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穢(けが)れとは何か
《穢(けが)れ》について質問いたします。 1 穢れとは何か? 2 死は穢れなのか? であるならば、その理由は? 3 死穢(しえ)は禊(みそ)ぎ、水によって流せるのか? 流せるとすれば、その理由は? 4 なぜ、神社で神を拝む前に禊ぎをしなければならないのか? 5 穢れは伝染するのか? 6 こうした《穢れ》観の背景にあるものは何か、その理論的根拠は? 質問項目はすこし多いのですけれども、 《穢れ》がどのようなものであるのかを私が理解するためにどうしても欠かすことのできない項目なので、あえてそのまま列挙いたしました。 私の身勝手な希望としましては、6項目すべてに答えていただきたいのですけれども、 1項目でも構いません。 よろしくお願いします。
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こんばんは ねむ猫さん 「柳緑花紅」日本人には心地の良いことばです(笑い)
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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出しゃばります。 ◆ (回答No.40) アマテラス=空中の権能はよくわかりませんでしたが、話が少し広がりすぎているようなので、私は外野から観察することにします。 ☆ スサノヲとの人間関係が 《死んでいる》というところに注目したものです。 その権能のチカラの作用にしたがうなら 人は死んでいる。というところです。 《無関心》が 《死》だという認識です。
お礼
皆さん、ご自由にこの質問を使ってください。 回答、ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 鈴木大拙の《かむながらのみち》論を引きます。 ヱブ上では見つかりませんでした。わづかに次では 《日本的霊性》が 神道の問題であると言っているようですので――読んでいませんが―― かかげておきます。 ▲ 鎌田 東二:「日本的霊性」を問い直す mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/ReCPAcoe/kamata31.pdf ▼ (鈴木大拙:日本的霊性) ~~~~~~~~ 〔* この経験世界について 諸法無我あるいは諸行無常と認識した世界観がある。ひとつには 因果関係をどう扱ったかにかかわっている〕。われらの祖先はこれらの思想に対してどんなふうに彼らの特殊〔* 的見解〕を発揚したか。 この特殊が鎌倉時代に初めて明らかにせられた。そうしてそれが親鸞によりてであるというのが 本著者の意見である。 どの点がそうかというに 親鸞は罪業からの解脱を説かぬ すなわち因果の繋縛からの自由を説かぬ。それはこの存在――現世的・相関的・業苦的存在をそのままにして 弥陀の絶対的本願力のはたらきにいっさいをまかせるというのである。そうしてここに弥陀なる絶対者と親鸞一人との関係を体認するのである。絶対者の大悲は 善悪是非を超越するのであるから こっちからの小さき思量 小さき善悪の行為などでは それに到達すべくもないのである。ただこの身の所有と考えられるあらゆるものを 捨てようとも 留保しようとも思わず 自然法爾にして大悲の光被を受けるのである。これが日本的霊性の上における神ながらの自覚にほかならぬのである。 シナの仏教は因果を出で得ず インドの仏教はただ空の淵に沈んだ。日本的霊性のみが 因果を破壊せず 現世の存在を絶滅せずに しかも弥陀の光をしていっさいをそのままに包被せしめたのである。これは日本的霊性にして初めて可能であった。そうして鎌倉時代がこれを可能ならしめる契機であったのである。 不思議なことには 千五百年ほども継続した歴史を有しながら 浄土系思想は シナにおいては親鸞的な霊性直観に到達しなかったのである。それが日本では 源信僧都から法然上人を経過すると直ちに 親鸞系の思想が台頭して来るのである。 そうしてこの思想はシナにもなくインドにもなく欧州(ユダヤ教・キリスト教)にもないのである。それで親鸞教は仏教でないとさえいわれるのである。もっともなしだいである。それは実に日本的霊性の直覚から出たもので それがたまたま鎌倉時代に勃興した仏教的弥陀思想の刺戟に出会ったからである。 この世の生活が罪業と感ぜられる。そうしてその罪業がなんらの条件もなしに ただただ信の一念で 絶対に大悲者の手に摂取せられるということを われら現在の立ち場から見ると その立ち場がそのまま それでよいと肯定せられることなのである。 すなわちこれは自然法爾である。只麼(しも=かくのごとし。そのままでよい)の禅である。無義の義である。神ながらの道である。