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穢(けが)れとは何か
《穢(けが)れ》について質問いたします。 1 穢れとは何か? 2 死は穢れなのか? であるならば、その理由は? 3 死穢(しえ)は禊(みそ)ぎ、水によって流せるのか? 流せるとすれば、その理由は? 4 なぜ、神社で神を拝む前に禊ぎをしなければならないのか? 5 穢れは伝染するのか? 6 こうした《穢れ》観の背景にあるものは何か、その理論的根拠は? 質問項目はすこし多いのですけれども、 《穢れ》がどのようなものであるのかを私が理解するためにどうしても欠かすことのできない項目なので、あえてそのまま列挙いたしました。 私の身勝手な希望としましては、6項目すべてに答えていただきたいのですけれども、 1項目でも構いません。 よろしくお願いします。
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こんばんは ねむ猫さん 「柳緑花紅」日本人には心地の良いことばです(笑い)
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ◆(回答No.26) ・・・福永光司が指摘しています。また、宮中のかしこどころで行われる四方拝の行事は、言葉も行事の内容も道教のものだといいますし、三種の神器や万世一系も道教の思想哲学に基づくものだといいます。 ☆ この内 《万世一系》についてそれが 《道教の思想哲学に基づくもの》という捉え方について 別様の見方を提出するものです。 道教にかんしては分かりませんので 別の視点のみを かんたんな資料に拠ってしるしておきたいと考えました。 男系の万世一系を重んじるのは 遊牧民のあいだのナラハシであるという見解です。 日本社会を国家として作ったのは この遊牧騎馬民族ではないかという話は その思想的な要素としては かなり説得力があるように思われます。その点についてのみですが なぜかと言えば 例のマタイ福音書の冒頭に 男系の血筋が延々と述べられていますが これが遊牧民に固有の《家系ないし先祖関係》の事情だと言います。 すなわち それと同じようなことが慣習となっていたろうと見られる事例です。 ■ (《埼玉古墳群における稲荷山鉄剣銘文》に見る系図の記録例)~~~ ヲワケの臣 上(かみ)つ祖(おや)の名は オホヒコ。 其の児〔の名は〕 タカリのスクネ。 其の児の名は テヨカリワケ。 其の児の名は タカハシワケ。 その児の名は タサキワケ。 その児の名は ハテヒ。 その児の名は カサハヤ。 その児の名は ヲワケの臣。 世々 杖刀人(たちはき)の首(をさ)となり 事(つか)へ奉り来りて今に至る。・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 農耕民にとっては 養子を取ることにも抵抗がなく 男系の家系をことさら重んじることもないようですから。 すなわち 聖書の記述は こうです。 ▲ (マタイ福音1:1-17)) ~~~~~~~ 1: アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。 2: アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、 3: ユダはタマル(女性)によってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、 4: アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、 5: サルモンはラハブ(女性)によってボアズを、ボアズはルツ(女性)によってオベドを、オベドはエッサイを、 6: エッサイはダビデ王をもうけた。・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 韓国では 一族の系譜をしるした《族譜》というものがあるそうです。家系ごとにつくられ受け継がれて来ていると言います。そういった事情をも合わせて考える必要があるのではないかと。 あとは (1) 万世一系という血筋の連続性は いま存在する人の誰にも当てはまります。記録がなかったりあるいは 養子を介していて 血筋本体は 別の筋へ遡ったりしていろいろでしょうが これはマチガイなく例外なくそうです。 (2) 言いかえると 男系の一筋ということが めづらしい。と言ってもこんどは やはり裏返してみると 養子ではなくおもに側室の存在を介して男系が保たれている。ことになるかと見られます。 (3) 何だかんだと言っても それにしても ホノニニギなる天孫は スサノヲが一枚噛んでいるかも知れない。スサノヲの子孫でもあるかも知れない。そうでなかったとしても――つまりアマテラスが別の男とのあいだにもうけた子孫であったとしても―― 親戚である。スサノヲ市民一般は 天皇氏と親戚である。 (4) 男系の万世一系という血筋のつながりに殊更こだわらない。というのは ふるくからの神道に流れている特徴ではないか。と考えるのですが。つまり 道教の影響だとしてもそれは 天皇氏や公民圏の家々のナラハシでしかなく 《神道集合》は一般には成り立っていないと考えられるからです。
