感覚は微生物を殺す役目があるように、目に見えないものを退治する役目があったのではないか。 ◇殺菌作用なのか、食物などの水抜き作用のためなのか、 塩が穢れを除去する力を有すると信じられるようになった経緯は知りません。 このことを知っている方、教えてください(ペコリ)。 ☆妻は長編ドラマのように毎日夢を見るそうです。その夢のなかに嫌なものが現れてほしくないのだと思います。 ◇奥様を大切になさっているのですね。 回答、ありがとうございました。
お礼
柳緑花紅(りゅうりょくかこう)という和菓子もあるようです。 http://www.kaho-fukuoka.co.jp/saijiki/2003-03/ryuuryok.html 美しくて食べるのがもったいない!!(笑い) この言葉のもとになったのは 蘇東坡 『柳緑花紅真面目』 という漢詩。 ネットで現代語訳を見つけましたので http://kokoro-kotoba.seesaa.net/article/22779519.html いい詩ですね。 回答、ありがとうございました。
補足
お寄せいただいた回答は、どれも様々な論点からこの問題に鋭く切り込んだもので、また同時に非常に示唆に富んだものばかりでしたので、 わたしにはその軽重をつけることができません。 ですから、 今回はベストアンサーをつけずにこの質問を閉じることにします。 そして、 わたしの拙い質問に回答をお寄せいただいた回答者の皆さんに、ここに深い感謝の念を表します。 皆さん、ありがとうございました。 今回も非常に勉強になりました。