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城の内部構造は露見するのか?
- 城の内部構造が外部に露見する可能性はあるのか疑問です。
- 城の内部構造が簡単に把握されてしまえば、敵が最短ルートで本丸に侵入できる可能性があります。
- 城内には立ち入り禁止の区域が設けられているかどうかも疑問です。
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質問者が選んだベストアンサー
まず、戦国時代の城(おもに山城)についてですが、領主は平時は城に住んでいるわけではなく、平地の居館に住んでいます。従って平時の使者は居館に行くわけで、戦時の城には行きません。 次に、城郭と居館がセットになる近世の城ですが、初期は本丸に御殿があるようですので、城主と謁見できる地位の使者であれば、本丸まで通された可能性はあります。その場合でも、おそらく使者が通るルートは大手から城方が決めた道でしょう。要所要所に番兵が配置され、城のすべての構造がわかるほど自由な行動はさせていないはずです。
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- organic33
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城なんて、そんなにいれる所ではなかったでしょう。 特に、大手門から入って、本丸御殿になんて、その城の寿命で何回有ったか、ましてや天守になど他国の人を入れないだろうし、国替えになって別の城を使うときなど、それなりに修復するでしょう。 戦に強く修復するか、絢爛豪華に修復するかは別にして。 言い伝えとしての時代劇ですが、仙台城なんか、伊達家が入城してから明治になるまでの間に三度しか大手門が開かなかったと言われています。 正宗の息子に嫁を取るとき、どこかの大名の娘だが、家康の養女として嫁にきたときと、松尾芭蕉が奥の細道を回ったとき、将軍の名代としてと、伊達騒動の時、幕府の勅使を迎えたときの三度。 どこでもそうだったと推測できます。 大手門、本丸、天守は権威の象徴で実務は別の所で行われたように思います。 天守を取ると戦が終わる戦いってそう多くは無かったかと思いますが。 秀吉以前は戦は冬の出稼ぎでしたから。
- ithi
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tenpuruo-mさん、こんばんは。 たしかに、城内を見分する機会になるでしょう。しかし、城内をくまなく見るわけではないので、縄張りをある程度把握することはできますが、大したことはわからないと思います。 詳細な情報を収集することは城攻めのときに物見やしのびを使って城内の見取り図を作成すると思います。
お礼
確かに見取り図は作成してたようですね。 城によってはわざと門構えに何十トンもする大きな石を配置するなどして力の主張をしてたようです。 ご回答ありがとうさまでした!
- jkpawapuro
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江戸時代であっても大名屋敷は二の丸三の丸にあるケースが多いですね。 そういう意味ではそもそも大名の普段の住居も政庁も本丸にあるのはむしろ希でしょう。 それで使者の謁見において城の構造がばれる問題はないかとのことですが、屋敷に一番近い門から入れてそこから出す分には構造はほとんどわからないでしょう。杓子定規に大手門から入れるわけではないと思います。 使者の役割には相手の備えや士気を探る面ももちろんあります。 そして使者を受け入れる側も当然それも承知で迎えるはずです。
- tanuki4u
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敵側からの重要な使者 ↓ つまり戦国期ということであれば 謁見というか敵の使者は基本的には中立的な寺院等で行われた。 あるいは、中立的な人物が両者の間に立って行った 1575年 石山本願寺と信長の和睦 三好康長と松井友閑を介して和睦しています 同年 飛騨の三木が信長に謁見していますが、「上洛のうえ」での謁見です
お礼
敵の使者は基本的に中立的な寺院等で行われた・・・ そうなんでしょうか??これからも色々調べてみます。 貴重な回答ありがとうさまでした!
- eroero4649
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みな文字が読めて中等以上の教育を受けている現代でさえ、地図を渡されて道路標識まであっても道を間違える人はいます。人数が多くなればなるほど段々怪しくなります。車5台でどこかに出かけるとしたら、いくら事前に入念に打ち合わせをしても途中で何台かが行方不明になります。 何千人、何万人の集団となればそんなのいちいち正確にコントロールなんてできないですよ。質問者さんだって、千人の新入社員を自宅の最寄の駅から自宅まで誘導しろといわれて全員を正確に最短ルートで導くことはできないでしょう? なお、最も合戦が行われていた戦国時代においての城というのは戦闘用専門の砦であり、普段の生活の場ではありませんでした。典型的なのが甲斐の武田氏で、普段の生活は躑躅ヶ崎館で行われ、もし甲府が襲われるような事態になったら要害山城で戦うことになっていました。他国の使者は要害山城に案内されることはないのでその詳細を知る術はなかったでしょう。 だいたい城の中でもお殿様が生活するようになったのは江戸時代で、一説によると最初にお城の中で生活するようになったのは織田信長だともいわれますね。
お礼
千人の新入社員?を自宅まで誘導・・・ できませんね。斬新な回答ありがとうさまでした!