お礼
こんばんは。 ☆☆ 韓国では 一族の系譜をしるした《族譜》というものがあるそうです。家系ごとにつくられ受け継がれて来ていると言います。そういった事情をも合わせて考える必要があるのではないかと。 ◇韓国の《族譜》はまったく当てになりません。 その証拠に、韓国人の多くは《両班》などの特権階級を先祖に持つ(笑)。 日本が入り、施政をするまで、朝鮮人の圧倒的多数は文字の読み書きができなかった。極少数の両班や貴族・王族はともかく、 圧倒的多数の一般人は読み書きができないのに、一族の系譜である《族譜》なんて書けるはずがない。 そんなものが各家にあろうはずがない!! このことは、朝鮮人の《姓》を見るだけで明らかですよ。 《金》がなんで2割もいるのか!! 韓国人の多くは「王族」出身なんですか(笑い)。 ☆日本社会を国家として作ったのは この遊牧騎馬民族ではないかという話は その思想的な要素としては かなり説得力があるように思われます。 ◇私はむしろ逆だと思います。狩猟採集から定住、農耕化によって、こうした考えが生まれたのだと思います。 日本の場合は、労働集約型の稲作が入ってきてから…。 このことについては、ウィキペディアの「宗教史」の「古代宗教の登場」の記事等が参考になるのではと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E5%8F%B2 モンゴルや満州族などには、お客さん(男)が来たとき、奥さんを提供したりしますよね。 血が濃くなる、近親婚の弊害を除去するためですけれど、種(タネ)が違ったとしても、奥さんから生まれた子供は我が子として大切に育てる。 これは遊牧民の知恵ですよ。 こうした視点から旧約聖書を読むと、アブラハムとイサクの関係も違ったものとして考えることができるのかもしれません。 御使い(?)というエイリアン(異邦人)によって、アブラハムにイサクなる子供が生まれた。 そして、この子をアブラハムは大切に育てた…。 いかにも遊牧民的なお話と考えることもできる。 ユダヤ人の条件の一つに、母親がユダヤ人であること、というものがありますし。 なぜ、この規定があるのかも説明が付く!! ☆ (2) 言いかえると 男系の一筋ということが めづらしい。と言ってもこんどは やはり裏返してみると 養子ではなくおもに側室の存在を介して男系が保たれている。ことになるかと見られます。 ◇天皇家は別ですけれども、 日本の養子制度は御本家の中国からするとありえない話だそうですよ。 有名どころですと、上杉謙信。 上杉憲政とはまったく赤の他人なのに、養子として迎えられる。 赤の他人どころか、山内上杉家と越後の長尾家は敵同士!! その謙信の養子にしたところで、景勝は姉の子で男系ではないし、景虎は北条氏康の子供、もう一人の養子である畠山義春に至っては謙信が滅ぼした七尾の能登畠山氏の子。 姉の息子である景勝を含めて、こういう養子は中国ではありえない。 天皇家以外の日本の家は、「家ありき」で、血筋はそれほど重視されないのであった。 日本の婿養子という制度自体すら中国ではありえない!! ☆男系の万世一系という血筋のつながりに殊更こだわらない。というのは ふるくからの神道に流れている特徴ではないか。と考えるのですが。 ◇古代日本の結婚のスタイルは《妻問ひ婚》ですから、日本が古くから男系重視とするのは違うのだろう、と考えます。 お妃をたくさん囲うというのは、天皇家だけですんで・・・。 そして、これは中国の影響を受けている…。 奈良時代においても、有力貴族、たとえば、藤原氏でも父親の財産は、息子ではなく、娘が相続していたので、これを日本一般に当てはめることはできない。 鎌倉時代の武家社会においても、父親の財産にたいして女の子に相続権(男子の1/2)がありましたし。 回答、ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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お早うございます。 ○ かむながら ☆ をめぐって おもに言葉の資料です。と言ってもわたしの場合は 大野晋一辺倒ですので それに対する批判を織り込んでの発表です。古語辞典からです。 ○ かむながら【神ながら】 ~~~~~~~~~~~ 〈副詞〉《ナは連体助詞。カラは素性・品格・性質の意》 神の性質として 神であるままに。 ・瑞穂の国(日本)を――太敷きまして(万葉199) ○ から【族・柄】 ~~~~~~~~~~~~~~ 《満州語・蒙古語の kala, xala (族)と同系の語。上代語では〈はらから〉〈やから〉など複合した例が多いが 血筋・素性という意味から発して 抽象的に出発点・成り行き・原因などの意味にまで広がって用いられる。助詞カラもこの語の転》 1.