言挙げせぬことである。「ひたぶるに直くなむありける」その直心そのものである。「人間のさかしら」を入れない無分別の分別である。計較情謂(けきょうじょうい=ああこう考え分別すること)を絶した はからいなき赤き心の丸出しである。 が ここにまた一つの概念が加わっていることを忘れてはならぬ。それは絶対の大悲ということである。この大悲に包まれて 心は赤きを得るのである。不立文字(言挙げせぬ)が可能なのである。神ながらは神ながらで 今一つの飛躍または横超があって ここに日本的霊性の姿がその純真のままに認められるのである。個己の一人一人が超個己の一人に触れて 前者の一人一人が「親鸞一人のため」の一人になるのである。 この妙機をつかむのが信である。向こうに対象をおいてそれに向かって個己の一人が信をもつということでない。個己の一人は一人一人で しかもそれがそのままに超個己の一人であるのである。 この霊性的直覚は日本人の上に初めて出たので これを日本的霊性と言わなければならぬのである。抽象的にはインドでもシナでも しか説示せられなかったではないが 具体的に個己の経験事実としては 一日本人の上に生じたのである。しかしてそれから日本人のいづれもがそれを取り入れ得る機会を持つことになったのである。 〔現在の真宗の人々は自分らの宗旨をその根本的なところにつかまないで 歴史的に他派との関係とか 教理の伝統とか 表面的行事・法式・生活形態などの上に それを見んとするのである。それは誤りであると この書の著者は信ずる。・・・〕 (『日本的霊性』1944 第二編 日本的霊性の顕現 三 日本的霊性の主体性 3 日本的・霊性的直覚) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 仏教をきっかけとして イリ知性としての神道が みづからを現わしたと言っているようです。 ほかには 実践としてはないと見るからには 神仏習合といった問題を超えている。と見ているはずです。 このようなイリ知性――それ自体は 人類に共通――の発達としての独自性を 言いたかったのでした。
お礼
鈴木大拙のこの解説は、 「鎌倉新仏教をもって真に日本的な仏教が生まれた」とする戯言に過ぎない。 ☆個己の一人は一人一人で しかもそれがそのままに超個己の一人であるのである。 ◇密教なんて、まさしく、これでしょう。 ☆ この霊性的直覚は日本人の上に初めて出たので これを日本的霊性と言わなければならぬのである。抽象的にはインドでもシナでも しか説示せられなかったではないが 具体的に個己の経験事実としては 一日本人の上に生じたのである。 ◇インドでは、タントラ(密教)の形で発展したというだけ。 それにインドにはバクティ・bhaktiがある。 ☆☆ 仏教をきっかけとして イリ知性としての神道が みづからを現わしたと言っているようです。 ◇《入我我入》というわけで、密教はまさしくイリ知性でございます。 密教の行者にとって、自身の身体は、神仏のヨリシロです。 そして何より、 親鸞は、高野山とともに密教が盛んであった叡山で仏教を学んだという事実を忘れている。 法然、日蓮も道元もです。 鎌倉新仏教は、(天台)密教の身口意の三密の分化・発展した形態と考えることもできるんですよ。 身(密) ・・・ 禅 口(密) ・・・ 浄土宗、日蓮系 意(密) ・・・ 真宗 回答、ありがとうございました。
補足
仏教の日本的受容のもっともいい例は、 お地蔵さん と お大師さま への信仰なんじゃないですかね。 誰かが始めたわけではない。民間から自然に起こり、そして、宗派の垣根を超えて広く日本人一般に信仰された。 そして、今日へと続いている。 お地蔵さんとお大師さま(歴史上、真言宗を作った実在の空海ではない)は、いつも側にいる野の仏さまです。
- Tastenkasten
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こんにちは。 もうとくに書くことは残っていないのですが・・・ 古神道については、要するに私と同じ意見ではないのですか。神道とは何かという定義で違ってくる、ということと、神道関係者が、神道の起源の古さ、権威を示すために使ったりすると、あまりいい気持ちがしない、そういうことなんですよね。私は、単に便宜的に歴史区分のためだけに使用するなら古神道でも別にかまわないのですが、論争につながるのであれば「神道以前」くらいにしておけばよいと思います。 天皇むくろ説ですが、ただ書物でそのような話を読んだという情報提供にすぎません。bragelonneさんにツッコまれていますが、別に私がその説を支持するということではありませんので、誤解なきようお願いします。アマテラス=空中の権能はよくわかりませんでしたが、話が少し広がりすぎているようなので、私は外野から観察することにします。
お礼