- あずき なな(@azuki-7)
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そもそも完全な城の作りなんか城主と身内ぐらいしか知りません 使者とかだって城の奥に通されるわけではありません テレビではよく天守閣とかで会ったりしてますが 実際そんなパターンは激レアで 殆どは2の丸の謁見の間に使者は通されます そこまでは単純な作りなので たとえ作りを覚えられても平気です 秀吉の家臣はぼやいていました 「殿昨年、城改修にあたり家臣一同拝見を許される、場内複雑にして…(略)」とぼやいてます
お礼
いつも解りやすいご回答ありがとうさまです! やはり天守閣で会うのは激レアなんですね。 秀吉の居城、大阪城はまたスケールが違いますもんねぇ。いつか行ってみたいです!
- titelist1
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城は領主が頓死しないためで、援軍が来るまでの時間稼ぎが目的です。内部が複雑なのはそのためです。多くの兵に城の見取り図のコピー配布を簡単にできなかったので効果があったのでしょう。小田原城がその典型ですが、援軍が来なければ陥落です。伊達をはじめ関東・東北軍の援軍を待っていたのでしょうね。
- ohinasama144
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まず、城攻めについてですが、城壁や堀を突破されたら、その時点で負けは確定です。 いくら城の中が複雑だったり、仕掛けがあったりしても、単なる時間稼ぎにしかなりません。 ただし、時間稼ぎと言っても、敵方の人員を削いだり、城主や味方の逃げる時間を稼いだりと、重要であることは確かです。 おおっぴらに公開することは無かったとしても、城内の道筋が露見してしまう程度のことは、問題にしなかったと思います。 それに、道が分かっていたとしても、何処から敵が来て、どんな攻撃が来るかは分かりようがありません。
お礼
なるほど。おっしゃるとおりだと思います。 城内に侵入されたらほぼ敗戦確定、単なる時間稼ぎにしか過ぎません。 しかしあれだけ堅固、複雑にした城の作り・・・ 当時の武将の城に対する想いが伝わってくるようです。ありがとうございました!
- fujic-1990
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関係ない話から入りますが、オートマ車の操作は、「他人の運転を見た」とかなんとかの話でなくて、徹底的に訓練されて免許をもらい、その後何度も乗っていても、事故るじゃないですか。「ブレーキと踏み間違えました」とか。 マニュアル車の私は「なんでブレーキとアクセルを踏み間違えるかなぁ」「免許取るまで、いったい何練習してきたんだろう」と思うのですが、AT車の人は、踏み間違えて事故ります。 突然上から人が落ちてきたせいで慌てて・・・ とかいうのならわかりますが、落ち着いてゆるゆるとバックしてきて突然スピードを上げて人をひき殺しますよ。建物内に突撃しますよ。 あの人たちが特別軽率なのだとか、バカなのだとかいうのではなく(そういう報道は一切ナイので)、「人間とはそういうものだ」ということになります。 常日頃、お城に「出勤」してきていた武士でも、転封でもあって、立場を変えて「攻めるおまえらも矢や弾を食らって死ぬぞ」という状態で、「さあ攻撃しろ」という話になれば、城内で右往左往することになるだろうと思いますよ。 まして、2度や3度、その城に上がって謁見したからと言って覚えていられるものではなかろうと思います。 たまたま覚えている人がいても、その人が先頭をきって走る地位に着くとは限りません。一隊の指揮官が右へ走れば外のものは彼に従います。「ここは左が正解なんだが」とか思っても走っている隊の中で自分だけ立ち止まるわけにはいきません。 さらに、階段などにも、踏み板が巾広の物や狭い物、高さが高い石低い石などなどが組み合わさっていたりしたでしょ?私は足下をみていたのに、転けそうになりました。 兵隊は矢や鉄砲をに注意して上(狭間)を見ながら走りますので、足下の段差には気がつきません。隊の一人が転ければそれより後ろの兵隊は皆転けます。最初に転けた人間は圧死するかもしれません。 転倒した人間より前の、倒れずに済んだ少数だけ前進すれば、かっこうな標的です。 そういう状況になれば、みんな忘れます。頭、真っ白。くどいですが、なんの問題もない平常時でさえ、ペダルを踏み間違えるのが人間です。 だから、「他家の武士は立ち入るべからず」区域を設ける必要は無いものと思います。
お礼
面白い解説、回答ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
お礼
読んでて1番しっくりきたのでベスト差し上げます。他のみなさまも回答ありがとうさまでした!