族・血筋。 ・問ひさくるうがら(親族)・はらから(兄弟)無き国に(万葉460) 2.すじ。素性。素質。 ・山――し貴くあるらし 川――し清けかるらし(万葉315) 3.自然の成り行き。 ・おのつ(自分の)――成れる錦を張れる山かも(万葉3235) 4.ため。 ・吾が――に泣きし心を忘らえぬかも(万葉4356) 5.ゆえ。原因・理由をあらわす。 ・豈(あに)もあらじ己が身の――人の子の言も尽くさじ我も依りなむ(万葉3799) 6.形状・品格の程度。「がら」とも。 ・四季ともに目に立たぬ物を取り出し侍れば 発句の――もちひさく聞こゆる也(初学用捨抄) ▽ この語は現在も満州族・蒙古族では社会生活上の重要な概念であるが 日本の古代社会には ウヂ(氏)よりも一層古く入ったらしく 奈良時代以後 ウヂほどには社会組織の上で重要な役割を果たしていない。なお 朝鮮語では kyöröi (族)の形になっている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ キョレつまり ハンギョレ(한겨레)新聞のそれであるらしい。ハンギョレ=韓族の意かと思ったら 《ひとつの同胞》という意味らしい。 (ヰキぺ:ハンギョレ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%83%AC ) ○ うぢ【氏】 ~~~~~~~~~~~~~~~ 上代支配層を形成していた豪族の一族。 中臣・物部・大伴など職業によるものと 蘇我・紀など地名によるものとがある。 氏の有力者が「氏の上」「氏の長者」と呼ばれ 氏神をまつり 氏人をひきい 姓(かばね)を定められて天皇氏の政治に参加した。 大化改新前は社会政治組織の基礎をなし 改新後も 多くは官僚として特権をもちつづけたが 平安末期から政治上の権力を失うようになった。 ・ 大伴の――と名に負へる大夫(ますらを)の伴(万葉4465) ▽ 朝鮮語の ul (族) 蒙古語の uru-g (親戚) トルコ語キリギス方言 uru (親戚) ツングース語の ur (子孫)など 男子の系統を表わす語と同源。 朝鮮語の l (エル)は日本語の d となるものがある。 mul (水)と midu (水)など。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 動物園は トンムルヲン。つる(鶴)∽たづ(田鶴・鶴)というふうに日本語としても エル( L )ないしアール( R )と T / D との混用があるかも。朝鮮語では turumi (鶴)と言うそうな。 外来語ばっかりみたい。
お礼
語源はおもしろいとは思うのですが、 日本語、朝鮮語の元となった祖語に「ツル」などの単語が含まれていて、互いに独立に分化、発展をしたけれど、日本語や朝鮮語に残っている可能性が排除できないので、日本語と朝鮮語によく似た単語があったとしても、こうした言葉が半島から海を渡って日本にもたらされた、とする考え方は、あまりに安易だと思います。 と言いますか、日本語以上に、朝鮮語は素性の怪しい言語です。 異民族の流入や異民族の支配を長く受けているんですから。 一般的に変わりにくいとされる日常的な単語・基本語彙、例えば「食べる」が日本語と韓国語では大きく異なります。 朝鮮語を知らないので何とも言えないのですが、 基本語彙に関していえば、日本語と朝鮮語の違いは、英語とドイツ語以上に大きい。 この違いは、ドイツ語とサンスクリット語以上なのかもしれません。 また、「ツル」に関しては日本語の「ツル」が朝鮮語に入った可能性も否定できない。 現代の朝鮮語からの類推は非常に危険です。 回答、ありがとうございました。
- Tastenkasten
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こんばんは。 こんなサイトがあるのなら、私ごときが書かなくてもよかったようです。 http://www.ozawa-katsuhiko.com/07nihon/nihon.html
お礼
こんにちは。 ☆こんなサイトがあるのなら、私ごときが書かなくてもよかったようです。 ◇ご紹介していただいたサイトを斜め読みしましたが、 古神道が存在することを前提にしているので、あれではダメです。 日本の縄文人は、アマゾンの奥地に住む《ピダハン》のような人々だったのかもしれない(笑い)。 《ピダハン語》には《神》という言葉さえ存在しない!! http://matome.naver.jp/odai/2140984050340815001 http://aoiyugure.blog62.fc2.com/blog-entry-1212.html ピダハンは極端な例ですけれども、 あのブログを書いている元大学の先生がパプアニューギニアやアマゾン地域に住む原住民───当然、ピダハンも含まれる───の信仰形態も古神道と呼ぶのならば、話は別なものになりますけれど、おそらく、そうは呼ばない。 アレじゃ~、ダメです。 少なくとも私は納得しません(ポリポリ)。 