こんばんは。 ☆古神道については、要するに私と同じ意見ではないのですか。 ◇私の方がラディカルだと思いますが、だと思います。 ☆神道とは何かという定義で違ってくる、ということと、神道関係者が、神道の起源の古さ、権威を示すために使ったりすると、あまりいい気持ちがしない、そういうことなんですよね。 ◇これが許せないんですよ。 回答、ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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お早うございます。 《5 穢れは伝染するのか?》 しないと答えました。そこに次を添えます: 古くはヨリ原始心性において《伝染した》〔と人びとによって思われた〕ことがあったと。 ヨリなるプレ歴史知性を抜け出たイリ歴史知性にあっては――理念型としてでも――伝染はしない。という意味です。 △ (なだいなだ:《病気‐健康 / 異常‐正常》の双対) ~~~~ 昔には分裂病(統合失調症)はなかった。名前がなかっただけではなく 病気そのものがなかった。その代わりに昔の部族社会では 神がかりの形の精神異常だけがあった。 それは当時の社会には必要な異常であり ときに応じてその異常状態になることも ならせることもできた。 戦争をし 女性を暴行し 子どもまで含めて 相手の部族を皆殺しにするような残虐行為を犯させるには そのような異常状態になる必要があったし さもなければ 人間は感情と良心との葛藤で金縛りにあうから それを治療するために 神がかりになる必要があった。 また こうした神がかりは 集団内部で伝染した。どちらの場合も呪術が大きな役割を果たした。呪術によって神がかりという病気にすることもできたし またその病気から回復させることもできた。 呪術的宗教の影響力が強いころはそれが可能だった。だが 近代に入って 宗教の呪縛の力が次第に弱まるにつれて 精神的な異常は呪術によってコントロールできなくなり その代わり 分裂病のような治りにくい 孤独な病気が起こるようになった。 (『神、この人間的なもの―宗教をめぐる精神科医の対話 』) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 《天皇霊》は 或る種の《伝染》現象か? ▽ (ヰキぺ:大嘗祭) ~~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%98%97%E7%A5%AD § まえがき 大嘗祭(だいじょうさい)は、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭。 新嘗祭(にいなめさい)は毎年11月に、天皇が行う収穫祭で、その年の新穀を天皇が神に捧げ、天皇自らも食す祭儀 § 2 式次第 §§ 2.4 本祭当月の儀式 ・・・今上天皇の大嘗祭も、平成 2年11月22日深夜から23日未明にかけて行われた。 11月になると、1日から晦日(みそか。月末)までは散斎(あらいみ。簡略な物忌。)、祭儀の行われる卯の日の前の丑(うし)の日から3日間は致斎(まいみ。厳重な物忌。)とされ、穢れに触れることを戒めた。 悠紀(ゆき)・主基(すき)の斎場を設け、それぞれに神供、神酒、調度などを調理製作する諸屋を建てた。祭の7日前から大嘗宮を造り始め、5日以内に造り終える。大嘗宮は悠紀殿・主基殿の2殿から成る。 §§ 2.5 本祭の儀式 祭の当夜、天皇は廻立殿(かいりゅうでん)に渡御し、小忌御湯(おみのおゆ)で潔斎して斎服を着け、深夜、悠紀殿(ゆきでん:千木は伊勢神宮外宮と同じ外削ぎ)に入る。 悠紀殿には、南枕に布団(衾)が敷いてあり、沓(くつ)と沓を載せる台も布団の北隣に置いてある。布団に置いてある枕の名は坂枕(さかまくら:逆枕の意味か?)という。 この寝具類は神座、神の為に設けられたものであり、この中に天皇が直接入ることはない。 悠紀殿では、神饌を神に供し、告文を奏して神と直会(なおらい)、つまり神に献じた神饌を、天皇親ら(みずから)聞こし召す(食べる)のである。 廻立殿に戻り、次いで主基殿(千木は伊勢神宮内宮と同じ内削ぎ)に入り、悠紀殿と同じことを行う。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《寝具類に天皇が入ることはない》と書いてありますが これはもとは 入ったと捉えられています。 日本書紀には アマテラスの孫である天孫(皇孫)がタカマノハラからアシハラの国に降臨するとき 真床追衾(まとこおふふすま)を以て 皇孫・アマツヒコヒコホノニニギの尊(みこと)に覆ひて 降(あまくだ)りまさしむ(神代下・第九段本文) という記事があります。床〔の一段高くなった台〕に敷かれた衾(ふすま:伏す裳)が 布団です。《追ふ》は 《おおふ(覆ふ)》のようです。真は 美称。 