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お城
姫路城とか見ると、ざっと、10階くらいありますが、実際のところ、生活は、1階でしていたのでしょうか?。昇り降りが大変ですもんね。 あるいは、城は、普段は使っておらず、生活は、周辺の平屋に住んでたんですかね?。 実際、江戸城は、江戸時代初期に焼失して以来、平屋だったらしいし、城でも、土塁型の五稜郭は、平屋ですよね。 大河ドラマ見てても、「真田丸」の秀吉は、伏見の平家で生活してますし、「麒麟がくる」の信長も平屋で過ごしてました。 城で生活してたっぽいのは、「真田丸」大坂冬の陣・夏の陣の時くらいですかね。
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- pri_tama
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>姫路城とか見ると、ざっと、10階くらいありますが、実際のところ、生活は、1階でしていたのでしょうか?。昇り降りが大変ですもんね。 他の方も書いていますが、天守閣は信長の安土城等の極めて稀な事象を除けば、有事(戦争時)以外は物見やぐら兼倉庫です。 (生活に必要な施設[食事を作るな場所やトイレ等]が無い。なお多くの城の天守閣は、火気厳禁だったりします。冬場に詰める武士たちは難儀した。) あと日本の城(平城)の特徴として、外国の城と比較してもやたらと広いというのが有ります。 (江戸城の面積は、山手線の内側の2/3を占める。) また日本の城は、大概極めて広大な面積を有していますので、その内部から外壁以辺(城の中心から外壁以降を見渡すには、キロ単位の視界確保が必要)を見回すには、あれくらいの大きさの天守閣が必要になります。 (世界史を見ても、江戸城等の日本の大城郭を超えるのは、半島ひとつを城壁で覆った世界の首都とも言われたコンスタンティノープルぐらい…。)
- oska2
- ベストアンサー率44% (2300/5115)
>姫路城とか見ると、ざっと、10階くらいありますが 建築の高さだと、10階建てビルの高さに該当しますね。 ちなみに、家光時代の江戸城天守(天主)は20階建てビルの高さだった様です。 >実際のところ、生活は、1階でしていたのでしょうか? 天守は、あくまで「防衛上の物見やぐら」です。 従って、城主などが住む事はありません。 >城は、普段は使っておらず、生活は、周辺の平屋に住んでたんですかね? その通りです。 2ノ丸・三の丸などに、城主・家族・親族は住んでいました。 俗にいう「御殿」と称する場所です。 >江戸城は、江戸時代初期に焼失して以来、平屋だったらしい これは、天守閣の再建を行わなかったのです。 保科さんが「無用の長物である天守を、莫大な資金で建てる意味が無い」と反対したのですね。 そこで、焼け落ちた天守石垣のみを再建しました。 >土塁型の五稜郭は、平屋ですよね。 御陵郭が出来た時代は、既に「鉄砲・大砲の時代」でした。 標的になる天守閣は、実戦的に不適格です。 そこで、西洋式の城郭を築いたのですが「城郭面積が狭くて、実用的に無駄な結果」になりました。 >城で生活してたっぽいのは、「真田丸」大坂冬の陣・夏の陣の時くらいですかね。 城というのは、天守閣だけではありません。 城郭内全てが「城」なのです。 天守閣がなくても、城なのです。 明石城は、天守閣が昔からありません。 播州赤穂城も、天守閣は昔からありませんよね。 余談ですが・・・。 備中高梁城。 普段は、城主一族は麓の御殿・館に住んでいました。 が、戦い時には山上の天守閣(現存)に登り最期の戦い(籠城)を計画していました。 現に、天守閣一階には「食事をする囲炉裏」を設置しています。 城郭跡でも、貴重な存在です。
- nananotanu
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因みに、姫路城の天守閣にしてもそんなに高くないです。 大天守でも5重6階です。
- nananotanu
- ベストアンサー率31% (714/2263)
安土城は天守閣ではなく、天主閣なのでご参考まで。
お礼
ありがとうございます。 違うんですね?。
- rikimatu
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殿さまはお城には住んでいなくて本丸御殿を作ってそこに住んでいたみたいです。 実際にお城に住んでいたのは信長だけで(安土城の天守閣)江戸時代とかになると天守閣は殿さまのお披露目など以外は物置として使っていたみたいです。
お礼
ありがとうございます。物置!。そこまで無用の長物だとは面白いです。 廃墟テーマパークみたいです。 お城ファンて、騙されてる!?。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
質問者さんの言われる「10階くらいあるお城」って、天守閣のことでしょ。 天守閣に住んでいたり居間を設置したりした殿様は、高知の山内家とか珍しいです。多くは天守閣の下に、1階だての御殿を建てて、そこで暮らしたり政治を行っていました。 天守閣はあくまでも城の一部。殿様の威勢を示すためのもの。櫓も、御殿も庭も池も含めての城です。 殿様が天守閣にこもって、天守閣の銃眼や石落とし等の設備が役立つのは、そこまで攻め込まれての敗戦まぎわ。殿様が腹を切るまでの時間稼ぎの場にしかならなかっただっただろうと思います。
お礼
ありがとうございます。みんなから「お城じゃなくて天守閣」と怒られてます。^^; 飾りみたいなものなのですね。
天守閣を指して城と呼ばれているようですが、天守閣は松永弾正がはじめて信長や秀吉が流行らせた一時的な流行で、あれが政庁であるとか軍事施設であるとか住居であるとか言う機能はありませんでした。実際、信長や秀吉の影響を直接受けなかった地方の城郭では天守閣が無いのが普通で、鹿児島城にもありません。千葉城や唐津城は最近になって観光用の天守閣を建てましたが歴史上の城には天守閣はありません。
お礼
ありがとうございます。へー、そうなんですか。軍事機能すらないとなると、パビリオンみたいなものですね。東京タワーと太陽の塔に近いといいますか。
- chie65536(@chie65535)
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時代劇などで出て来る高層の建物は「天守」と呼ばれる物で「お城のごく一部の建物」です。 天守は、平時は使用されず、有事の際に立て籠もったりする「軍事施設」です。 平時は、本丸と呼ばれる場所に建てられた「御殿」が使われます。 御殿は平屋建てが多く、一部、櫓が併設されていたりして、一階部分が主に使われます。 御殿には、執務や会議が行われる場所、炊事が行われる台所、留守居役や家臣が常駐している場所、殿様とその家族が住んでいる場所など、政治と生活を司る場所がありました。 本丸に建てられた御殿が本丸御殿、二の丸に建てられた御殿が二の丸御殿、と呼ばれ、複数の御殿があるお城も多いです。 なお「お城」とは、お堀の内側にあるすべての施設を総称する物です。塀やお堀なんかも「お城の一部」です。
お礼
ありがとうございます。 やはりそうですか。 天守閣が高層なのは、物見の塔のような意味ですかね?。軍事用としても高すぎるような気がしまして。 お堀とか城壁、鉄砲の穴とかは理にかなってると思います。
- harugasumi71257
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戦国時代にもエレベーターがありました。 55階に妻夫木君が行くとエレファントカシマシの宮本浩次さんがいて対談する訳です。 妻夫木「人生の意味とは?」 宮本「意味はないんじゃないですかね、ずっと繰り返していくもんだと思います」
お礼
ありがとうございます。 あれ、「年齢の階」やからな。 一階はバブちゃんしかおらん。
お礼
ありがとうございます。昔の団地だとそれくらいのエレベーターなしのありますよね。