回答、ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんばんは。(そう言えば ごあいさつを省いてしまっていました)。 神・儒・仏・道・梵をくらべてみます。思弁的に観念をあやつるようなことですが。 老子の次のくだりに注目しました。 ▼ (老子 18章) ~~~~~~~~~~~~ 大道廃(すた)れて仁義あり。 智慧出(い)でて大偽(たいぎ)あり。 六親和せずして孝慈あり。 国家昏乱(こんらん)して貞臣(ていしん)あり。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ そして 次が いま用いようとする物指しです。 ○ A 語と S 語 ~~~~~~~~~~ アマテラス抽象普遍語 ↑ ↑ スサノヲ人間語 (つまり ヨコに並べるかたちを 具象からの抽象ということでこのタテの捉え方に変えてみました)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・仁義: すでに抽象された A 語 仁:慈悲(ともだち)・隣人愛(共生)・惻隠の情・思いやり 義:ものの道理。 ・道・無為: A 語の潜在力に賭けるかのような自然生成する S 語 ・もののあはれを知る:S 語の中から内発して来る A 語〔の想定〕 ・ブッダ化:中身は分からない。どのように成るのかも分からない。 あたかも不変の A 語を体得することを目指す。 ・即得往生(親鸞):アミターバをわが心に受け容れるのみ。(脱ゴータマ) あとは 生活とその共同ないし共同自治にいそしむ。 ・梵我一如:この信仰が生きることの中核。 ☆ 道教と神道と梵教とは あたかも現実世界にあって 一たん判断中止をするというエポケーをおこなうかのごとき思想。 親鸞は すでにエポケーを終えていま・ここに還って来て ちょうどフッサールの《生活世界》を一歩一歩たがやして行くあゆみ。 仏教は つねに《大化城》としてのさとりを得〔たとは言わないようであるから 得〕ようとする姿を見せ続けることを修行とする。そのためには A 語を駆使する。世渡りの道。 もののあはれを知った場合には 《けがれ》とその観念共同(つまり 通念)から卒業している。
- kanto-i
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お久しぶりです。 > 1 穢れとは何か? ネガティヴな思い。 > 2 死は穢れなのか? であるならば、その理由は? 死に対して、人は往々にしてネガティヴを思い起こすから。 > 3 死穢(しえ)は禊(みそ)ぎ、水によって流せるのか? 流せるとすれば、その理由は? 気持ちを新たにするキッカケ。 清ら水は、それを見るだけでも人の心に作用します。 > 4 なぜ、神社で神を拝む前に禊ぎをしなければならないのか? 同上 > 5 穢れは伝染するのか? 朱に交われば赤くなる > 6 こうした《穢れ》観の背景にあるものは何か、その理論的根拠は? 神道でしょうか。 神前は、自らを顧みて自身の襟を正す場だと解釈しています。 鏡があの場に祭られるのも、自らを恥ずものか映されます。 恥じるような行動は、誰が知らずとも己は知っています。 神の前に出るとき、日常の猥雑さを流し向き合うだけでなく 自身の常が問われる場でもあると、私的解釈で思っています。 弥彦神社は、良かったです。 弥彦線のほのぼのも、良い感じでした。 大きな神社は全てまわりました。
お礼
お久しぶりでございます。 例によりまして、今回も答え(正解)のない質問をしております。 ☆清ら水は、それを見るだけでも人の心に作用します。 ◇このことはkanto-iさんの回答より以前に少し考えました。 《禊》がたとえインドの《沐浴》を原型にしていたとしても、 見た目が汚いガンジス川と清流の日本の川とでは違ったものになるのでしょう。 大陸の人と日本人とでは、水に対するイメージがまったく違うので。 日本人は「水は綺麗なもので、安全」と信じて疑っていませんが、海外の水には非常に危険な水が数多く存在します。 見た目の美しさ(澄んでいる水)に騙されて、こうした水を口に含もうものなら、(アメーバー性)の赤痢にかかったりします。 《禊》によってかえって《穢れ》てしまった、ということになりかねない。 ですから、見た目だけではなく、衛生面の観点からも、水の清らかさはとても重要なのであろう。 水に対する(絶対的な)信頼と信仰があって、初めて日本的な《禊》という観念や思想が生まれるのであろう、なんてチョックラ考えております。 ~~~~~~ > 5 穢れは伝染するのか? 朱に交われば赤くなる ~~~~~~ なるほど、なるほど。 ~~~~~~ 弥彦神社は、良かったです。 弥彦線のほのぼのも、良い感じでした。 大きな神社は全てまわりました。 ~~~~~~ 弥彦神社を褒めていただき、ありがとうございます。 そういえば、ここ数年、弥彦神社に行っていないな。 神無月で弥彦神社の神様も出雲に行っちゃうけれど、 今年は、弥彦神社の菊祭りを見にいこう!!