これは シャーマン王との関係が指摘されているのですが 大嘗祭の儀式が大昔からのシキタリにのっとっていることを示すものと考えられます。 つまり 王の霊が乗り移る・つまり伝染するのだと考えられます。《天皇本人は 入れ物に過ぎない》というのは こうした事態を言っているもののようです。 ▲ (真床追ふ衾) ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 〔* 韓民族の伝える〕『三国遺事』に引く駕洛国記の首露神話でも 降臨した神子の六耶は 紅幅につつまれて酋長我刀の家にもち帰られ かつ榻(しとみ)の上に納められたという。これは 真床追衾と類似している。 突厥(チュルク系)の新しい王はフェルトの上にのせられ キルギスの新ハーン(王)推戴の儀式でも新ハーンを白いフェルトの上にのせ 高くほうり上げては落とす。 護雅夫(* 『遊牧騎馬民族国家―“蒼き狼”の子孫たち 』1967)は このような例から 真床追衾も王の即位式の反映と見ている。事実 大嘗祭の悠紀殿・主基殿にしつらえられる蓐・衾もマトコオフフスマと呼ばれており これと即位式との関係を示している。 (坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注:『日本書紀』 補注) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわちもしそうだとすると これは 祖霊(天皇霊)・土地の霊・〔稲の〕穀物霊を一身に承け継ぐというかたちだと思われます。 一たん イリ歴史知性に立ったそのあと あたかも神をも寄せるかのごとくその霊を着るというクリスマスツリーが出来上がります。 樅の木本体にとどまるイリ知性にあっては これら穀物霊などのムスヒ(産す霊・意訳して生きる霊)の問題は オホモノヌシの神とのまつり(穫り入れのまつり・感謝祭:共食)にすべてが委ねられている。言いかえれば――やはりイデアルチュープスにおいて―― 信仰は 一人ひとり個人の問題であるとなる。煮詰めて行くと そうなる。それは 道徳慣習の問題でもなければ 組織宗教に関わるというのでもなく さらに儀式の問題でもないと考える。 初穂をそなえて あとは神と人びとが共食する。どんちゃん騒ぎのまつりをおこなう。人びとのあいだに きづなはあっても それは一人ひとりが樅の木(または根っ子)であることが基礎であり基本です。 イリ知性というのは 西暦300年ごろ三輪山のふもとに共同体(ムラ)を築いた崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトらの生活態度を言う。三輪イリ市政を展開した。 ヨセなるスーパー歴史知性というのはそのあと 400年ごろ河内(かふち)に勢力を張った神功オキナガタラシヒメとその子の応神ホムダワケの担った思想のことです。 イリ知性は――市長・崇神ミマキイリヒコと市民・オホタタネコらとの共同自治は―― カワチのワケ(またはタラシ)政権に《くにゆづり》をしたと考えられます。 クリスマスツリーでなければ 社会が持たないという思想 この知性の成り立ちじたいが 《ケ(褻)カレ(離れ)》として生まれた。のではないか? (樅の木だけでいいというところが タオイズムの無為と似ているのだと見られます)。 イリ知性が ケ――生活日常なる基礎――の思想です。むろんハレの日も行事もあるでしょうが これは 強いて名づけるのなら シントウ――かむながらのみち――だと捉えられるのではないでしょうか。
お礼
こんにちは。 逆枕は風水に関係があるようですね。 ――――――――― 「順」とは、玄関の向きが北向きであれば、枕を北向きにして眠ることです。 「逆」とは、玄関の向きが北向きなのに、南向きで眠ることです。他の方位の場合でも、玄関の向きと眠る向きが逆ですと、逆相になります。 北と南で対立する使い方をしているわけですから、「対冲」となります。玄関というのは社会に向いて開いている場所ですから、社会と対立した暮らし方ということになってしまいます。 http://www.kumokiri.net/kouza/chi23.html ――――――――― 仏教の「北枕」と関係があるのかと考えたのですが、そうではなさそう。中国の「気の思想」との係わり合いのようです。 日本の「陰陽道」と深く関係しているのであろうと…。 陰陽道 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E9%81%93 日本の神事と陰陽道とは深い関係がある。 ―――相撲(の四股とかのセレモニー)と陰陽道とは深い関係がある――― ~~~~~~~ 日本書紀には アマテラスの孫である天孫(皇孫)がタカマノハラからアシハラの国に降臨するとき 真床追衾(まとこおふふすま)を以て 皇孫・アマツヒコヒコホノニニギの尊(みこと)に覆ひて 降(あまくだ)りまさしむ(神代下・第九段本文) ~~~~~~~ などのくだりを読むと、《イリ》と関係があるのでしょうかね。 