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沖縄のお城グスクについて
沖縄の城跡には首里城の他には城郭が遺っておりませんがなぜなんでしょうか。 一説には内地のように一戦まみえるための所ではなく祈りのための場であるとの 説を聞いたこともあるのですがご存知の方教えてください。
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古くは14世紀まで遡る壮大なご質問ですね。 かつての琉球には、南部の南山、中部の中山、北部の北山、と3つの国が存在する時代がありました。 その後、中山の尚(ショウ)氏が北山、南山を統一して琉球王国が誕生したわけです。 ちなみに、尚氏の末裔宅は、未だに首里大中町のライオンズマンションの裏手にあります。 確かに『城(グスク)』は、内地で言う『城(シロ)』です。 しかし、意味はちょっと違います。 沖縄の城(グスク)は、No.1さんが言うように『王の居城』と言う意味合いが一番強いです。 その他には、『聖域』という意味合いもあります。 沖縄の宗教観は偶像崇拝ではなく、先祖や東方の神や太陽神(ティダ)崇拝で、その習慣は今でも根強く残っています。 先祖や神が訪れる場所を『御嶽(ウタキ)』と言いますが、城(グスク)はその役割を担ったと言う説もあります。 ということから、内地の『城(シロ)』と沖縄の『城(グスク)』の意味合いは、全く違うと言ってもよいかもしれませんね。 沖縄の城(グスク)は『戦地』との意味合いは、全くないとは言いませんが薄いです。 そんなこんなですが、疑問は残ります。 有名な首里城ですが、戦後の首里城跡地には琉球大学が建っていたそうです。 今は移転していますが、移転の理由が『手狭になったから』と言うことらしいんです。 こんな神聖な場所に大学なんか建てて、狭くなったから引越し、でいいんですかね。 再建されたのが首里城だけ、という理由は定かではありません。 首里城の場合は、簡単な設計図が見つかり、戦前の写真も存在したことから再建されたのかもしれません。 他の城(グスク)は、設計図とか写真がないから、再建が不可能なのかもしれませんね。 すべて、石垣の城壁しか残存していませんから。
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- wanpakku
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城郭(壁)については、実はよくわからないのですが、お答えしてみます。 たしかに祭祀も行ったでしょうが、城は基本的に権力者の住居といった機能をもっているので、戦地にならなかったという可能性がなかったということはないのではないでしょうか。 城の作り方は沖縄だけでなく地方ごとに個性があるので、おおざっぱにいえばその一種ですよね。 堀もあったということですし、実は城郭があったかもしれませんよ。 お城、わりとありましたから。 首里城だって再建されたのですし、現存していないことに不思議はありません。
お礼
昨日早速のご回答ありがとうございました。城 の概念がちがうことがわかりました。 つかえていたものがスットした気がします。