- kurinal
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NemurinekoNya様、こんばんは。 迷信ですか。
お礼
こんにちは。 ☆迷信ですか。 ◇「迷信ですか」と言われたら、「ハイ」と答えるしかありません(ポリポリ)。 回答、ありがとうございました。
- Tastenkasten
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こんにちは。 お言葉に甘えて、前回の神道についての御質問が、この御質問の前提になっているということにして、前回送りそこなった回答をこちらに寄せます。 1 神道ってなんですか? 神道の原型は、世界中の宗教と同じようにアニミズム、シャーマニズムであり、自然崇拝が中心です。神道には、神社神道、皇室神道、学派神道、教派神道、民間神道がありますが、神道と言えば神社であり、神社神道が神道の中心でした。世界にまれにみる側面としては、民族宗教の要素がずっと残り続けたということがあります。しかし、神道にはその他の要素が複雑に絡み合い、恣意的な解釈や拡大解釈が行われたため、はっきりとはとらえられなくなっています。また、多くの場合にそうであるように、最初はあまり理論づけのなかった民間宗教が、外来の宗教に接し、それを意識することによって、初めて思想的な武装をし始めるということはあります。その時点で、仏教、儒教、陰陽道などとの習合が始まりますので、混じりけのない、日本固有の思想を見出そうというのは無理な話です。神道教義の成立そのものが、外来の発達した宗教との習合の所産といえるようです。また、どの時代を以て本格的な神道の始まりとみるかという問題もありますし、民族宗教としての面と、天皇家にかかわる政治的な面の両方を考えるとなるとやっかいです。ただ、主体となる神社祭祀は、19世紀中ごろまで、基本的には原始宗教以来の共同体の祭祀であったという意のことが、「国家神道」(村上重良)に書かれています。 2 古代、日本に神道はあったのか? では、起源は何か、古代はどうだったか、ということを突き詰めていくと、神道とはなにかではなく、日本人とは何か、という問いにぶつかります。魏志倭人伝に「鬼道」という言葉が出てきますが、道教の初段階の鬼道における「お札」、「まじない」、「祝詞」はかなり早くから入ってきた可能性があります。またアイヌの話が出ていましたが、古代日本の文化を考えるとき、大陸からの文化が、まず都などの中央へ入り、そこから南北に伝播していったという見方がありますので、北端と南端、つまり、アイヌと沖縄を見ることが必要になります(余談ですが、音楽でも、追分と南東歌謡の類似点が指摘されています)。例えば、アイヌの日の神は女性らしいので、それがアマテラスと関係があるのか、などの疑問が出てきます。カムイとカミのこともよく言われますが、カミの語源にはまだいろいろな説があるようです。また、原始宗教の観念として重要な他界観については、北アジアのシャーマニズムに見られる、天界、現界、死後の世界を重層的にとらえる宇宙観と共通するタカマガハラの観念と、南太平洋諸島の未開宗教と共通する、海の彼方に他界があるとする「トコヨ」の観念があります。そして沖縄には、「ニライカナイ」という他界観があります。このあたりが神道の前段階ということになるでしょうか。縄文土器を芸術だといった岡本太郎も沖縄へ行き、「沖縄文化論」を書いています。梅原猛もアイヌと沖縄の比較をしているようです。私がこういうものを読んでいたのはだいぶ昔なので、その後どういう批判や新説が出ているかはわかりません。 3 あったとすれば、それはどのようなものであったのか? 原始神道は、アニミズム、自然崇拝、死霊崇拝で、祭祀遺跡は主に、山岳、岩石、水に関係するものが多いようです。礼拝の対象はカミで、タマ、モノ、ヌシとも呼ばれ、その威力を示すイツ、チなどの言葉もあります。神の働きを観念化したものとしては、ムスビ、イハイがあります。記紀においては、支配者、英雄を神格化していますが、自然神も人格神として現れます。ただ、記紀の記述は中国の思想の影響もありますので、それ以前の原始神道に人格神の観念があったかどうかはわかりません。御存じのように、神道では死んだ人間はカミになり、荒魂となってこの世に害を与えないように祀られますが、こういう観念も、原始神道にすでにあったのかどうかはわかりません。仏教や陰陽道の影響は指摘されているようです。 4 古代になかったとすれば、いつ頃、神道は成立したのか? 記紀が編纂される前に仏教が伝わっていますから、先述のように、その時点で民族宗教から格上げする必要が出て、その時にすでに道教や仏教から影響を受けています。道教は、鬼道と言われる初段階の後、仏教への対抗と、皇帝の権威を弁証するために老荘の思想を加えることになります(正一道教)。そして、世界の始まりは、天から生まれる3人の神から、という考え方が5世紀後半にできた経典にあり、これが、古事記における、アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビの三種の神という記述の下敷きになっていると福永光司が指摘しています。また、宮中のかしこどころで行われる四方拝の行事は、言葉も行事の内容も道教のものだといいますし、三種の神器や万世一系も道教の思想哲学に基づくものだといいます。