崇神天皇が神床(かむとこ)に入ると大物主が夢枕に立ち、 「こ(疫病)は我(あ)が心なり。かれオホタタネコをもちて、我が御前に祭らしたまはば、神の気(け)起こらず」 と仰ったりする。 天皇は神のヨリシロ(入れ物)となっている。 相手は大物主ですから、ヨリシロは最大・最高のシャーマンである天皇じゃないとダメなんでしょう。他の人間(?)であったら、心身ともに崩壊してしまうに違いない!! こうした記述は、安康天皇の「目弱の王の変」にも出てきています。天皇はこの時も神床に入っている…。 ですが、 予知夢という点では、垂仁天皇の「サホヒコの叛乱」の方が適切なのかもしれませんね。后(サホヒメ)に膝枕されている時に見た夢で、天皇は一命を取り留めているのですから。 そして、この垂仁天皇のお話は、豪族からの祭祀権の簒奪と深く関係があるらしいですね。 このあたりの古事記の記述はダニエル書のネブガデネザルを少し髣髴させますけれど、王と神は夢で結びついているという古代的な発想なのでしょうかね。 回答、ありがとうございました。
- amaguappa
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ゆっくりと腐敗と解体を受け入れる土葬の風習には 死とは死者の思い出であるというような、生の側の利益に寄り添う文化の方向性をみとめますが、 そのような余裕めいた物語と無縁である穢れは、フィリップ・アリエスにも理解されぬ文化でしょう。 火で焼くか、水で流す、という屍の始末によって、 生の側が何を得るかということについてなのですが。 他者の死、という問題ではなく、自身の身に接近しつつある死の問題であり、 死が、他者(の集合)にどのように見え、他者(の集合)にどのように関わるか、の点で、 身づくろいに似た観念を生み出していると思うのです。 不浄観に示されるように腐るといったい何が起こるのか。 ギリシャ・エジプト由来なのか、キリスト教において腐る屍は2番目の死であるけれども、 その経緯は当事者の主体性を持って描かれるのです。棺の台座などに。 しかし、穢れの文化を持つ場所では、腐る屍という事態は、共同体の他者たちの一部としての当事者自身という没主体の構造が透けているのです。 1 伝染病・罪業・糞尿・垢・経血・産褥・不安・迷い・疑い・褻(ケ)において溜まり、晴れやかを妨げるものすべて 2 死とは日常なる褻(ケ)に属しつつ、物理的心情的に上記のことと繋がっているから。 3 清水は衛生的で病原菌や垢や血や汚れを洗い流すものだから。 4 神社で神を拝むとは晴(ハレ)であるから。婚姻や相撲も。 5 1の事項の中には、伝染するものもあれば伝染しないものもある。 6 背景としては、狭い土地でムラ社会をいとなむとき、社会のデメリットになることと、メリットになることが区別される。土地環境や技術や衛生観念の度合いなどを変数的に掛け合わせてみれば、線引きには揺れがあることと思います。
お礼
こんにちは。 ~~~~~~ ギリシャ・エジプト由来なのか、キリスト教において腐る屍は2番目の死であるけれども、 その経緯は当事者の主体性を持って描かれるのです。棺の台座などに。 ~~~~~~ エジプトと言えば、ミイラ(の製造)!! 空気が極端に乾燥している地域と日本のように高温多湿でものがすぐに腐ってしまうような地域では、死体に対するイメージも自然異なってくるのだろう、 ということを少し考えたりもしました。 そして、 ミイラにすると、不思議なもので、これが逆に信仰の対象になったりする。 日本ですと、山形県の即身仏ですね。 そして、この即身仏・ミイラに触れることによって御利益がもたらされたりする。 そろどころか、(エジプトの)ミイラの体の一部を粉末にし、霊薬・万能薬として飲んだりもした。 ―――ヨーロッパの話です――― ☆ 6 背景としては、狭い土地でムラ社会をいとなむとき、社会のデメリットになることと、メリットになることが区別される。土地環境や技術や衛生観念の度合いなどを変数的に掛け合わせてみれば、線引きには揺れがあることと思います。 ◇ええ、 穢れの観念は、共同社会とのかかわりが深いのだと思います。 回答、ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんばんは。 ☆☆(回答No.32) ~~~~~~~~~ (4) 男系の万世一系という血筋のつながりに殊更こだわらない。というのは ふるくからの神道に流れている特徴ではないか。と考えるのですが。つまり 道教の影響だとしてもそれは 天皇氏や公民圏の家々のナラハシでしかなく 《神道集合》は一般には成り立っていないと考えられるからです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この文におけるエラーを直しつつ たすてんかすてん先生の《万世一系》説に異をとなえます。 