神社、神宮という言葉も中国のものだそうで、五色の幔幕も、たぶんご存じでしょうが、道教のもので、最初、伊勢神宮の祭りに使われ、それから神社神道で、のちには仏教でも使われるようになりました。神仏習合も、仏教が中国へ入ってきたときにすでに道教の神と重なったことからきているといいます。また、死の忌みも、もともと民間では無頓着であったものが、奈良時代末から、仏教政治に対する反作用のようなものとして禁忌が付け加えられ、それが貴族の心をとらえたと考えられると高取正男が書いています。この点については、No.10の2に書きましたので、ここでは繰り返しません。 この高取正男によると、奈良時代末から平安初期に祭祀組織にも変化があり、女性司祭の風習と信仰が後退し、宮司という新しい祭祀職が出現しました。有名神社ではこの時期に社殿が建立されます。したがって、神道という名称そのものはもっと後になってできたとしても、伝来の神祇信仰は、この時期に神道の名に値するものを作り始めたと考えられるということです。 神道という名称については、新説も出てきているようですし、私の手には負えませんが、例の「惟神(かんながら)」については、「神習(かみならい)」ともいい、神の意に従う、習う、ということでしょう。高取正男が言うには、神道ではとりわけ歴史性ということが尊重されてきており、「かんながらという言葉があるように、いま行っている祭儀がそのまま悠久の太古以来、連綿としてつづいてきたということに、その宗教性の原起点がおかれてきた」ということです。「かんながらの道」というつながりですが、道教における「道」は、「命の流れ」「人間はどう生きるべきか」ということを問うもので、茶道、書道、柔道も、命の根源を見たうえで技術の問題を考える(福永光司)という意味だといいますので、もし道教に由来するならば、神の意に従いつつ、生きることの意味を追求する、とこじつけることもできますが、テーウェンの新説もあることですし、専門家の研究を待ちます。 5 日本は、本当に、神道国家か? 神道国家という言葉が不快に感じられるのは、「国家」という語がついているからでしょう。政治的なニュアンスが絡んで来れば、最近の中韓との問題でのように、右傾化といわれているようにも感じられます。ただ、それと切り離して考えると、別の意味もあると思います。柳田国男は「先祖の話」の中で、日本人の祖霊崇拝、死者礼拝、祖霊信仰について論じ、次のように書いているそうです。 日本は神国也、斯ういふ言葉を口にして居た人が、昔は今よりも更に多かった。私は実はその真意を捉えるのに苦しんだ者だが、少なくともこの一つの点、即ち三百年来の宗旨制度によって、うはべは仏教一色に塗り潰されてから後までも、今に至ってなほ是に同化し得ない部分が、この肝要なる死後信仰の上に、可なり鮮明に残って居るといふことに心付いたのは嬉しかった。 高取正男は、これに続けて、「仏教は六道輪廻の妄執を断ち、そこから解脱して彼岸に到る道をしめす教えであるのに、死後も霊魂は此岸のどこかにとどまり、子孫のもとを訪ねるという、盆行事などにみられる伝来の信仰は、今日まで続いてきた」という意のことを書いています。つまり、日本人の多くは、建前としては仏教徒であっても、日常的には神道といえるような宗教感覚をずっと持ち続けているということですね。そういう意味ならばわかります。 とにかく、神道についてはいろいろな説があり、私のような素人に説明させるより、書物をお読みになった方がよいです。「鳥居」についても、以前、彼岸と此岸を行き来できる鳥と関係があるという梅原猛の説を読み、イメージとしては美しいと思いましたが、昨日書店でズバリ「鳥居」という題名の書物があったのでのぞいてみたところ、どちらかというと「単なる当て字」説の方が多いということでした。かといって、鳥との関連を否定できるほどの証拠もないようです。要するに謎だらけです。私の回答もアテになるものではありません。お読みいただき御苦労様です。
お礼
☆アイヌの日の神は女性らしいので、それがアマテラスと関係があるのか、などの疑問が出てきます。 ◇太陽神が女神というのは、(アジアの)北方系の神話の特徴らしいですよ。 ───アイヌの神話を含めて、アジアの北方系の神話を知らないので「らしい」としか言えない(ポリポリ)。 アメリカ・インディアンの多くの部族では、神話を含めて、女性の立場は男よりも強い─── ☆海の彼方に他界があるとする「トコヨ」の観念があります。 ◇縄文時代、日本では《屈葬》が広く一般に行われていました。 その中には、膝を縄などで縛ったりしているものもあるそうです。 この《屈葬》については、 これは胎児の姿なのだという説もありますけれども(であると、仏教伝来以前のかなり古い段階で日本に再生や輪廻といった考え方の萌芽のようなものがあったのか?)、 どうもそうではなく、死者の復活を恐れ、この様なことをしたような感じがします。 文字で残されていないので、このへんの時代のことは推測する以外できないんですけれど…。 ~~~~~~ 高取正男は、これに続けて、「仏教は六道輪廻の妄執を断ち、そこから解脱して彼岸に到る道をしめす教えであるのに、死後も霊魂は此岸のどこかにとどまり、子孫のもとを訪ねるという、盆行事などにみられる伝来の信仰は、今日まで続いてきた」という意のことを書いています。