《神(シントウ)道(タオイズム)習合》は この万世一系なる思想≒歴史については 成り立っていない。こう考えるという意味でした。 ◆ (回答No.36) ~~~~~~~~~~~~~~~~ ・・・「天皇というのはむくろであった」というのです。つまり、天皇霊というようなものがあって、代々の天皇というものは、その天皇霊の入れ物にすぎないということです。・・・そういうことを考えると、万世一系というのも見方が変わってきますね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは はっきり申し上げて コジツケであると考えます。 なぜなら その見方じたいは たとえば《養子を介して万世一系(?)をかたちづくっている》という場合にも覆いかぶせることが出来るからです。 《何々屋なる商号のもとに神代のむかしから代々 家じたいはつづいている。それはこの商店でもある我が家には 何々霊があって代々の当主はその霊の入れ物にすぎない。うんぬん》と言えば――史実にはなりませんが―― 話はあり得るものと見られますから。 問題は 男系の血筋の一系に―― 一般の市民の場合とはちがって――ほとんど絶対的にこだわること ここにあると言うべきですから。 それとも《人間は むくろなり。血筋としての家が 永遠である霊なり》というコトが 神道の要なのでしょうか? だとすると 養子の介在を是としているという別の事態になるはずです。 神代における神話に描かれたアマテラス この存在こそが 《空中の権能》をあらわしている。こう考えます。
- Tastenkasten
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一つ書き忘れていました。柳田国男だったか折口信夫だったか、たぶん折口だったような気がするのですが、「天皇というのはむくろであった」というのです。つまり、天皇霊というようなものがあって、代々の天皇というものは、その天皇霊の入れ物にすぎないということです。詳しい記述箇所は探しておきますが、そういうことを考えると、万世一系というのも見方が変わってきますね。 以上、補足です。
お礼
天皇は、基本的に人々の担ぐ《おマツリ》のお神輿ですよ。 お神輿に神が宿っているなんて誰も信じていない。 すべてはフィクションの上に成立している。 でも、お神輿はお祭りの必需品。 これが無いと、お祭りの格好がつかない(ポリポリ)。 回答、ありがとうございました。
- Tastenkasten
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こんばんは。 >◇太陽神が女神というのは、(アジアの)北方系の神話の特徴らしいですよ。 ですから書いたじゃありませんか、「北アジアのシャーマニズムに見られる」って。ちゃんと読んでいらっしゃいます? つまり、神道成立のはるか前の日本古来の文化や信仰は、北アジアから来たんじゃないでしょうかね。このあいだ、追分と南東歌謡が似ていると書いたとき、わざと黙っていましたが、追分に似ているのはモンゴルのオルティン・ドーという民謡ですよ。 https://www.youtube.com/watch?v=FEp-mkim1s8 で、モンゴルの宗教について調べてみようと思ったのですが、あまり資料が見当たりませんでした。 屈葬というのは、言われてみて思い出しました、どこかで読んだ記憶があります。理由は、おっしゃる通り、よくわからないでしょう。昔読んだ本でおすすめのものがあります。 谷川健一 魔の系譜 http://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%B0%B7%E5%B7%9D-%E5%81%A5%E4%B8%80/dp/4061586610/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1411742729&sr=1-1&keywords=%E9%AD%94%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C >◇ご紹介していただいたサイトを斜め読みしましたが、 古神道が存在することを前提にしているので、あれではダメです。 ネコさんは、古神道は存在しないという前提なのですね。しかし、それは何を神道と定義するかで違ってくるのではないですか。もし、記紀成立以降の、仏教や道教の影響下の下に理論づけされたもの以降だけを神道と認めるということであれば、古神道という言葉は使えなくなります。しかし、神道以前の原始宗教時代から今日まで持続している、自然崇拝と祖霊信仰が神道の中心思想であるならば、その萌芽が見いだせる記紀以前も、神道の第一段階となります。