つまり、日本人の多くは、建前としては仏教徒であっても、日常的には神道といえるような宗教感覚をずっと持ち続けているということですね。そういう意味ならばわかります。 ~~~~~~ これについては、むしろ彼岸(春分・秋分)の仏事(?)の方がいいのだろう、という気がします。 彼岸については阿弥陀(浄土)信仰との関わり合いを指摘する向きもありますが、たぶん、そうではないのだろう。 冬は死の季節ということと深く関係しているのであろう。 ケルトの《ハロウィン》と同じ発想から生まれたのではなかろうか…。 ハロウィン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3 「冬になると、死者の霊がやってきて災いをもたらす」みたいな発想ですかね。 縄文人は氷河期に北方経路で日本に入ってきたのでしょうから、こうした北方系民族の発想があったとしても不思議ではなかろうと…。 これは思い付きですから(笑い)。 回答、ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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○ 岩戸神楽 ☆ が ムラの祭りとして行なわれ続けているというのは イヅモのスサノヲ伝説よりほかには知りませんでした。 わたしの町の中のいくつかのさびれた神社にも神楽殿が残っています。小さな神社であっても 小さな杜が背後に控え やすらぎを与えてくれるように感じるひとつの空間なのですが 神楽はマツリとしては廃れたものと思っていました。スサノヲ神事よりほかに目に入らなかったのは わたしの心のバイアスの所為かといまうたがうほどです。 ▲ (コトバンク:岩戸神楽) ~~~~~~~~~~~ http://kotobank.jp/word/%E5%B2%A9%E6%88%B8%E7%A5%9E%E6%A5%BD △ デジタル大辞泉の解説 1 民俗芸能の一。面をつけて神々に扮し、「岩戸隠れ」「大蛇退治」など神話に取材した所作を演じるもの。神代(じんだい)神楽。 △ 百科事典マイペディアの解説 天の岩戸の神話を劇に仕立てた神楽の総称。天の岩戸の前での天鈿女(あめのうずめ)命の舞を神楽の起源とするという伝説が根拠。九州地方に多い。 ▼ (中江岩戸神楽三十三座) ~~~~~~~~~~ http://www.aso-dm.net/?%E4%B8%AD%E6%B1%9F%E5%B2%A9%E6%88%B8%E7%A5%9E%E6%A5%BD%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%BA%A7 国選択無形民俗文化財。 神楽の里として全国に知られている波野の中江岩戸神楽は荻岳のふもとの中江地区に伝承されています。 「天の岩戸」の神話を題材に御岳神社(大分県清川村)に伝わる神楽をもとに宮神楽、里神楽、宮中雅楽、久米舞いを取り入れ33座に構成されています。わずか24世帯の小集落に200年以上にわたって伝承されてきたものです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 最後のサイトには 《三十三座》のそれぞれの内容がしるされています。(記紀神話の神代全体から主題を取り上げて一つひとつの《座》としているようです。ところどころ古事記等の記事に忠実ではないところがあるようにも思いました)。 問題は――先ほどのわたしの心のバイアスにも関係していてこれを晴らしたいとも考えるのですが―― 次のように見られて来ます。 (あ) アマテラス神事と言えるのは 岩戸隠れもしくは岩戸開きではないかと思います。あとは スサノヲやイザナキらとの絡みがあって まさに神代としての主題であるように思います。 (い) ところが 天の岩戸の話は 考えてみればアマテラスにとっては何ともバツの悪い恥づかしい場面なのではないかと思うのですが そういうことはないのでしょうか? (う) なぜって 岩屋戸に隠れたことは別として 人びとのどんちゃん騒ぎの音が聞こえるのでそっと戸を開けてみたなどということは失態ではないのでしょうか。(それも人間性だと言うなら なぜ弟のスサノヲとは口を利かないのか?) (え) だからこそ 《大阪の牧岡神社の「お笑い神事」》で人びとが笑っているのだとも思われて来ます。 (お) こういう場面を芸能事としてのこしているとは思えませんでした。 (か) それと同じことは オホクニヌシのくにゆづりにまつわる事態です。いえ くにゆづり自体は 互いに対等で自由な話し合いによる結着ですから 何も問題ないのですが 古事記の記事によれば オホクニヌシらはそのしるしに何だか屈辱的な舞いを舞うといったことがあったかと思います。これなどは 例の薩摩の隼人舞いと同じように きわめて非人間的な要素をもった・アマテラス権力への隷属性をあらわすような内容を持つと考えられるからです。 (き) そういった考えてみればその内容が ちっともおもしろくないような中身の話は 遅かれ早かれ―― 一たん伝えられたとしても――消えてしまうだろうと思われるからです。 (く) アメノウズメの舞いやそのどんちゃん騒ぎが主題になってもよいでしょうが 岩戸隠れや開きは 何ともしゃれに成らないのではないか。というひとつの見方です。 (け) なおこの問題に関して伊勢神宮の祭事は 別とします。あっても不思議ではないでしょう。