ピダハンの例は、なるほど愉快ではありますが、日本の場合、山岳、岩石、水に関係する祭祀遺跡が出土していますから、考古学の研究を考慮すると、やはり何かしらの信仰はあったと考えるのが自然だと思いますよ。ここでまた縄文土器を持ち出すと、龍とか何とか話が広がってしまいそうですが、呪術的な意味はありそうですしね。それに、記紀に書いてあることがすべて大陸からの輸入物というわけではないでしょう。もともと日本に存在していた宗教観も引きついているはずです。 御紹介したサイトは、私もよく読む前の御紹介しました。確かに誤解を招くような書き方かなと思うところはありましたけれど、古神道が存在することを前提としているとまでは読めませんでした。少し読み違えがありませんか。「この章で取り扱うのはこの場面のものとなります」と書いてあるのは、古神道があるという主張ではなく、「古いというよりむしろ根源といったような意味、理論などは存在せず、自然崇拝、家・集団組織の観念のもとに祭儀をおこなう場面のもので、宗教という意識をもたせず、むしろ人々の生活習慣となって現れてくるもの」ということですし、こういう性格は、古代から今日まで神道の中に流れ続けているものです。神道の中核といえる宗教観が記紀以前にあったのならば、古神道としてとらえることも可能かもしれませんが、「古神道」というコトバそのものに抵抗があるとすれば、それは、神道関係者が、神道は伝統ある、日本固有の宗教なのだと権威づけたいために用いているという印象があるからかもしれません。「神道国家」や「古神道」への反応を拝見していると、ネコさんは言葉へのこだわりが結構あるのでしょうか。私が一番興味があるのは、古代に実際にどんなことが行われていたか、その内容そのものの方なので、用語に関する議論には、実はあまり興味がないんです。 時間が遅くなりましたので、今日はここで失礼します。
お礼
☆ネコさんは、古神道は存在しないという前提なのですね。 ◇というわけではないんですよ。 自然(に宿る神々の)崇拝などの素朴な信仰(形態)を古神道と呼ぶのであれば、それはあったと考えるべきなのでしょう。 ですが、現在の神道に直結するような、それに先行する神祇や教義を含めたものを古神道と呼ぶのであれば、そのようなものは存在しなかったのではないか、という立場。 ですから、 「神道とは何か?」という神道の定義に関係する問題。 仮に日本固有の「古神道」が存在していたとしても、記紀神話以前に道教や仏教などの影響を受けてかなり変質しているであろう。この過程で換骨奪胎されており、変質どころか異質なものになっている可能性さえ否定できません。 それでも、まぁ、「古神道」の存在を想定するのは構わないのですけれども、これがあたかも後の時代の「神道」に直結しているかのような表現は避けるべきであろう。 あくまで、これは可能性や想定の範囲を超えないものなのだから。 そして、この真偽は確かめようがない。 真偽を確かめようがないことを逆手に取ることだってできます。この真偽を定まらないことを悪用することだって可能です。 そもそも、古代以前の日本人の信仰や宗教と表現すればすむものを、 なのに、 何故あたかも「神道」の原型であるかのような錯覚を与えやすい「古神道」という言葉を使うのか、ここに作意や作為を感じてしまう。 だから、わたしは過剰に反応するんでゲス。 回答、ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ◇ (No.31お礼欄) 日本語と朝鮮語によく似た単語があったとしても、こうした言葉が半島から海を渡って日本にもたらされた、とする考え方は、あまりに安易だと思います。 ☆ ええ。一般論として前提として このことを明らかにしていませんでした。 (1) 同源の語を 輸出輸入の経緯に関係なく持った場合。 (2) どちらかから 入って行った場合。 (3) 第三の言語からどちらも輸入した場合。 この原則は つねに当てはまると見るべきでしょうね。 ◇ (No.31お礼欄) 「ツル」に関しては日本語の「ツル」が朝鮮語に入った可能性も否定できない。 / 現代の朝鮮語からの類推は非常に危険です。 ☆ ツルに関してあちらから来たのではないかと考えたのは すもう(すまふ=相撲)や なつ(夏)の語を例として頭に浮かべていたからです。あと 国語学者は 明治の頃から 朝鮮語との比較対照を始めたとき 上代や中古の漢語の音韻をしっかりと研究していたようです。漢語の研究は 名を何と言いましたか ヨーロッパ人もたずさわっていたようです。(カールグレン)。 シルム=相撲 ▲ ヰキぺ:シルム http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%A0 この場合には 中ほどの R(または L)の音節が消えて 日本語に入って来たと推測されるからです。 シルム > シム / スム > スム‐ふ(反復相・相互相)> すまふ(=動詞) あるいは ニョルム(ヨルム)=夏 の場合には 末尾の音節が消えます。母音が変化しています。 ニョルム > ニョル > ニョツ > なつ(夏) 子音の《 -r ( l ) ∽ -t ( d )- 》という交替関係は 漢語の借用語で起こる事例として 次のようです。 ・ 末 matu ∽ mal ・ 密 mitu ∽ mil ・ 物 butu ∽ mul ・ 没 botu ∽ mol 漢語では 子音( -t )終わりだったもののようです。 借用関係は 最初の原則が 大前提です。
お礼
こんばんは。 ☆この場合には 中ほどの R(または L)の音節が消えて 日本語に入って来たと推測されるからです。 ◇いわゆる流音(LまたはR)の区別があるかなしかの問題ですよね。 ~~~~~ 日本語は流音音素としてら行のみが存在するため、日本語話者の耳には流音の調音方法の違いの区別が困難であり、いずれもら行の音に聞こえる。英語の l と r がその代表的なものである。日本語や中国語、朝鮮語など、主に東・東南アジア系言語を母語とする者たちが用いる流音の表記・発音を間違えた英語を Engrish と呼び、さらに流音に限らず文法や発音などを間違えた奇妙な英語全般を揶揄する言葉となった。 日本語のように流音音素の区別が存在しない言語は世界的に見ると、太平洋沿岸からアメリカ大陸に分布している。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E9%9F%B3 ~~~~~ とあるように、これは太平洋沿岸の諸地域の言語の特徴であって、最終氷期に日本に渡ってきた人々の言語においては、すでに流音が一つであったと考えるべきだと考えます。 これとほぼ同時期にベーリング海を渡っていったアメリカの先住民族も流音は一つであった、と考えられます。 ですから、 その歴史は、ウリナラ・ファンタジーの《韓国半万年の歴史》よりももっと古く、一万年以上前には既にそのような状態であったと考えるのが合理的。 日本の縄文土器は1万6千年くらいには作られており、世界最古の土器の一つです。そして、これはロシアの太平洋沿海地域あたりで生まれたのだろう、と考えられています。 回答、ありがとうございました。
- kanto-i
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お礼ありがとうございます。 水のこと、考えてみました。 日本は、世界有数である水資源があり 当たり前とされる水さえも祭ります。 全てに神が宿る八百万思想は、今在るもの 今自分が環境から与えられて、手にしている全てを認識し感謝できる 足るを知る思想だとも言えるでしょう。 でもまあ、米一粒にも神様が宿り大切にする考えは 神様ごと炊いて食べてしまう訳ですから、日本人と海外は感覚が違うでしょうね。 大切にするけど、木は切るし削るし釘は打つし それでも神は宿り続ける訳ですから、共に生きる思想だと言えると思います。 神をも食らう我らは、全てが共存共栄で世界が支え合ってこそ 生きるに繋がるということを知るので、「いただきます」が日本にはあるのだと思います。 前回が、早々に締め切られたのでちょっとだけ書いておきます(笑) 日常の所作が神道に影響を受け、規律が自然と共に合ったので 歴史上特別に道徳教育としてなさずとも、日本人はモラルが高く親切なのかもと思います。 家庭内の躾レベルでなされる教育ですから。 それもどうやら、崩壊の危機にありますが(; ̄ェ ̄)
お礼
日本人にとって、綺麗な水は大切な神さまだった、と思います。 湧水や清水の出るところには、祠や社を作って、長い年月、子々孫々まで大切に守ってきましたから。そして、この綺麗な水を育む木や森、山をずっと守ってきた。 綺麗な水に恵まれている日本に生まれてよかった、と思っておりやす。 回答、ありがとうございました。
お礼
柳緑花紅(りゅうりょくかこう)という和菓子もあるようです。 http://www.kaho-fukuoka.co.jp/saijiki/2003-03/ryuuryok.html 美しくて食べるのがもったいない!!(笑い) この言葉のもとになったのは 蘇東坡 『柳緑花紅真面目』 という漢詩。 ネットで現代語訳を見つけましたので http://kokoro-kotoba.seesaa.net/article/22779519.html いい詩ですね。 回答、ありがとうございました。
補足
お寄せいただいた回答は、どれも様々な論点からこの問題に鋭く切り込んだもので、また同時に非常に示唆に富んだものばかりでしたので、 わたしにはその軽重をつけることができません。 ですから、 今回はベストアンサーをつけずにこの質問を閉じることにします。 そして、 わたしの拙い質問に回答をお寄せいただいた回答者の皆さんに、ここに深い感謝の念を表します。 皆さん、ありがとうございました。 今回も非常に勉強になりました。