お礼
《笑い》がお祭りになるとは、いかにも大阪らしい(ポリポリ)。 回答、ありがとうございました。
- Tastenkasten
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こんばんは。 半分私のために捻り出して下さった御質問のようなので、先日お送りするつもりだった回答は明日書きます。もし明日書けなかった場合は、土曜日以降になるかもしれません。 今日は少し別のことを書いておきます。 >雅楽って、本来、仏様に捧げる音楽だったような気が…。 >奈良の大仏開眼供養の時にも雅楽は演奏されていたような記憶が…♪ >雅楽の楽器の多くは、仏教とともにシルクロードを通って日本にもたらされたもの♪♪ 仏教とともにというより、たまたま漂着したベトナムの僧侶によって伝えられたようです。No.15で書いたように、宮中で神道と仏教を意識的に分けようという動きが起きたのは、9世紀ごろからです。大嘗会などの祭事に仏教僧が加わることに対する文句が出た記録は、765年、奈良の大仏開眼は752年ですね。このころはまだあまり両者ははっきりと分けられていないでしょうから、華やかな催事というだけで雅楽が演奏された可能性はあります。雅楽の曲目の中には、仏教と関係するものもありますが、最初から仏様に捧げる音楽ではなかったと思いますよ。「官職要解」という書物を見ると(こんな本は普通の人は買いませんよ、といわれるかもしれませんが)、奈良時代には宮中に雅楽寮ができています。平安時代には細かな役職が定められていて、やはり大嘗会などの神事に演奏されたはずです。 何を以て道教とするか、ということについてですが、最初はただのまじないのような民族宗教である鬼道の段階があります。仏教が入ってきたときに、それに対抗して宗教らしい形に高めるために老荘の思想を付け加え、皇帝の権威づけをはかったものが正一道教、12世紀中ごろに民衆宗教をバックアップする性格になったものが全真教というそうです。第2段階ですでに仏教と習合し始めているので、神道同様、純粋な道教というのは定義はできないでしょう。これは、どんな宗教でも、外からほかの宗教が入ってきたときには起こりやすい現象のはずです。古代ローマも、ヒンドゥー教も同じだったと記憶しています。土着の神を残さないと受け入れられない。 神道の質問の時に、アマテラスに関係する神事はないのでしょうか、とお書きになっていましたが、岩戸神楽というのがあちこちの神社にあるはずですよ。あと、大阪の牧岡神社に「お笑い神事」というものがあるそうです。ほかにもあるかもしれません。民間以外では、伊勢神宮で20年毎に行われる式年遷宮の際に、「鶏鳴三声」というのがあります。 https://blabit.jp/event?id=1391512411098647 http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/tori/niwatori/niwatori2.html 今日はここまで。
お礼
伊勢神宮の鶏が何ほどのものだ。 オラッチ新潟には、弥彦神社の鶏がいる!! 聞いてもらいましょ~、弥彦神社の鶏の長鳴きを♪♪ 長鳴鶏鳴き合わせ 新潟県弥彦神社内 http://www.youtube.com/watch?v=qM-vvPt3nfw 伊勢の神鶏に勝ったな。 http://www.youtube.com/watch?v=8r0SGz2_eDU 声だけでなく、姿でも伊勢の鶏に勝っている(笑い)。 回答、ありがとうございました。
- a_hona
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私は単純なものだと思いますけど。。百足にしても、キキカイカイな出で立ちですし、陰気な場所に住んでいるし、そこから派生した戒めや迷信の類いかと思います。それにしても二度も刺されるとは不運ですね。お大事にしてください。
お礼
夏に実家に帰ったとき、ムカデに噛まれました。 10cmを超えるムカデ(別のムカデです)にガブリとされました。 噛まれた直後はかなり痛いんですけれど、 噛まれると手や腕がパンパンに腫れ上がるので困ったもんです。 回答、ありがとうございました。
お礼
柳緑花紅(りゅうりょくかこう)という和菓子もあるようです。 http://www.kaho-fukuoka.co.jp/saijiki/2003-03/ryuuryok.html 美しくて食べるのがもったいない!!(笑い) この言葉のもとになったのは 蘇東坡 『柳緑花紅真面目』 という漢詩。 ネットで現代語訳を見つけましたので http://kokoro-kotoba.seesaa.net/article/22779519.html いい詩ですね。 回答、ありがとうございました。
補足
お寄せいただいた回答は、どれも様々な論点からこの問題に鋭く切り込んだもので、また同時に非常に示唆に富んだものばかりでしたので、 わたしにはその軽重をつけることができません。 ですから、 今回はベストアンサーをつけずにこの質問を閉じることにします。 そして、 わたしの拙い質問に回答をお寄せいただいた回答者の皆さんに、ここに深い感謝の念を表します。 皆さん、ありがとうございました。 今回も非常に勉強になりました。